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「唐辛子」
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2004.11.13 |
自宅裏畑にて |
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2005.1.3(月)
朝7時過ぎに中学校時代の同級生から電話がありました。何かあったなと思ったら案の定、同級生が昨日亡くなって、夕方からお通夜だという連絡でした。
それほど親しくしていたわけではありませんけど、折角連絡をくれたので行ってみました。他の同級生も20人ほどが集まっていて、いろいろ話を聞いてみると、喉頭癌で4年ほど臥せっていたそうです。この年代になると亡くなる同級生は増えていくものですけど、やはり現実になると淋しいものがありますね。今までは4年に一度しか同窓会をやっていませんでしたが、今後は毎年やらないといけないなというのが今日の結論のようになりました。冥福を祈ります。
○季刊・二人詩誌『夢ゝ』20号 |
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2005.1 |
埼玉県所沢市 |
山本
萠氏方・書肆夢ゝ 発行 |
200円 |
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鳥の腹でわけられてゆく空 1 赤木三郎
雨が シーソーのような木を洗い
風が乾かす
そして又 雨がシーソーを洗い
風が 乾かす
この間すべて脱落
わたしの この人生と おなじ
たのしい一日だった (思い出は)
夏の日射しと
荒々しい草地のせいで
鳥の腹でわけられてゆく空 2
イメージこそ思考の根源である と
かれは 語っていた
閉じた木の戸の前であらしに見舞われている と
かれは 語っていた
あのひとは 死を くぐりぬけてしまった
棘(とげ)の木と影のなかの棘蜥蜴
けれどイメージとしての記憶は
あらしに見舞われなくとも きえる
タイトルの「鳥の腹でわけられてゆく空」という言葉から佳い詩句だなと思います。空を鳥が切り裂いていくスピード感と、空気を押しのける存在感を感じます。1の「この間すべて脱落/わたしの この人生と おなじ」は、「たのしい一日だった (思い出は)」というフレーズとともに人生の哀愁を感じるのは読みすぎでしょうか。2の「けれどイメージとしての記憶は/あらしに見舞われなくとも きえる」にも同様の印象を持ちました。
○二人詩誌『夢ゝ』別冊 8 |
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2005.1 |
埼玉県所沢市 |
山本
萠氏方・書肆夢ゝ 発行 |
500円 |
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鏡の中の永遠=@ 山本 萠
哀しみの最中に、
ひとは鏡を覗くだろうか。
鏡の中に棲むもう一人のひと
と、心穏やかに対面できるだろうか。
<自惚れ鏡>
を私はひとつ持っている。出かける前に、必ず一、二度覗いて見
る。その中のひどく疲れた愁い顔のひとに、明るく声をかけてから出て行く。
十六、七の思春期に、私は鏡を見ることが出来ない日々があった。奇妙ない
きものが、そこには蠢いている気がした。鏡は、現実を真実の如く映すが、奥
に内在する魂のようなものは映せない。薄っペらい平面が、立体をはらんで現
出させる、その不思議さ。
、、、
昔。私は鏡を作って、人に贈ったことがある。木彫の壁掛け式で、手を傷つ
けながら蔓草の文様を丁寧に彫った。彫り上がったものにセピア系の塗料を施
し、鏡を嵌め込み、裏板で固定した。作業は単純だったが、落着いた渋い鏡に
仕上がった。私はそれを同級のMに届けたのである。
ふみ
手折った一輪の野菊に、小さく文を結んで渡したのが始まりだった。紙凾に
チョコレートをびっしり詰めて渡したこともあった。どの時も返信は届かず、
級友たちの間では次第にMのドンファン振りが噂になっていた。
しかし、私にとってのMは、何かを超越した巨きな存在だった。文学を語り、
人間不信の孤影をまとい、かつ社会正義や政治活動に熱弁をふるった。時に
小暗く豹変する切れ長のまなざしに、十八の少女は憧れを断つことができなかった。
「あの鏡、使ってる?」夜の教室で何気なく問うと「みんなで使った方がい
いから職場へ持って行った」予期せぬ応えが返って、私は自分の恋に絶望した。
、、
あの蔓草の鏡の存在を忘れ、四十年近い歳月が流れた。鏡の中には、私の無垢
の愛が誇らしく封じ込められたままだ。 「M、あなたを永遠に愛します」エ
ア・メール用の薄い霧色の便箋に万年筆でしたためて、裏坂の内側にすべり込
ませたのを、神サマはまだ憶えているだろうか。Mが、人生の涯で私の心と遭
遇する奇蹟は、ついに巡らなかった。
情感豊かな作品だと思います。最後の「エア・メール用の薄い霧色の便箋に万年筆でしたためて、裏坂の内側にすべり込ませた」というところでは、思わずアッと声を出してしまいました。これでタイトルの「鏡の中の永遠=vという意味が判りました。最後の「Mが、人生の涯で私の心と遭遇する奇蹟は、ついに巡らなかった」というところも佳いですね。人生なんてそんなもんさ、と呟きたくなります。
作品の後半は、このHP面に合わせるため原文から改行位置を変更しています。ご了承ください。
○詩誌『鳥』7号 |
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2005.1.15 |
さいたま市大宮区 |
力丸瑞穂氏 発行 |
500円 |
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つくづくいいよ 山本陽子
去年の八月
姉の遺骨と共に
アメリカから帰ってきたとき
「つくづくいいよ――」と
つくつく法師がないていた
こんなに悲しいときに
そんなふうになかないでよと
私はそのとき思った
この夏
せみの大合唱を聞きながら
ふとせみの一生に思いをはせた
七年間土の中でひっそりと生き
七日間思いきりなき続ける
せみのいのち
姉の五十七年間の生涯は
どうだったのだろうか
肺と心臓の持病をかかえ
障害者一級というつらい生活だったけれど
姉はいつもニコニコ笑ってばかりいた
精いっぱい生き抜いた柿のいのちもまた
それなりに輝いていたのだと
一年経った今
やっと私はそう思えるようになった
「つくづくいいよ――」
今日もつくつく法師のなく声がする
「一年経っ」て、「つくづくいいよ――」となく蝉の声にも違う意味を考える、時間の経過とは何かを考えさせられた作品です。「姉の五十七年間の生涯」と「せみの一生」を同列に考えられようになったというのは、すごいことだと思います。そして「姉」の人間像がよく出ていますね。「いつもニコニコ笑ってばかりいた」という一言の重みを感じます。作者の前向きな姿勢に敬服した作品です。
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