きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「唐辛子」 | ||||
2004.11.13 | ||||
自宅裏畑にて | ||||
2005.1.8(土)
雲は多いのですが穏やかな休日です。パッフェルベルの「カノン」、鼓動の「産土」、高橋ていこの「異色」を聴きながら本を読んで過しています。午前中はずっとパジャマでしたね(^^; 「異色」は高橋ていこの唄と谷川俊太郎・吉原幸子の朗読があって、さすがに異色=Bもう20年も前に発売されたテープですから、今では知る人のいないでしょうね。
先ほど、やっと着替えて庭に出てみました。少し写真を撮って遊びました。左の写真は庭ではなく、裏の畑に咲いていたものです。何という花なんでしょうかね? とても小さくて、ひとつの花弁は5mmほどです。 それにしても静かな一日です。100mほど離れた神社では、明日のどんど焼きの準備らしく子供の声がしていますが、それ以外は静寂そのものです。田舎だからなぁ。ここに住んでると完全に惚けるなぁ……というわけで、明日は四谷、明後日は南青山に行きます。田舎に住んで都会で遊ぶ、これ、最高の贅沢かな。 |
○文藝誌『セコイア』29号 | ||||
2005.1.1 | ||||
埼玉県狭山市 | ||||
セコイア社・松本建彦氏 発行 | ||||
1000円 | ||||
影たちの遠く暗き巡礼道 U 長津功三良
昭和二十年八月六日(一九四五年)午前八時十五分十七秒
広島空襲 原爆投下 B二九 三機
一機(通称エノラ・ゲイ号)はリトルボーイ投下
一機は測定通信機材を落下傘にて投下
一機は写真撮影など
八月六日(月)広島 午前零時 気温 二五・六度 湿度 八七パーセント
蒸し暑く寝苦しい夜だった。
サトは、国民学校五年(小学校)のリョウタと幼子のノリコをかかえて、眠
られない夜を過ごしていた。夜九時過ぎの空襲警報で、町内の防空壕に避難
し、ぐずるノリコを、同じ避難者に気を遣いながら、宥め宥めして、暑苦し
い防空壕に長く潜んで、深夜に警報の解除とともに帰宅して、もうくたくた
だった。夫ケンスケ出征後の、生活のことや隣組との付き合いなど、以前は
主人のケンスケがやってくれていたもろもろの日常のわずらわしさに、うん
ざりし、疲れ、投げやりな気持ちになっていた。昏い噂ばかり聞かされてい
て、不安が募るばかりだった。実家が比較的近い大田川の上流の梅林で有名
な八木の百姓で、跡を継いだ兄も出征していたが、両親と嫂で百姓をしてい
て、時折り野菜を担いできてくれたりして、なんとか凌げていた。隣組の組
長さんや両隣などにも、たまに大根や胡瓜を置いて機嫌をとってくれている
ので、夫が不在になってからもなんとか付き合いの面倒を見てもらっていた。
生活は、夫婦でやっていた文房具店が前が小学校のせいもあり、売るものも
あまりなくなっていたが、企業統合などで、すべて切符や配給制で、子供の
使う消しゴムだってクラスに何個かを、子供達が籤引きで貰う、状態なので、
一応の利は貰え、また金の取りはぐれもなく、何とか現金の収入もあった。
幾らか在庫のあったノートなども、近所の奥さんに頼まれて横流しして分け
てあげたりしてもう殆どなくなっていた。ケンスケが出征の後、サトに色目
を使って配達にきては無理やりお茶をねだったりしていた若者も、大分前に
兵隊にとられて、最近ではかなりの歳のお爺さんか女の人になっていた。もっ
とも、 軍部優先に廻されて
もう殆ど品物がとどけられるようなことも無く
なってきていた。生きのいい若者は、軍人以外町で見かけなくなっていた。
枕元に、空襲のときに持ち逃げる荷物を纏めて、リョウタのためには古着で
作ったリュックサックに、彼の物を詰めて置いて、モンペを履いたままで横
になっていたが、ケンスケのことや、これからのことを思って、仲々寝付け
なくて、暗がりの闇の中を凝視めていた。今夜は、もう警報がでても動くま
い、といくらか投げやりな気持ちになっていた。深夜に防空壕まで避難させ
るのは、子供も可哀柏だった。爆弾が落とされれば、一緒に死んでやればい
い、などと。そしてまた、ケンスケが元気で戻ったときにリョウタたち子供
を死なせていては、銃後を守る軍国の妻の役目は果たせない、とも悩んでいた。
非常に長い作品で、このあと7頁ほど続きますので冒頭部分のみを紹介しました。一読して、今までの作品とは違うなと思いました。ライフワークのように広島を書き続けている作者ですが、この作品は「サト」一家という具体的な庶民に焦点をあてています。作者の年齢は「リョウタ」と同じと思われますので、自伝の側面もあるのかもしれません。
多くの参考資料を駆使しながら、史実と「サト」一家という具体を編みながらの構成は見事です。緊張した臨場感のある作品だと思いました。原爆文学のひとつの到達点と云っても過言ではないでしょう。
○会報『News Letter』13号 | ||||
2005.1.1 | ||||
山口県玖珂郡美和町 | ||||
事務局・長津功三良氏方 中四国詩人会 発行 | ||||
非売品 | ||||
藁を燃やす煙 吉久隆弘(岡山)
鳥追い犬の血統書付の
コッカ・スパニエルは
全身を包んだその長い毛を
ひんやりとした秋風に遊ばせている
檻の中でやがて来る冬の
狩猟解禁の雪の岸辺を夢みている
この家の主人は百姓だが
猟に行くときは何時も
茶色い革のチョッキと
鳥打ち帽子を着て出かけるので
このいでたちの主人を見たスパニエルは
よろこんで尾を振り
わうわうと吠えまくる
いちにちが匂いのように始まる
はやく朝の散歩に連れてゆけと
仄かに暗い闇を突き破って
まっさきに声をあげるのは犬である
あたりいちめんに稔る稲穂が
主人の使う刈り取り機械に
巻き取られていく
見慣れていた午後が消える
稲の株が
時間の足跡のようにひろがっていく
黄金色の稲穂のゆれる大地は
風に運ばれて夕焼けの空にある
犬は 着実に藁を燃やす煙を見ている
狩猟解禁の日がだんだんと近くなるのだ
確信しながら首をかしげて待っている
英国産の名犬コッカ・スパニエルは
鳥打ち帽子と
茶色い革のチョッキの男が好きだ
思いはすでに
雪の原野を駆け抜ける
白い息のむこうにある未来は
必ず自分の手で撃ち落すことが出来る
凍てついた闇の空の
どの星が落ちてくるのか
犬は藁を燃やす煙を見ている
昨年9月に松江で開催した第4回中四国詩人会大会で朗読された作品の中の1編です。色彩感覚のある作品だと思います。絵を観ているようです。特に「稲の株が/時間の足跡のようにひろがっていく」というフレーズが佳いですね。刈られた「稲の株が時間の足跡」だという表現は素晴らしい。どこかで遣ってみたくなる詩句です。最終連の「白い息のむこうにある未来は/必ず自分の手で撃ち落すことが出来る」というのは犬の意志でしょうが、「この家の主人」の意志でもあるのでしょう。力強さを持った作品だと思いました。
○詩誌『弦』31号 | |||||
2005.1.5 | |||||
札幌市白石区 | |||||
渡辺宗子氏 発行 | |||||
非売品 | |||||
鍵老人のマザーグース(六) 渡辺宗子
軒先深く陽の射し込む 柔らかな午後 丁度眼の位置
でふらふら 漂うものがある
凝視に耐えぬ徹細 淡い水色の生きた欠片だ 羽生と
もつかぬ幽な動き そこらを
うっすら水色に 染める
漂いながらどこえ誘うのか 老人はゆったりと視界を
移動させる 短いものだなあ 呟きは季節の移ろいと
儚さ 己への未練が口を突いたのだろう 番いの赤ト
ンボに一寸はにかんで見せた
こんにちはお爺さん 長袖シャツに野球帽はひと夏の
成長が見える 雪虫を見たよ僕 捕えて来たんだよ
手を振り回していたら獲れたんだ 生きているのかい
死んでる― 確かに飛んでいたのに 弱いんだなあ
老人は笑いも怒りもせず水色の遠くを追っていた雪虫
は花が嫌いみたい何を食べているのかな つまんない
だろうね餌のような虫だもの 遠くから来て一体どこ
え行くのだろうか
君と一緒に居たかったのさ 違うと思うよ ジョカー
君よ「どこ」は難しい問いだね 少年の眼を見据えて
言った 答えのない問いもあるんだ なんだ学校は答
えばかり教えるのに そんなに問いがあるのかい 問
題集があるもの分数の答えだってあるよ 面白いかい
例えば 冬に妖精が種蒔きをするとか 雪虫と君の巡
り合う約束とか ねえ本当はどこえ行きたかったの
君の掌だよ 嘘だもっと楽しい場所にちがいない 幻
想だろう 雪虫の夢だって―いや君の夢さその掌に事
実がくっついている 死んでるのが事実でもう終りな
の?行きたかった所はここなの可哀想だよ 君に教え
てくれたんだね生涯かけた真実だったね やっぱりつ
まらない死んじゃったんだもの いいかい本当の解答
は「無くなる」ってことさ 君はまず問題集をやっつ
けることだ 雪虫の群翔は視野を朦朧とさせていた
「答えのない問い」の「本当の解答は『無くなる』ってことさ」という詩句は刺激的ですね。禅問答ではないのですが、観念論の究極の議論のように思います。反対に「長袖シャツに野球帽はひと夏の成長が見える」という詩句は具体的で、言葉の遣い方としても面白いと思いました。観念と具体が縦横に組み合されていて、脳を刺激します。文章を切る位置も意識的に変えてあるのでしょう、それも成功していると云えましょう。子供には難しい、やっぱり大人の「マザーグース」ですね。
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