きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「モンガラ カワハギ」 | ||||
新井克彦画 | ||||
2004.12.29(水)
昨日は午前中まで仕事で、午後から箱根湯本に行ってきました。職場の忘年会で南風荘に泊ってきました。職場懇親会の幹事の任期は1月1日から12月31日まで。今年は私が幹事でしたけど、実質的には昨日の忘年会で終了、というわけです。
写真は2次会のカラオケで。オヤヂオヤヂした姿でごめんなさい。18時から始まった宴会も20時には終って、2次会は同じホテルで23時までカラオケにしました。ここまでにかなり呑んでいたはずなんですけど、意外としっかりしているな、というのが自己評価です(^^; 幹事長ですからね、少しは気を張っていたんでしょう。 そうそう、今回は参加率が高かったです。いつもなら7割いけばいい方なんですが、今回は9割。やっぱり、人が多いと楽しいですね。 3次会は私たちの幹事部屋を提供して、午前1時過ぎまで呑んでいました。これで肩の荷が降りました。年に4回のイベントが規約で義務付けられていますが、なぜか6回もやってしまいました。職場の連中は、お前が呑みたいからやっているんだろうと口の悪いことを言っていますけど、決してそんなことはありません、皆さんに楽しんでいただこうと思って、、、と言いながらも反論できない1年でした(^^; |
○大畑善夫氏詩画集『常世のくに』 | ||||
2004.12.24 | ||||
埼玉県蓮田市 | ||||
私家版 | ||||
非売品 | ||||
神様の落とし玉
友達が今日入院した
入院したその日もやることがあった筈なのに
誰か代われる仕事をしているわけではないのに
誰からも悪く言われる人ではないのに
タバコもお酒も飲まない人なのに
明日から困る人が何人もいる人なのに
貴方はベットの上で返辞が出来ない
神様は汚い地上には住めないので
高いお空から人々の生様を見ています
時々悪い人を懲らしめようと
厄の石を落とし
良い人には花束を投げます
でも風が吹いたり
手元が狂ったりして
厄の石は良い人の頭を直撃したり
祝福の花束は悪人の家に届いたりしてしまうのです
手造りですがプロのイラストや著者自身による写真を載せた美しい詩画集です。
紹介した作品は、なぜ世の中は「悪い人」が「懲らしめ」られずに、著者の「友達」のように「誰からも悪く言われる人ではない」「良い人」が「ベットの上で返辞が出来ない」状態になるのか、という回答と云えましょう。それが「風が吹いたり」、「神様」の「手元が狂ったり」したことによるのだ、というのは仏教の諦念に近いのかもしれません。「常世のくに」というタイトルが示すように、仏教思想が底流にある詩画集と云えます。でも、抹香臭くはありません。庶民の素直な感覚を感じました。
○月刊詩誌『現代詩図鑑』第3巻1号 | ||||
2005.1.1 | ||||
東京都大田区 | ||||
ダニエル社 発行 | ||||
300円 | ||||
ずらす 岡島弘子
いちがつの水は針
朝 蛇口をひねると
紬ぬい針 絹ぬい針 小もめん針
きらめきながら こぼれ ほとばしり
コップに受けると
鬨の声をあげ
たちまちあふれだす
かじかんだ指先は
大くけ針となって凍える
心は芯に
幸は辛に
水は氷に
コップの中は たちまち苦水
針はなお
はがねの光はなつ
肩がとがる
かくごをきめ みがまえる
水をのむ姿勢へ
水とたたかうじゅんびが のどの奥で ととのったとき
わずかに沈んで おおきくふくらんで
水はのどを満たす
針先がうごいて上下する
すこしだけ負けて かたむいた のど
よろけたひょうしに
水と私は ごくりと最初の一歩をふみだす
運針が回転をはじめる
肩に ぬいたての陽のコートがあたたかい
苦水から
ひと針ずらせば
いちがつの水は
若水となる
今はボイラーで温水を作るのであまり感じませんが、確かに昔は「いちがつの水は針」のようでしたね。それを思い出しながら読みました。第3連は見事で、そこから最終連が巧くつながっていると思います。「ひと針ずらせば」「苦水」が「若水となる」のは面白くて、さすがは言葉のプロ。佳い作品に出会いました。
○詩誌『帆翔』34号 | ||||
2004.12.25 | ||||
東京都小平市 | ||||
<<帆翔の会>> 岩井昭児氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
溺れて 渡邊静夫
鮒釣りに来て
ヨシの群落から
沼の深みに落ちました
冥い緑の沼でした
沼底では藻の根元で
亀が首をあげていました
緩やかな蝶旋を描いて沈むと
耳奥で
地鳴りのように声明が唸りました
水面ではアサザやガガブタが
陽光を吸い込んで
沼は黄緑の微塵世界に激変しました
身を捩って堕ちる私の網膜に
竹薮の隣の我が家が映りました
床の間の掛け軸では
燕が川面を掠めて飛び
風が吹いて百日紅の花が散っていました
花びらは
百千の愛しい人に変化して
蓮の花の微笑みで
手招きしています
濡れた頭の便箋に
別れの言葉を書き綴りますが
文字は闇の塊に打ち砕かれ
天空地の三界に
砂鉄のように飛び散るのです
亀は精気充満
泥水を渦巻きたて
真っ白な牙を剥いて
待ち構えていました
事故死の瞬間
総ての記憶が蘇ると聞きますが
私の場合
黄泉との国ざかいで
脳裏にうかぶ過去一切は
わずかこれだけなのでした
哀れでした
「沼の深みに落ち」、「事故死の瞬間」「脳裏にうかぶ過去一切」を描いた作品ですが、その発想が面白いですね。「濡れた頭の便箋に/別れの言葉を書き綴ります」なんて、まさに詩人の面目躍如と云えましょう。最後の「わずかこれだけなのでした/哀れでした」というフレーズも最高。これだけでひとつの詩になりそうです。
13行目の原文は「見を捩って」となっていましたが、誤植と思い勝手に訂正しておきました。原文通りでしたら申し訳ない、すぐに元に戻します。
○堀江泰壽氏詩集『ふりかえった窓』 | ||||
2004.12.10 | ||||
群馬県伊勢崎市 | ||||
紙鳶社刊 | ||||
2000円 | ||||
おらあの詩
うすらごとじゃねえ
どっくんだものほきだすっても
そのまんまじゃ
なんだかみっともねえし
どっかにうんめえ仕方 なかんべえか
おらあのいいてえこつ
あんべえよく書く ああや
ぜんぶなんて欲かかねえ
おやげねえと風呂敷ほどくぐえいに
でてきちゃくんねえべか
いつだっても
わかんねえなんかにおしっこくられてよ
目ん玉ひんむいて
うしろさ見るんだが なんもねえ
御殿桜だってもじゃんぼんだ
花びらほったらかして風になっちまってらあ
このまんまじゃいきばつうものがねえ
そんだっペえ
おらあだっても はしくれのはしくれだ
書きてえよ
んでも
そんなとこが おらあってか
承知はしてるんだけんど
こっくりと
うなずきたくねえ
…………………………
3部構成になっていて、Vに群馬の方言で書かれた9編が収められていました。そのうちの1編を紹介しましたけど、面白いですね。これは標準語で書かれたとしても佳い作品になると思うのですが、方言だと一味違ってきます。方言が感覚と思考を掘り下げていると思うのです。「どっかにうんめえ仕方 なかんべえか」「おやげねえと風呂敷ほどくぐえいに/でてきちゃくんねえべか」などは、標準語で考えたら絶対に出てこないフレーズではないかと思います。今後も続けてほしい試みですね。
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