きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「唐辛子」
2004.11.13
自宅裏畑にて
 

2005.1.26(水)

 今年も残すところ、あと11ヶ月(^^; まあ、冗談ですけど、月日の経つのは早いもんですね。もう1月も終りになります。今年もまたバタバタと過すんだろうなあ。
 そんな1月ですが、今日は珍しく17時の定時で仕事を終えて帰宅しました。帰宅途中でフッと思いついて郵便局に寄ってみたのですが、開いていました。それどころか切手も売っていました。以前は17時過ぎには切手なんか売ってなかったんですけどね。ようやく民間に近づいたのかと思いました。小泉さんのやろうとしている民営化の是非はともかくとして、コンビニで味気ない標準の切手を買うより色美しい記念切手を買えるってことはうれしいです。ん? お仕着せの切手しか売っていないのは田舎だけかな? 都会ではコンビニでも記念切手を売っているのかな? ワカリマセン。



季刊詩誌『新怪魚』94号
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2005.1.1
和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏代表・新怪魚の会 発行
500円
 

    悲しみ色の暖色    AYA

   雲ひとつない子どもの日
   父はいつものように不在
   姉達も友と出かけていた

   母はおにぎりをにぎって
   玉子焼きとあり合わせで
   特製弁当を作ってくれた

   芝生の爽やかな緑
   何をするのかと思ったら
   物置から蓙を出し
   二人だけの ピクニック

   ちいさなひざは行儀よく
   母をみつめて 正座する
   おなかいっぱいの幸福に
   陽射しのリボンを大きく結ぶ

   「子どもの日なのに 誰も遊んでくれないわねえ」

   慈愛に満ちた
   母の眼差しが見ていたのは
   私だろうか
   それとも母自身だったのだろうか

   宝石箱をそっと開けると
   今でも暖か色に発光する
   母を独占した午後の陽だまリ

 「母」も「私」も描けている作品だと思います。特に「私」は佳いですね。4連の「ちいさなひざは行儀よく/母をみつめて 正座する」というフレーズに「母を独占した」思いが具体化されていると云えましょう。「おなかいっぱいの幸福に/陽射しのリボンを大きく結ぶ」というフレーズも勿論そうです。「子どもの日なのに 誰も遊んでくれないわねえ」という言葉は「私だろうか/それとも母自身だったのだろうか」にも掛っていて、母娘の関係をうまく表現していると思います。読者は「悲しみ色の」というタイトルもちょっと気をつけなければいけないでしょうが、それを措いても「暖色」のある作品だと思いました。



詩誌『環』115号
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2005.1.20
名古屋市守山区
若山紀子氏方・「環」の会 発行
500円
 

    ぽろぽろ ぽろぽろ    加藤栄子

   八十を過ぎた母さん
   ご飯を ぽろぽろこぼす
   どうして どうして こぼす

   あたしが小さいころ
   母さんは叱った
   ほらほら またこぼす

   こぼれてしまうんだから仕方ないよ
   いま母さん にこにこ言う

   ぽろぽろ
   あたしもこぼした
   ご飯も涙も
   それから 時間も際限なく
   それに
   誰かのあったかい心も
   こぼしたのかもしれない

   たくさん たくさん こぼしてきた
   振り返って言う
   こぼれてしまったんだ
   仕方ないよ と

   母さん にこにこ
   あたしは また ぽろぽろ
   ふいに
   泣いている

 考えてみれば私もいろいろなものを「こぼしてきた」なと思います。どうでもいいものを後生大事にして「誰かのあったかい心」のような大切なものに限ってこぼしてしまうものなのかもしれませんね、人間は。
 「ご飯」の「ぽろぽろ」と「涙」の「ぽろぽろ」が無理なく描けている作品だと思います。下手をすると駄洒落になってしまうところを「いま母さん にこにこ言う」というフレーズが救っているのかもしれません。最終連の「ふいに/泣いている」も佳いですね。ふいに/泣けてくる≠ノしなかったことが良かったと思います。終始感じる「母さん にこにこ」が奏功している作品だと思いました。



会報千葉県詩人クラブ会報188号
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2005.1.25
千葉市花見川区
中谷順子氏 発行
非売品
 

    まらりあの子    金屋敷文代

   とうさん
   せんそうにいった
   ちびちゃいとうさん
   せんそうにいった
   おおきな鉄砲 おもたかった
   とうさん
   ビルマにいった
   あついジャングル かきわけて
   メコン川 わたった
   ひとがたくさん 流れていた
   カエルやトカゲも ごちそうだった
   とうさん
   まらりあに なっちゃって
   ふあ ふあ 浮いて
   どこかに いきかけた
   キエーネのんで もどってきた
   いきて いきて いきて
   かあさんの
   乳房にかえってきたよ
   とうさんと かあさんと
   はげしく だきあって
   わたしが うまれた

   あんたは まらりあの子
   とうさんが
   野戦から 種をはこんだ
   だからすこし 軸がずれてる
   でも パコダの勲章
   ビルマの大地から
   ひっしに咲いた子

 この会報には毎号のように「会員の近刊詩集から」というコーナーがあります。その34で金屋敷文代さんという方の詩集『まらりあの子』が紹介されていました。転載させていただいたのは、そのタイトルポエムだと思います。私の「とうさん」も「せんそうにいった」年代ですから、作者もおそらく私と同世代の方と想像しています。
 2連構成が良い味を出していると思います。「ちびちゃいとうさん」は面白い表現ですし、「まらりあの子」や「ひっしに咲いた子」には同世代の匂いを感じます。私たちがいわゆる団塊の世代≠ニして生れた必然性も感じられます。歴史の証言として、これからこういう作品が必要なのかもしれませんね。そんなことを考えさせられた作品です。




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