きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「モンガラ カワハギ」
新井克彦画
 
 

2004.12.31(金)

 2004年も今日で最後。今年も全国の皆様から詩書をたくさんいただき、ありがとうございました。判りきったことですが、本当に個人個人の考え方や感じ方というのは違うものだと思います。勉強させていただきました。
 今年1年いただいた詩書の数を数えてみました。

   詩集等  詩誌等   計 
 1月  4冊  41冊   47冊 
2月  10   32   42  
3月  4   38   42  
4月  11   42   53  
5月  14   31   45  
6月  8   34   42  
7月  12   43   55  
8月  16   36   52  
9月  11   36   47  
10月  10   32   42  
11月  25   45   67  
12月  28   55   83  
合計  155   462   617  

 計617冊というのは、昨年の606冊を抜いて過去最高でした。数字からいろいろと見えますけど、11月・12月の詩集等が通常の2倍というのは特徴的だと思います。12月の計83冊というのは、過去72カ月の中で最高です。どうりで礼状が遅くなったわけだ(^^;
 ピント外れの感想ばっかりですが、来年もしっかり拝読したいと思います。よろしくお願いいたします。



上田周二氏評論・エッセイ集『闇と光』
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2004.12.20
東京都小金井市
時間と空間の会刊
2500円
 

    ダンテが『神曲』のなかで、現世の権力や利欲に限のくらんだ教皇や腐敗した政治家らを地獄に落
   として描いていることは、すでに知られており、それが当時の堕落した現実の政治への痛烈な批判と
   なっていることはいうまでもないが、そのダンテの文学が成り立つ根底には、深く揺るぎないキリス
   ト教信仰、イエスの復活や人類最後の審判などのイメージが支えとなっている。キリスト教信仰は、
   『神曲』という一大叙事詩をダンテに完成させたところの究極の根底なのである。かつて福田恒存氏
   は、道徳(善悪の別) は、宗教がその背後にないと成り立たない意味のことを書いておられたと思
   う。もしそうでないと、力は正義なり≠ニいった現世の政治権力や財力をほしいままにする者の主
   張や行動が、すべて善としてまかりとおり、その風潮を批判する者の言動は、悪として退けられるこ
   とが起こり得るからである。気侯温暖の風土からして、現世のご利益を祈るふうの薄い宗教性しか育
   たない日本国にあっては、現代の世相において、往々にしてそういう権力や財力を善とする風潮が見
   られなくはない。 がしかし、 それは決して個々の日本人のせいだけに帰せられない面もあるのであ
   る。
    これと同じことは、文学についてもいえる。なぜ、現代の日本では、ドストエフスキーの小説のよ
   うな深遠な思想をはらんだ文学が、現れにくいのか、T・S・エリオットのような形而上詩が成り立
   ちにくいのか、といったこと。答ははっきりしている。一般に現代の日本人は現世の幸福志向型であ
   り、深い宗教性の必要を感じていないからである。したがって、現代の日本人は、そういう文学を歓迎
   する土壌とは、およそ縁遠いところにいるからである。

 本著は「T 文学論・作家論」「U 死者尊崇」「V エッセイ・雑録」「W 現代詩人論」から成り、最も古いものは1964年の文芸時評がありました。さらに詳細な著者年譜が収録されており、上田周二研究には欠かせない一冊となることでしょう。
 紹介した文は「U 死者尊崇」の中の「恐ろしい問いかけ――地獄を信じよう」の部分です。1982年の『時間と空間』11号に初出されているようですが、この20年で何も変っていないことを気付かされました。「力は正義なり」は20年前よりもさらに悪化し、「現世の幸福志向型」も何も変っていません。人間社会が20年で変るものかと言われればそれまでですが、その実態を見た思いです。

 「自著『闇・女』について――「日本読書新聞」の書評氏に対する反批判」は、酷評に対する反論ですが、これは一見の価値があると思います。他人様の書評をするということは私たちにもよくあることですが、批評とは何かを考えさせられます。「著者略歴」も人との出会いを重んじ、敢えて詳細に記した≠ニ「あとがき」に書かれている通り、実に多彩な作家・詩人が登場します。もちろん知っている人もイベントも多く、著者と出合った20年ほどを共有していたのだなと改めて感慨を深くしました。
 上田周二研究のみならず戦後文学界の研究には必要な好著です。お買い求めの上、座右の銘とすることをお薦めします。



瀧 葉子氏はがき詩画集『山と川と野と』
    yama to kawa to no to.JPG    
 
2005.1.1
栃木県宇都宮市
自然社刊
1050円
 

    いのち

   こけは
   大地に
   とけこもうとしていた

   身のあらかたは
   子に吸いとられて

   子は 親の上に根をはり
   露を受けて
   花のようにかがやいた

 著者自身による絵が添えられた葉書大の詩画集です。「山の音」「川の思い」「野の風」の3部構成になっていて、そこから詩画集タイトルも採られています。
 紹介した作品にも「こけ」の花なのでしょうか、小さな花の絵が添えられていました。作品からは、著者が自然を決して甘くみていないことが判りますね。「子は 親の上に根をは」ってでも生きようとするものなのです。「花のようにかがや」く現在は、「身のあらかたは/子に吸いとられ」た親の犠牲の上に成り立っていることを改めて教えてくれます。
 ちょっと人生訓みたいな作品を紹介してしまいましたが、そればかりではありません。日常の何気ない風景を優しい絵筆とペンで描いた詩画集です。疲れた心を柔らかく包んでくれます。




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