きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「唐辛子」 | ||||
2004.11.13 | ||||
自宅裏畑にて | ||||
2005.1.10(月)
『詩と思想』の新年会が南青山の「NHK青山荘」でありました。100名を越える人たちが集まって、さすがは詩人が支える土曜美術社出版販売(^^; 最近は都内の大人数の集まりには出ていなかったので、ずいぶんと懐かしい人たちにも会えました。あちこちで「ご無沙汰していて、すみません」と謝ってばかりいましたね。
会場の一部ですが、ここにも懐かしいお顔が見えます。写真を撮ることに専念していましたから、それほど多くはお話しできなかったのですが…。そうそう、私が撮った写真を『詩と思想』の次号あたりに使ってもらえるかもしれません。よろしかったら見てください。 今回の『詩と思想』新人賞は中堂けいこさん。「エンジェルバード」という詩が受賞しましたけど、これは佳い! 機会があったら『詩と思想』誌で読んでみてください。感覚も技巧も個性的な新しさを感じます。 |
○個人詩誌『縞猫』9号 | ||||
2005.1 | ||||
兵庫県西宮市 | ||||
中堂けいこ氏 発行 | ||||
非売品 |
日溜り
森の人をねむらせよ
森の人をねむらせよ。
幼な子が膝にいる
誰?とふりむくけれど
そこには
横抱きにされた時計と
冷蔵庫ほどの大男の
ちくたく刻む歯軋りがするばかり
ブナの木から降りてきた最後の子供のようだ
手のひらにしじみ貝の瞳を映す
後ろから抱きしめる
と
ふいに日向の匂い
ねむりつづける母は寒い。
ブナの木をゆする
ブナの木をゆする。
あれは猩猩蠅、あれは斑蜘蛛、あれは団子蟲、
小山になりむこうから近づく
森を出たモノたちが
鉄の塔を建てている
なんという高さだろう
指し示す方へ
あっ と声を出した
あっあっあっ
ショウジヨウバエマダラグモダンゴムシ
牙の抜けた大男がやってくる。
会場でいただいた詩誌です。『詩と思想』新人賞を受賞した作品とは趣きがずいぶん違うので驚いています。そういえば受賞作品は詩集の中では異質だと紹介されていました。いろいろな描き方のできる詩人なのかもしれません。
この作品には「横抱きにされた時計」や「冷蔵庫ほどの大男」などの面白い比喩があります。詩全体としての喩、フレーズとしての喩が複雑に組み合わされていて、それは受賞作品にも通じるものでした。「エンジェルバード」というタイトルも良かったけど、この「日溜り」も佳いですね。簡単に解釈≠ナきないけど惹かれる作品です。
○詩誌『ひょうたん』25号 | ||||
2004.12.20 | ||||
東京都板橋区 | ||||
相沢育男氏方・ひょうたん倶楽部 発行 | ||||
400円 | ||||
うらがえしたら 岡島弘子
母も還ってくる
ベランダにゼラニウムの花を咲かせて
レースのカーテンを引けば
部屋も空き家をやめる
希望にあふれたふりをして
食べて ねむって 歌えば
力が湧く
絶望をやりすごせる
ほほとくちびるに紅をさし
はつらつとした化粧をすれば
病も 孤独も 死への恐れも
ごまかせるかも
でも
屋根が壁がドアが
囲むのをやめてしまったら
部屋はどうなる?
宅急便の段ボールをこじあけ
うらがえし
ひらたく たたむように
くるんでいたものがうらがえって
ふちから転がり落ちた想いに
のみこまれてしまった
ら
あなたを失った
ときのように
亡くなった「母」への追慕の作品だと思います。「部屋も空き家をやめる」というフレーズにその思いを強く感じます。しかし、もう一度「あなたを失った/とき」のことを考えると、「屋根が壁がドアが/囲むのをやめてしまった」ような、「ふちから転がり落ちた想い」にとらわれる。この比喩は見事だと思います。「母」は謂わば囲いであったわけです。その囲いを「うらがえ」すという発想に作者の悲しみの全てが込められていると云えるでしょう。現実かどうかは別にして、「母」への思いが詩として見事に昇華した作品だと思いました。
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