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「唐辛子」
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2004.11.13 |
自宅裏畑にて |
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2005.1.4(火)
春のように暖かい陽が出ていましたので、静岡県小山町の実家に帰って床屋をやってもらいました。元プロの親父に私の頭は任せているのですが、今日はさすがにビビリましたね。もう80歳ですからしょうがないんですけど、櫛を2回も落として、その後に剃刀を持ったときは思わず首筋をすくめてしまいました(^^;
親父の客≠ヘ3人。死んだおふくろの弟、私の妹の息子、そして私なんですが、叔父さんは最近来ていないようですし、甥も高校生になってアルバイトを始めて自分の金で床屋に行くようになったらしい…。残るはオレだけかヨ、と思って迷いましたね。これで私が行かなくなると客≠ヘ〇になります。歳の割に元気なのは、たまにやる手先仕事が奏功しているのではないかと思っていますから、これで仕事が無くなると惚ける可能性があります。餅のような柔肌(^^;
を傷つけられるのは怖いし、惚けられるのは困るし、、、。悩んでいます。
○詩誌『ひを』3号 |
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2005.1 |
大阪市北区 |
三室 翔氏 発行 |
300円 |
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盛花 古藤俊子
鋏と手のバランス?
いえ
かたちにするのは かんたんなこと
けれど
ふと 刃のさきが胸にふれるのです
はじめて其処に
くらい洞(うろ)をみつけたように
鋏はすぐに定めた位置に返すけれど
ゆびさきは まだ
かすかな傷をなぞっていて
空(くう)に立つ
身のバランス!
かたちを決めるのが
こんなにも くるしいなんて
ながれない
水盤のみずのおもさ
盛られるままの
花のまえで
自分でも意外なんですが、生け花展はよく見に行きます。生け花作家の「かたちを決めるのが/こんなにも くるしいなんて」という気持は多少は分かるような気がしています。まさに「ながれない/水盤のみずのおもさ」に耐えて、色と形を決めているなといつも思って見ています。しかし作家ではないので「ふと 刃のさきが胸にふれるのです」という感覚は判りませんね。初めて知りました。この作品はそれを教えてくれました。詩と共通するのがあるのかもしれませんね。
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