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「モンガラ
カワハギ」 |
新井克彦画 |
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2004.12.27(月)
今年最後の月曜日。出勤日です。明日は午前中でオシマイで、ほとんど仕事になりませんから、今日はしっかり働かなければいけないんですけど、ノリませんでしたね(^^; 1日中そわそわ。50を過ぎたいい大人がこれじゃあしょうがないと思うのですが、なかなか。でも、年内にやらなければいけない仕事は終っていますから、まぁ、いいかぁ。それだけ余裕を感じたのは数年ぶりですから、考えようによっては好ましいことかもしれません。と、思うことにして早めに帰宅しました(^^;
○個人誌『COAL
SACK』50号 |
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2004.12.25 |
千葉県柏市 |
コールサック社・鈴木比佐雄氏
発行 |
500円 |
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美しい三月の空 河野俊一
窓からその空を見ながら少年は大学に合格していたら高校の
職員室に受験の土産として持って行こうと思っていた菓子の包
みを開いて食いはじめた。みっつ、よっつ、いつつ、と数えな
がら。世界はそのように膨満している。
その美しい空の下の風の中で野球をしている十一人のこども
たちもいる。五人のチームが攻撃をしている最中で、六人の方
が守っている。ランナーは三塁にいてしきりにズボンで手を拭
っている。投手が一球投げるごとに歓声の分子が秩序を崩して
ゆく。世界は同点に追いつくチャンスのように膨満している。
その美しい空を遮断してカーテンに籠る湿った部屋で、女は
男を抱いている。説明不要。肉の厚みのように世界は膨満して
いる。
空は空として何も持っていないし落すものもないのだが、人
は空になぞらえるものをしきりにさがそうとしている。少年は
空色の服を着て空を自分の時間に挿入しようと試みている。手
招きをする春は、それぞれの春に折り目を入れようとしている。
山折り、谷折り、山折り、谷折り、……。
淡い三月の隙間を埋めるように、受話器を持ち上げる人もい
れば吊り革につかまる人もいる。その空を見ながら。
それぞれの「三月の空」が情感豊かに描かれていますが、やはり第1連が佳いですね。大学受験に失敗した高校生の、しかも「職員室に受験の土産として持って行こうと思っていた菓子の包み」まで用意する高校生の心境が痛いほど伝わってきます。第3連の「説明不要」には笑いを誘うものがあります。各連の「世界は膨満している」という詩句も「三月」という時期を表すのに奏功していると思います。
今号では、9月4日に行われた「第1回
鳴海英吉研究会」の記録が圧巻でした。鳴海さんとは2、3度お会いしただけですが、人懐っこい笑顔を思い出しながら拝読しました。改めてご冥福をお祈りいたします。
○詩誌『詩脈』97号 |
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2004.12.31 |
岡山県浅口郡鴨方町 |
詩脈社・岡 隆夫氏
発行 |
300円 |
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小学校で一番辛かったこと 赤羽 学
五・六年の秋だったか
下校する直前に先生が
「あしたまでに蝗を一袋捕ってこい」
と命じました
家に帰ると取り入れの真最中で
それを手伝っていると暗くなりました
夕食の時にその事を話すと母が
「それは気の毒なことをした。もっと早く言えば捕ら
せてあげたのに」
と言いましたが間に合いません
起きがけに家を出ました
学校まで二キロはあるでしょう
田圃道を滑ったり転んだりしながら
蝗をとってゆくのですから
なかなか学校に近づきません
一匹一匹蝗は袋にたまっていきました
しかしごくわずかです
時計などは持ちません
授業時間を気にしながら
それでも一匹一匹とっていきました
学校に着いて袋を先生に渡しました
誰よりも少しでしたが
先生はだまって受け取りました
服は露でびしょぬれでした
「蝗」は私も小学生の頃に食べたことがありますけど、さすがに「あしたまでに蝗を一袋捕ってこい」と言われたことはありませんね。作者は私よりちょっと年配の方なのかもしれません。それにしても作品を拝読して思うことは、今昔の「先生」の違いです。昔の先生は「命じ」ることもあったけど「だまって受け取」ってくれることもあったと思います。今は命令なんてしないでしょうが、だまって受け取ってくれることは続いていると云えるでしょう。その分、今の先生の負担が増えているのかなとも思います。そんなことを考えさせられた作品です。
○詩誌『詩風』10号 |
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2004.12.25 |
栃木県宇都宮市 |
仲代宗生氏方・詩風社
発行 |
300円 |
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午後のピアノコンチェルト 仲代宗生
午後のピアノコンチェルトは
ベランダの敷石の上にはじけ
秋の木立の影を
きわだたせて流れていく
影がつくる角度で囲まれた
見えない形からあふれてくるもの
輪郭の不安を解く細かなふるえは
読む高さに保たれた
視線を越えて
枝から枝への葉擦れとともに
梢にまでときめきを伝える
見たままに聴き
聴いたままを刻んだと
重なる紙片には印された
旋律の流れに係留しても
自らがとどまることはできない
表すことは あること
現れるものは 確かなもの
そうした満ち足りた日々の
華麗な理由によって奏でる音は
紙片のなかに積み重ねられていった
いま わき上がる音を整えて
あるがままに空間を占めるよりも
心の底に沈みくだる一筋の
透きとおる主題のままに
空に響くピアノコンチェルトは
鳴り渡り つづけ
絵のように情景が浮かぶ作品だと思います。そればかりかピアノの旋律も聴こえてきそうです。「ベランダの敷石の上にはじけ」る音、「秋の木立の影を/きわだたせて流れていく」音が情感豊かに迫ってきます。さらにその「細かなふるえ」は「枝から枝への葉擦れとともに/梢にまでときめきを伝え」ているのです。音についてこれ以上の表現は難しいでしょうね。
「紙片」は楽譜と考えて良いでしょう。「旋律の流れに係留」され、「華麗な理由によって奏でる音」を「積み重ね」るもの、この表現も見事だと思います。心を豊かにしてくれる作品に出会いました。
○季刊・詩と童謡誌『ぎんなん』51号 |
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2005.1.1 |
大阪府豊中市 |
島田陽子氏方・ぎんなんの会
発行 |
400円 |
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しらないよ 前山敬子
ち か
わたしの血を吸いにくる 蚊たちへ
いっておく
あさねぼうで あわてもの
さみしがりやで なきむしで
おえかきへたで ぶきようで
クラスいちばんの おてんばで
しかられても ぷうっとふくれて
ごめんなさいっていわない
そんなわたしが うつっても
しらないよ
自分を狂言回しにしているのが微笑ましい作品ですね。「いっておく」というきつい言い方が、最後では「しらないよ」と優しい言葉に変るのも作品を面白くしていると思います。「蚊」に対してまでこういう言い方が出来る子だったら「あわてもの」でも「なきむし」でも「おてんば」でも構わないですね。もちろん作者は大人ですが、女の子の心理を巧く表現した作品だと思いました。
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