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「モンガラ
カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.12.10(金)
仕事が終ったあとで庭師の自宅を訪問しました。昔は同じ組内で、年齢が近いこともあって仲が良かったのですが10年ほど前に離れた地区に家を新築してからは、なかなか会う機会がありません。私の家の庭は彼に全部任せてありますから、年に何度かは来ているようですが、私が出勤したあとに庭仕事をするので会えないことには変りありません。
その彼が庭仕事の賃金を持って来い、と言ったらしいのでピンときましたね。いつもなら取りに来るのに、これは私に会いたいのだな、と思ったわけです。相手が若い女性ならすぐにスッ飛んで行くんですけど、同年配のオヤヂじゃなぁ、と、今日になった次第です(^^;
会ったからといって別にどうということはなくて、しばらく世間話をしてオシマイ。娘さんがずいぶん奇麗になって、奥さんは相変わらず若々しくて、部屋は散らかっていて(^^; でも、そんな普通の生活を見せてくれるのは気を許してくれている証拠でしょうね。なんか、ホンワカした気分で帰ってきました。今度は機会を見て、呑みに誘いたいものです。そうそう、お土産にもらった何とかというフランスワインは旨かったです。
○高梁静穂氏詩集『オヤシラズ』 |
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2004.10.22 |
静岡県浜松市 |
樹海社刊 |
2200円+税 |
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オヤシラズ
なんとも悲しい名前だね
わたしの奥に潜んでいて
行き場のない何かが出口を探し
不快な痛みを伴って突き抜けたのが
もう二十年も前のこと
そのあとしばらくは
やはり悲しい名前のままで
わたしの中に根を生やしてはいたものの
ムシに喰われても放っておいたので
あんなメにあったのだ
抜かれる運命に抗って
幾夜もわたしを眠らせず
辿り着いた歯医者の椅子の上
中途半端な角度のまま
大口あけてヤッカイモノの征伐を
ひたすら祈った
その悲しい名前のものは
素直に去っては行かなかった
いつのまにか広がった大きな根を伴って
ようやく取り除かれたのに
その夜も 次の夜も
すでに離れていったものの痕跡が
わたしを痛めつけて眠れぬ夜を過ごした
そんなことがあってから十年
オヤシラズ
ゆうべ眠れなかったのは
とっくに失くしたはずのその悲しい名が
わたしの奥で疼いたからだろうか
著者の第一詩集です。ご出版おめでとうございます。
紹介したのはタイトルポエムですが、「オヤシラズ」という「悲しい名前」のものを真正面から捉えていて、面白い作品だなと思いました。「いつのまにか広がった大きな根を伴って」いたという視点も「悲しい名」のものの本質を捉えていますね。
他に「玉葱」「弁当」「八月三十一日」などの作品にも注目しました。これからのご活躍を期待しています。
○詩誌『蠻』139号 |
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2004.12.10 |
埼玉県所沢市 |
秦健一郎氏 発行 |
非売品 |
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わたしの終わりの日は 藤倉一郎
わたしの
終わりの日は
秋の晴れた日で
ありますように
空には白い雲がながれ
風もすこし吹いて
その日は
休日なのがよい
大人は買い物にでかけ
子供たちはドライブにでかけ
がらんとした家は
わたしと子犬だけです
子犬は
わたしのそばで
寝息を立てて
眠っています
わたしは椅子に座って
窓の外を眺めています
のどかな
秋の情景です
わたしの終わりの日は
休日の午後三時
立会人は
子犬一匹です
いずれ誰にでもやってくる「終わりの日」。それをこんなふうに具体的に想像した作品は珍しいかもしれません。家の者はみんな出かけて「がらんとした家」。そんな「休日の午後三時」で「立会人は/子犬一匹」だけ。「のどかな/秋の情景」の中で子犬に見守られながら昇天するというのも理想の姿でしょうね。
私としては最期までジタバタしながら死んで行く自分の姿を想像していたもののですから、こんなふうにも考えられるのだと、ちょっと衝撃を受けた作品です。
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