きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「唐辛子」
2004.11.13
自宅裏畑にて
 

2005.1.7(金)

 今年最初の金曜呑み会。和歌山の「黒牛」と宮城の「一の蔵」を呑みました。「黒牛」は久しぶりでした。1、2年呑んでいなかったのではないかと思います。昔、和歌山に出張したときに呑んだのが最初だったかな? 味は忘れていましたが、呑んだら思い出しましたね。おっ、意外といい味! 調和のとれた、私好みの味でした。
 で、思いついたのが日本酒の味に対する表現です。調和≠ニ乱れ=B以前は雑味≠ェあるかないかという表現をしていましたけど、これで語彙が増えた。お酒を呑むのも表現の勉強ですね(^^;



個人詩誌Quake11号
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2005.1.25
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    ピストル

   草やぶに身をひそめ
   ねらいを定め
   引き金をひいても
   いつも
   たいていは あたらない
   はずれっぱなし
   それどころか
   ねらいもしてない生き物を
   無情に 殺してしまったりする
   見事に心臓をぶち抜かれた
   白いマウスが
   その透けるような赤い瞳で
   わたしに 最期の一べつを投げてくる

   もういやだ
   体中が震えるくらい
   自分がここにいることすら
   許せないくらい
   自分が もしも木ならば
   幹をチェーンソーでズタズタに切り刻み
   大地にしがみつく根は
   根こそぎ 掘り出し 引っこ抜き
   火をつけて 燃やしてしまうのに
   ニンゲンのわたしは
   二本足で
   二本の腕をだらりたらして
   あてどもなく 歩くだけ
   それならせめて
   手が赤くなるくらいに
   握りしめていた このピストルを
   今すぐ捨てて 歩いてみよう
   バキューン
   どこかで 軽やかな銃声が響く
   昼なお暗い 闇の森で
   シュッと わたしの頬を
   銃弾が かすめてゆく
   ピストルを手放したその瞬間から
   撃つ方から 撃たれる方へ
   あきれるほど かんたんに
   変身は とげられて
   わたしは いまや
   ただの獲物
   誰かのえじき
   悟りなんか ひらいてない

   銃弾飛び交うこの森を
   顔をあげ 背筋を伸ばして
   堂々と歩く度胸なんかない
   身をちぢめ
   大地を這いずりながら
   はじめて
   自分がどんなに生きていたいのか
   ほんとうにわかる
   恐怖の中の澄んだ静けさ
   わたしの捨てたピストルを
   誰かが拾う音がする
   二つの銃口が
   ひたひたと 今
   わたしに向かって 迫ってくる

 「ニンゲン」は誰もが「ピストル」という武器を持って生きていますが、「たいていは あたらない」し「はずれっぱなし」。「それどころか/ねらいもしてない生き物を/無情に 殺してしまったりする」。そして「ピストルを手放したその瞬間から/撃つ方から 撃たれる方へ/あきれるほど かんたんに」移行してしまいます。学生、会社員、妻、亭主、国民などなど、それら身に纏った武器を手放して「身をちぢめ/大地を這いずりながら/はじめて/自分がどんなに生きていたいのか/ほんとうにわかる」のだろうと思います。寓意に満ちた面白い作品です。



詩はがき『散葉集』10号
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2005.1.15
広島市佐伯区
楽詩舎・津田てるお氏 発行
非売品
 

    申年 去るか

   年賀状のチラシが
   入るようになって はあな
   今年もこんな時季になったかと

   今年は干支でいう(申)であった
   つい先日の気がするが 賀状の挨拶文に
   (去るものは追わず)
   これに第一夫人は眉をひそめたことであった

   はたして なんとなく当たったような
   ないような 次々去る 肉親や縁者あり
   ほとほと心身つかれたが
   われ(追わず)して 僥倖(ありがたい)

    申 猿 …といえば
   上海の骨董市で 木彫りの一寸くらいを
   爺さんが袋をかついでいるを土産にした
   (さぞかし苦労ばかり入っていように)にこにこ顔を
   などなど 当方もあたふたしたが

   (見ザル聞カザル言ハザル)
   とは まったく逆の一年でしたな
   「見なさい 聞きなさい 言いなさい」
    イラクをロシヤを 隣まちの少女殺しを 台風もひとつ地震災害を…
   世界も 七転八倒したんだ

   いやはや いやでも そうであった!が
   わが身は ぐずぐずしながらも存命とは
   (あとまだ 三十日あるけれど)

 とうとう「申年」も「去」ってしまいましたが、この作品は昨年暮に書かれたものでしょう。1年を回想して「見なさい 聞きなさい 言いなさい」だったとするところは見事だと思います。作品は「(見ザル聞カザル言ハザル)/とは まったく逆の一年」だったから表出したもので、命令形の1年だったと言っています。本来は自動詞の見る 聞く 言う≠セと思うのですが、結局、TVなどのマスコミに命令されて「七転八倒」を見させられたということでしょうね。今年は自動詞でいきたいものです。



飯島研一氏詩集愛しき女への詩
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2004.11.30
東京都台東区
コンサルアーツ獏出版刊
3000円+税
 

    秋の情念

   前ぶれなしに俺の頭が二つに割れて
   過去と未来が一緒にとび出してきたら
   俺は少しのためらいもなく過去を取り押える
   残りがいくらかも分かりようのない未来にかかずらうより
   過去の記憶を彩る女達がいい 女達に逢いたい
   過去と未来の線引きは俺の無頼が勝手にやり
   女達が声を揃えて咎めだてしても
   だれを記憶の中から引っぱり出そうと俺の勝手で
   俺が生きていくのに都合のいい女を選ぶのは当り前とうそぶいた

   瞬間
    <だからあなたは救いようがないの>

   女の声に目覚めた秋の朝
   なつかしい女達の情念がたなびいている

 タイトル通り60を越える全編が「
愛しき女」たち「への詩」です。紹介した作品は明快に男と女の差異が現れていると思います。「生きていくのに都合のいい女を選ぶのは当り前とうそぶ」く男と、「だからあなたは救いようがないの」と云う女。これ以上の明快さは無いでしょうね。「過去と未来が一緒にとび出してきたら/俺は少しのためらいもなく過去を取り押える」というフレーズも見事だと思います。著者の思想は判りやすく、私を含めて牙を抜かれた最近の男どもには衝撃の一冊です。面白かった!




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