きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
  mongara kawahagi.jpg    
 
 
 
「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.19(日)

 18〜19日、群馬県の老神温泉に行ってきました。日頃の疲れを吹き飛ばそうと、温泉三昧でした。一日に3回も入ってしまいましたよ。吹割渓谷も良かったし、地酒の「左大臣」も「水芭蕉」も旨かったですね。

  041219.JPG    写真は、猿ヶ京まで足を延ばして与謝野晶子紀行文学館に寄ったときのものです。文学館に付属した喫茶室の裏庭に咲いていました。冬枯れの中での赤は目立ちますね。花の名は知りませんけど(^^;

 与謝野晶子は猿ヶ京に何度も旅行したようです。それで猿ヶ京と晶子の関係は判りました。建物は和風の二階家で、それほど大きいわけではありませんが良く整備されていて気持ちよいものでした。資料も豊富で、機会があったら訪ねてみるといいですよ。

 文学館ではまず最初にVTRを見せられて、次に訪れた関所の資料館でも最初にVTRを見せられて、群馬のそういう施設はVTRが好きなのかなと思いましたけど、前橋や高崎では記憶にありません。たまたまなのかもしれませんが、良いことだと思います。要領よく施設の概要が判ったところで資料に眼を通す…。残念なのは一日経つと忘れてしまうことですね(^^;




隔月刊誌『原詩人通信』118号
    gen shijin tsushin 118.JPG    
 
 
2004.12
東京都品川区
井之川巨氏編集・原詩人社 発行
200円
 

    酔っ払い    鳴瀬 乱

   オーイ 親父
   とりあえず清算してくれ
   この俺の これまでの人生を
   ツケはそんなに溜ってはいないだろうが
   通いつめたこの酒場
   空にしたボトルの数を知りたいぜ
   くすねた灰皿の数も素直に白状するから
   嫌な客だったかどうか
   あんたも正直に言ってくれ
   それをつまみに飲み直す
   どうせ長いつきあいだ
   お互いそれなりの覚悟があろうというものさ
   踏み倒しもせず 叩き出されもせず
   どうにかここまでやってはきたが
   やっぱり一度はケジメをつけとくべきだ
   そう何事もケジメが大切なんだ
   オーイ 親父
   計算間違えるなよ
   もう出来たって 早いじゃないか
   何だ こりゃ
   テメー酔っ払ってるのか

 「酔っ払い」は「俺」もそうだが「親父」もそうだったという最終行が面白い作品です。「この俺の これまでの人生を」「とりあえず清算してくれ」、「くすねた灰皿の数も素直に白状するから/嫌な客だったかどうか/あんたも正直に言ってくれ」などのフレーズも庶民的でいいですね。まるで落語の人情話を聴いているような、親しみの持てる作品です。身に覚えもあるし(^^;



隔月刊詩誌『石の森』125号
    ishi no mori 125.JPG    
 
 
 
2005.1.1
大阪府交野市
金堀則夫氏 発行
非売品
 

    巳さん    金堀則夫

   白いへびが
   離れの縁側に
   とぐろを巻いて
   いまにも跳びかかろうと身構えている
   触るな 囃し立てるな
   なぜ お姿を現されたのか
   何かがあった その何かの現れに
   ご祈祷だ お払いだ
   一時もはやく隠れてくださるよう
   慌てふためいている
   見てはならぬみーさんに
   恐ろしいものが、怖いものが
   いつの間にか わたしの心に
   のり移っている

   母の実家は
   川沿いにあった
   土手に水がよく迫ってきた
   離れの裏には大木があり
   鬱蒼としたところに祠があった
   野井戸がある 落ちるかも知れぬから
   行ってはならぬといわれていた
   ひとり草むらを分け入り
   落ちてはならぬ井戸を探し当て
   草を払えば 無数のへびが蠢いていた
   草むらが絡まっていたのか
   わたしに襲いかかってくる

   供える鏡餅にあなたの
   とぐろを巻いたみーさんとみる
   手を合わせ 祀るわたしは
   井戸も 祠も 大木も 高い護岸に
   変わってしまった
   草むらのない蛇行する川は
   今のわたしに 注連縄の
   へびとなって
   からみついてくる

 昔は「草を払えば 無数のへびが蠢いていた」場所が確かにありましたね。「白いへび」は見たことがありませんが、神の使いとは聞いていました。今は「草むらのない蛇行する川」になってしまったけど、心理的には「へびとなって/からみついてくる」というのは面白い視線だと思います。昔の風景を思い出した作品です。



個人詩誌HARUKA 182号
    haruka18 2.JPG    
2005.1.5
大阪府交野市
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏 発行
非売品

    ベクトル    山田春香

   そのベクトルは突き刺さるように鋭く
   研ぎすまされている
   羅針盤のように三百六十度回転し
   灯台の放つ光のように
   遠くだけを照らし続ける

   矢はいつでも
   不安定な軸にぶら下がっている
   ガタガタ震えながら
   止めておいた中央のネジがはずれ
   弓矢のごとく四方八方へと飛び回る
   帰ってきた矢が誤って私の胸をかすめ
   私はその矢をとっつかまえて
   へし折ってしまうだろう
   じつはそれが自分自身であっても
   自分が自分を許せないのと似たようなこと
   私の手に今まで目指した方位だけが
   素直に帰ってくる

   ベクトルが無数に飛び交うこの街で
   他人のモノに触れないよう
   警戒しながら生活する
   そうすればよかったと、
   肌身をさらして傷ついたひとたちが
   後悔していたりする

   ベクトルは研ぎすまされる
   現実に研がれながら鋭さを増す
   交差するベクトル同士が
   剣のようにはじけ合うなかで
   争いをすり抜けるように
   逃げ道に流れるひとの群れが
   たどり着かない巨大なべクトルを表した

 最終連の「逃げ道に流れるひとの群れが/たどり着かない巨大なべクトルを表した」というフレーズが素晴らしいですね。「争いをすり抜け」ようとする「巨大なべクトル」という感覚が新鮮です。
 「私はその矢をとっつかまえて/へし折ってしまうだろう」というフレーズには作者の意思の強さを感じます。これからも佳い作品を書いていって欲しいですね。



詩誌『EKE』26号
    eke 26.JPG    
 
 
 
 
2004.12.20
沖縄県那覇市
EKEの会 発行
500円
 

    南洋杉の下で '04 08.13    キュウリユキコ

   お弁当の残りをもらった帰り道
   太陽はてっペんから傾き
   半熟の目玉焼きの黄身の様にとろりとしていた

   ふと髭に絡まった鯵の脂をペロリと舐めたとき
   鉄の塊が黒い煙を出し
   大きな音を立てて
   くるくると回りながら墜ちた

   逃げ惑う人間達は
   ヘリが墜ちた
   テロだと

   見慣れない服装の
   大きな人間が数人
   私を飛び越え
   そちらへ駆けて行き
   立ち昇る炎を消していた

   辺り一面に
   真っ白な泡が舞い
   真っ黒な鉄を
   覆った

   私の帰りを
   あの樹の下で
   待っていた
   坊やを
   鯵をもらう度に思いだす

 今号では今年92歳で亡くなった牧港篤三氏の追悼が組まれていました。沖縄タイムスの創刊者の一員で、『鉄の暴風』(共著)の執筆者、「沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会」代表だったそうです。もちろんお会いしたことはありませんが『鉄の暴風』や「沖縄戦記録フィルム一フィート運動の会」ぐらいは常識として知っています。大城貞俊氏が丁寧ないい追悼文をお書きになっていました。
 高橋渉二氏のご家族3人での「スペイン紀行」も二になりました。1ヵ月余に渡る長い滞在のまだ序の口、今後も楽しみな紀行文です。

 紹介した詩は沖縄国際大学出身のキュウリさんの作品で、招待作品だそうです。キュウリさんともお会いしたことはありませんが、日本詩人クラブが主催したインターネットでの現代詩研究会に参加されていて、何度も作品を拝見しています。東京では神楽坂エミールに私のパソコンを持ち込んで、沖縄では沖縄国際大学内の数台のパソコンを使って交信していたのですが、その沖国大に米軍ヘリが墜落したのが「'04 08.13」でした。墜落された建物は、まさにパソコンを設置してある処だと聞いています。それ以来、交信のタイミングもなく今日に至っていますが、来年2月に予定されている研究会から復帰できるだろうと思っています。

 そんな背景もあって「南洋杉の下で」を紹介してみました。墜落当日の様子がよく判ります。「見慣れない服装の/大きな人間が数人/私を飛び越え」というフレーズに米軍の慌てようが見て取れます。しかし「逃げ惑う人間達」は大変だったでしょう。私の住む神奈川も沖縄に次ぐ米軍基地県です。私の家のそばを毎日のように自衛隊・米軍のヘリが飛んで行きます。沖縄で起きたことは神奈川でも起きる可能性があると思った作品です。




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