きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.11(土)

 行き着けの家電量販店に行ってミニ・コンポを買ってきました。もともとステレオやオーディオと呼ばれていた時代からの音好きで、累計100万円近くを投資してきたのですが、パソコンに興味が移ってきてからはそちらにお金が掛って、更新しないで来ました。いつの間にか真空管アンプも無くなって、今はモニター用のダイアトーンスピーカーが残っているだけです。

 それが奥野祐子さんのライヴでCDを入手してから火が点きましたね。パソコンで聴いていたのですが、どうにも物足りない。ここは10年ぶりにセットを揃えて聴かなくちゃ、と思った次第です。で、買ってみて驚きました。セットで3万円ほどなんですね。もちろんもっと高額のものもありましたけど、それでも10万円なんかしません。昔のオーディオテープの曲をMDに移すということも視野に入れましたけど、まあ、満足できるレベルでしょう。音はスピーカーが小さいせいでまだまだ物足りませんけど、いずれアンプを増設してダイアトーンで聴いてみたいと思っています。

 奥野CDはパソコンに繋いだ貧弱なスピーカーに比べればいい音です。気付かなかった細かい音も再現されていました。満足を得るには金が掛るということですけど、以前の、何万も何十万もする機器を集めていたのはいったい何だったんだろうなと思います。若い人が音に敏感になるのも頷けます。でもね、いただいた詩集を読むのと奥野CDを聴くのは両立しません。どちらにも神経が行ってしまって、結局、何にもできない! 電源を切って、詩集に集中します(^^;



吉田博哉氏詩集『夢梁記』
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2004.11.25
千葉県茂原市
草原舎刊
2000円
 

    隣 席

   いつ見てもその男は同じベンチに座り何か呟いている。時折 木々
   の間に透けて見える 音楽堂の丸屋根か 遥か向うの流れ雲に眼をや
   る。花壇や噴水がベンチの物語をささやくように溢れ そのはなし
   に不機嫌な表情の裸の少女の石像も彼の斜め前に立っている。木洩
   れ陽の差す角度と背凭れの傾斜など 周りの配置物はベンチについ
   てのことばであり 公園の枯葉はふりそそぐ。

   ある日わたしは男のベンチに座っていた。すると彼の呟いていたわ
   けに気付いた。 不意に見知らぬ人が隣りに座ったからだ。 傘を
   持った記憶喪失者だった。つぎにふらりと来たのはズボンの臭う通
   り魔みたいな男。 それから初めて情人と過ごしたといって泣く人
   妻。 さらに鳩を追う幼子と親子心中を考えてる母親。 そして大穴
   が当たる馬の話をする老人は 馬券を手に座ったまま尿を流して死
   んでいた。こうして公園の男は幾重にも刻まれているベンチの記憶
   に犯され 自分が誰か分らなくなっていたのだ。

   空席の番人のように見えた男は ひとときベンチに腰かけた人々に
   何かを尋ねられ語りかけ  ひとつのベンチの物語を 呟いていたの
   だ。閉園の鐘が鳴っている。「ベンチに座る男」 の未完の肖像を
   手にし もうわたしは余白のような外へ出て行かねばならない。か
   つてさまざまな人生にひとときの憩いを与えたあのベンチは古びて
   取替えられた。そして肖像の男は どこかの公園のそっくりなベン
   チに夢のように座り いまも横向きの少女のかたい乳房の彼方 流
   れ雲をぼんやり眺めているだろう。

 この詩集のキーワードは詩集のタイトルからも判るように「夢」です。深夜に訪れる夢の数々を見事に詩化し、人間の深層を見せてくれる詩集と言ってもよいでしょう。心理学の分析とは違う、詩人の構築物です。
 紹介した作品は、一見、夢の話とは違いますが、これも広義の夢≠セと思います。「ベンチ」の持つ様々な人間の記憶という発想に驚きました。日本ではかつて存在しなかったような詩集と言っても過言ではないでしょう。刺激的な詩集で、ご一読をお薦めします。



阿部堅磐氏詩集『男巫女』
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2004.12.20
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税
 

    逝きし兄へ

   あなたの夢をきのうも見ました
   扉を開けると
こう
   あなたと甥の光ちゃんが
   並んで笑いながら立っていました
   みんなで座るお蕎麦屋さんの座敷
   高校生の光ちゃんがジョッキの生ビールを
   泡ごと飲んでむせっている
   私もあなたもビールを飲みながら
   それをニヤニヤ眺めている

   今朝 古いアルバムを開きました
   セピア色した中学生のあなたと小学生の私
   八海山の麓 社殿の登り口 石段の下
   二人の澄ました顔がありました
   あなたは私の小さな肩に左手を廻している

   里宮の前を流れる渓流で
   夏のキラキラする陽光の中
   幼い私達は魚釣りをしたり
   パンツ一つで水泳ぎをしたものです

   アルバムを閉じると彷彿する
   ユニホーム姿の野球少年
   ライトを守って 五番打者
   あなたの活躍を信じて野球大会へ
   父と二人で応援に行きました
   ヒットを打って走る 得意気なあなた
   グランドにひろがる私と父の喚声
   
ほんじこうじ
   本寺小路の喫茶店
   高一のあなたは悠々とタバコを吸う
   そして 照れながら 恋人の話を私に語る
   私は目を輝かせ 微笑んで聞いていた
   店内に流れるポール・アンカのメロディー

   そんな日の春五月 父は死んだ
   それから 私もあなたも思い知らされました
   人生は苦しみの旅であると
   その後 あなたは
   木曽へ修行の旅に出ました
   清瀧の瀧水に打たれたり 断食をしたり

   父の二十年祭の直会の席で
   私が詩を吟じ
   あなたが舞った剣舞「川中島」

   毎年 春になると行われる火渡りの行
   赤々と燃え上がる炎の中に
   勇壮なあなたの姿が浮かんできます

   そんな日々の暮らしの中
   小雪舞う深夜
   あなたは人生の旅を終えました
   愛しい妻と三人の子と一人の弟を残して
   享年五十四歳

 10年前に亡くなった兄上への鎮魂詩集です。著者の家系は神職で、兄上が継いだことが判りますが、その兄上が「五十四歳」という若さで亡くなり、残された「一人の弟」の心境が痛いほど伝わってくる詩集です。紹介した作品では、兄弟だから当然かもしれませんが兄上の人間像が良く描けていると思います。
 中村不二夫氏の解説にもありますが、日本では珍しい神道を知る詩人で、その面からの阿部堅磐研究もいずれ必要になるでしょう。阿部堅磐研究には欠かせない一冊、という側面も持つ詩集だと思いました。



隔月刊詩誌『叢生』135号
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2004.12.1
大阪府豊中市
島田陽子氏方・叢生詩社 発行
400円
 

    葡萄    江口 節

   指先でつまむと
   となりのひと粒がやぶれるかもしれない

   隙間もないほどくっつきあった
   濃いむらさきの粒

   うすい皮に水滴がひかり
   みずみずしく はりつめている

   内側から充ちていくものの
   たしかさ と
   静寂

   言葉にすれば
   なにもかも
   やせ細るばかりなのに

 短いけれど、佳い作品ですね。「内側から充ちていくものの/たしかさ と/静寂」と「葡萄」を表現するのは、さすがです。最終連はその対比として「言葉」を持ってきて、「なにもかも/やせ細るばかり」と言葉の本質を描いており、これは唸りました。言葉に真摯に向き合う作者だからこそ出てくる詩句ではないかと思います。佳い詩に出会いました。




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