きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
  mongara kawahagi.jpg    
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.12(日)

 終日、書斎に籠って、古いテープをMDに録音し直して、いただいた詩集を読んで過しました。それだけでは面白くないので、旅客機とパラグライダー接近の写真をお目に掛けましょう(^^;

  041123.JPG    11月23日の休日に神奈川県松田町の酒匂川河原で撮った写真です。丹沢山系上空は羽田・大阪/福岡の航空路になっています。丹沢山系の西端にある松田山にはパラグライダーの発進基地があって、この日は数十機が飛んでいました。たまたま旅客機が通りましたので接近を狙ってパチリ。もちろん旅客機は高度1万mほど、パラは500mほどですから何の心配もありません。

 怖いのは自衛隊機・米軍機ですね。松田山上空をヘリが高度1000mほどで飛んでいることがあり、パラは簡単に高度1000mを越えてしまいますから衝突があり得ないとは言えないわけです。ま、ヘリは週日、パラは休日と自然に住み分けている状態ですから大丈夫なんでしょうが、お互いに決めて飛んでいるわけではないので、本当に大丈夫かと言えば実はそうでもない、というのが私の見方です。一住民としては今後も事故が起きないことを祈るのみです。




すぎもと れいこ氏詩集ちょっといいこと あったとき
    cyooto iikoto attatoki.JPG    
 
 
 
ジュニア・ポエム双書165
2004.7.3
東京都中央区
銀の鈴社刊
1200円+税
 

    きゅうじつ
     休日

     
   そぎ落とされた
   
やまはだ
   山肌の前で
           
だい
   ショベルカーが三台
   
なら
   並んで頭をたれている
     

   山に向かって

   ごめんなさいと

   あやまっている

 小学校中学年以上を対象とした詩集ですが、大人が読んでも面白いですね。なかでも紹介した作品にはドキリとさせられました。「山に向かって/ごめんなさいと/あやま」らなければいけないのは「ショベルカー」ではなく人間なんですが、その感情移入が素晴らしいです。しかも一台ではなく「三台」。3人のいい歳をした大人が謝っているようで、絵としても面白い作品です。
 それにしても大人が小学生の気分で詩を書くのは難しいだろうなと思います。私のように頭が固いと無理でしょうね。その面でも頭の下がる詩集です。



機関誌銀鈴通信23号
    ginrei tsushin 23.JPG    
 
 
 
2004.10.20
東京都中央区
銀の鈴社刊
非売品
 

      かんけい
    いい関係

   
とお  むかし
   遠い昔

   海は

   よっこらしょと

   空をおし上げた

   空もまた

   えんこらしょと
       
かえ
   海をおし返した


   その日から
       
 
   海と空は向き合って

   ずーっと

   ずーっと

   いい関係を保ち続けている

 こちらは銀の鈴社の機関誌(宣伝誌?)のようで、「子どものための少年詩集2004」収録作品の選考過程やジュニアポエムシリーズ執筆者の「作品ができるまで」などが載っていました。紹介した作品はすぎもとれいこさんの詩集を出版しての感想の中に一部が載せられていました。当然、前出の『ちょっといいこと あったとき』には全文が載っていますので、ここで紹介する次第です。
 この作品は発想がユニークですね。「空をおし上げ」「海をおし返し」というのも面白いのですが、それが「いい関係」だというのはなかなか思いつかないものです。頭の柔らかさに敬服、です。



和田文雄氏詩集『毛野 けぬ
    kenu.JPG    
 
 
 
 
2004.12.20
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
1800円+税
 

    遮光

   いくつかの土から幾人かの仲間が
   どれも小肥りして体いっぱいを飾りそして蘇り
   立てるでもなく座るでもなく
   目を閉じて倒れ
   いったい奇しい日覆いが何を遮ろうとする
   いま遮光器土偶と呼ばれ

   なんで目を覆って光を遠ざけているの
   攻め込んでくる異人
   先祖神を打ち砕いた外の固からのいくさ
   目が腐
(く)たれるのを怖れて
   森の木にしがみつき海に身を漬けて
   土に埋まって隠れ

   わたしたちの言葉を聞き分けもしない
   喋っても無駄なこと
   ときどき真顔で値踏みされ
   もうそんな辱しさに慣れてしまったが
   どうせ聞き分け見分け出来ないのなら
   懐具合のいいとき買っておゆき
   いずれ千年もたてば
   またの値踏みをたのしめるから

   見覚えがある人と子孫たち
   うずくまって土を削っている
   そのとき慌てて目をつぶり口を喋んだ
   瞼は巧いこと閉じ目ほどの伝心もせず
   目腐たれはなかったが
   困ったことに異人の臭いが鼻についた
   どうしたものか土を削った子孫たちが
   昔を語れという良かった昔を話せという

   あれからだいぶ過ぎてしまった
   人の塊ができまた崩れ
   あれからいくつかの星が消え
   色のついた光に掘られ
   目を閉じていてよかった
   輝いている仲間が眩しかった

   別れた児のふたたびの胎となり
   わが児を体に納め児の墓となって
   土を削った子孫たちを驚かした
   あの頃きょうだいは一緒に泣き笑い
   父老はじっとみつめて慣らし
   生きることを教えた

   埴輪に穿たれた目を羨ましいとも思った
   何でも見えていいなと喜んでいる
   遮光の瞳では何も見なくていいから
   わが家の炉の灯のこと
   あの頃も未来を語っていたものだ
   いま未来がやってきたのだろうか

   未来とはこんなものだったのか
   やはり目を閉じていてよかった

 まず、詩集タイトルの由来から紹介しましょう。あとがきでは次のように書かれています。

         かみつけぬ    しもつけぬ
   毛野はもとの上毛野・群馬、下毛野・栃木の地名だが、いま
   また「けの」と言い換えられようとしている。

 かみつけ∞しもつけ≠ニいう言い方は知っていましたが、もとは「かみつけぬ」「しもつけぬ」だったのですね。
 紹介した作品と関連があると思われることもあとがきに書かれていましたから、これも転載してみます。

    形象埴輪(家形や器財)や、さまざまの人かたの埴輪(人物埴輪)がい
   まの世の人たちに語りかけようとしている。人かたの埴輪には空洞の眼窩
   と、日を覆い光を遮っている目を持つものがある。
    古い時代につくられた埴輪が語り伝えたいとする思いは何なのだろうか。
   埴輪に「いま、幸せかい」と問いかけられたら何と答えられるだろう。も
   し、人かたの埴輪から「ツマラナイカラヤメロ」と言われたら、どうした
   ものかと思いながら書きとめた。
    たまたま幻想のような話を開いてくれた人がいた。また下野は母の生れ
   た地という因みがあった。

 この言葉を参考に作品を鑑賞してもよいと思います。しかし、詩集の22編は実は1編の詩ではないかとも思っています。従って、紹介した「遮光」は全編を読んだ上で読む方が良いのです。それは1編では成り立たないという意味ではなく、より深く鑑賞するには、という意味で。それはそれとして「未来とはこんなものだったのか/やはり目を閉じていてよかった」と埴輪に語らせてしまう現在=A人類は何をやってきたのかと考えてしまいます。一読をお薦めしたい詩集です。




   back(12月の部屋へ戻る)

   
home