きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.12.14(火)
会社の仕事というのは忙しいに決まっているのですが、それにしても今日は格別忙しかったですね。朝の9時から夕方6時までビッシリと会議が詰まっていて、7つの会議をこなしました。分刻みで移動していて、昼メシを採れたのがメッケモンでした。会議の相手も2人から10人と、計30人以上の人たちと会ったのではないかと思います。まあ、そんな日もあるよ、ということでしょう。
そんな話題ばっかりではつまンないので、パラグライダーの写真を載せましょう。2月12日の頁にも載せましたが、11月23日に神奈川県松田町の酒匂川河川敷から撮ったものです。縮小して見難くなっていますけど、白い機体が着陸態勢に入っているところが判るかと思います。富士山と箱根外輪山を背景に、一応、絵にはなっていました。でも、あの位置だと着陸できる場所は無いんだけどなぁ(^^;
手前に少し見えるのが酒匂川、正面の建物は神奈川県開成町のミニゴルフコースの関連施設だと思います。ちなみに私の住んでいる処は、右の三角の山の麓になります。撮影地点から6〜7kmというところでしょうか。この地方は南が海で、東西北が山の温暖な処です。人心も穏やかで、その分、覇気がありません(^^; 争わなくても生きていけるもんネ。二宮尊徳先生が生れた地方でもあります。 |
○詩誌『火皿』106号 | ||||
2004.12.1 | ||||
広島市安佐南区 | ||||
福谷昭二氏方・火皿詩話会 発行 | ||||
500円 | ||||
童女を抱くあなたと 御庄博実
おかあさん
水をのんで
水をもってきたのよ
起きて 水をのんでちょうだい
一才か二才か
足もともままならない童女が
空き缶の水を
口唇も動かせない母親へ
水を のんでちょうだい と
血のにじむ裸足で搬んできた
あなたが描いた「原爆の絵」
死が 何であるかを知らず
燃えくすぶる瓦礫の片隅で
もう動けない母親に
しきりと水を呑ませようとする
童女を抱いて あなたは
声をあげて涙した という
僕の診察室を
あなたが訪ねて来たのは いつだったでしょうか
糖尿病境界型 と診断した診察室で
ヒロシマの日を語りはじめた
あなたの目は
姉のようにやさしかった
あなたが僕に もっともっと話したかったこと
僕も あなたと分ち合いたかったこと
同じ記憶に沈んでいる あの日
瓦礫の片隅での記憶
そのあなたも もういない
僕は 今日も
あなたと話をする
誰もいなくなった診察室で
ひとり
あなたの残した
一枚の絵
母さん 起きてよ と
口もとに水を搬ぶ
童女を抱いている あなたと
「原爆の絵」には「もう動けない母親に/しきりと水を呑ませようとする/童女」描かれているのでしょう。それを描いた「あなた」は、「僕」と「同じ記憶に沈んでいる あの日」を共有しているけれど「もういない」。原爆の悲惨を絵で描いた人と、詩で書く人の、芸術家同士の共感も感じさせる作品だと思います。「僕も あなたと分ち合いたかったこと」というフレーズには医師と患者という立場を越えた、人間を見る眼のあたたかさを感じます。声高に叫ぶのではなく、抑制した描写が逆に読者を打つ作品だと思いました。
○詩誌『飛揚』40号 | ||||
2005.1.7 | ||||
東京都北区 | ||||
葵生川玲氏 発行 | ||||
500円 | ||||
切符自動溜飲機 北村 真
本当に ここから入れましたか。
折ったり曲げたりしませんでしたか。
そうですか。
いえいえ 疑ったりしてすみません。
実は ときどきこういうことがあるんですよ。
季節の変わり目に多いんですがね。
こいつを すべてばらしても
切符がどこからも出てこないって事が起こるんですよ。
で ときどきおもうんです。
こいつが
やったんじゃないかってね。
魔がさすってんですかね。
機械に魔がさすってのもおかしいですがね。
そんな気がするんですよ。
ここを通り抜けるとき、
人は 切符という紙切れでしかないように
こいつは 切符の暗証コードを確認する存在でしか
ないのですから
だから こいつ わざと飲み込んで
大声で 叫んだんですよ。
両腕を広げ 必死に 流されまいと
自分を 呼び戻したかったんじゃないかと。
落葉の季節には
私にもそんな時があります。
あなたは どうです。
ないですか。
「切符」の代りに他の紙を間違えて入れたり、料金不足でバーを閉じられたことはありますけど「切符がどこからも出てこないって事」は経験がありません。おそらく現実には書かれた事態が起きたことはないと思うのですが、妙に現実感のある作品ですね。「機械に魔がさす」「自分を 呼び戻したかったんじゃないか」という詩句に説得力があるように思います。それが人間(駅員)にも伝染して「落葉の季節には/私にもそんな時があります」というところは面白いですね。
○葵生川玲氏詩集『草の研究』 | ||||
2004.12.20 | ||||
東京都北区 | ||||
視点社刊 | ||||
2000円+税 | ||||
草の研究
アジアの春の空から
轟音と共に
降り注ぐもの。
煙るような空から蒔かれているのは
草の種子 レッド・ハーブだ。
世紀を超えた戦争が、
大地の中に数限り無く
植え込んだ
防御という名目に分類した
「地の雷」の上に。
決して見限ることのできない、地に食われ
流され続ける血のうえに
知の生み出した種子が届けられる。
レッド・ハーブという希望の萌え出す草の種子が。
*
あらゆる科学の粋を集めた工作物である
「地の雷」が、
夥しい人の身体と心を傷つけているとき
誰が、首を縦に振り続けてきたのか。
金銭に換算する手段だけで
世界のバランスを測る者たちの
柔らかい手のうちに
われらがアジアの命運が握られてきたのだと。
知の力によって生み出された
その草の種子は、
この世の憎悪によって隠されているもの
すべてのものに降り注ぎ、
点々と「地の雷」の上でだけ
赤い色の草を萌え出すことができるのだった。
*
ようやく、この春
アジアの空に
Grass;a herb
(植え込もう、癒しの力)
希望の種子が蒔かれ始める。
詩集の性格を特徴付けるようなタイトルポエムです。「あらゆる科学の粋を集めた工作物である『地の雷』」と「知の力によって生み出された/その草の種子」との闘争が格調高くうたわれた作品だと思います。「金銭に換算する手段だけで/世界のバランスを測る者たちの/柔らかい手のうちに/われらがアジアの命運が握られてきたのだ」ということも改めて考えさせられます。日本を含めたアジアの戦後民主主義運動は一進一退で、なかなか前に進んでいないように見えますが「希望の種子が蒔かれ始め」られていることを再認識した作品でもあります。
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