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「唐辛子」
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2004.11.13 |
自宅裏畑にて |
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2005.1.27(木)
仕事が終ってから、会社で講演会がありましたので拝聴してきました。演者は全日本女子バレーボールチーム監督・柳本晶一氏。演題は「アテネへの道」。年齢も個性もバラバラな選手をいかにまとめて、世界に通用するチームにしたか、というの主題でした。男子チームと女子チームでは監督としての接し方も違うというのはよく判りましたけど、シンドイなぁと思ったのが実感です。ハナからそう思っているのですから、私がなぜ女性にモテないかがよく判りましたけどね(^^;
男と女の違いでなるほどと思ったのは練習の成果の差です。男子はステップ・バイ・ステップで伸びていくけど、女子は違うんだそうです。1日練習して、次の日に男子は上のステップへ行けるけど、女子は行けない。また同じスタート地点に戻ってしまうそうです。それで、昨日と同じメニューをやって、ちょっとだけプラスをする。その繰返しは、男子は階段だけど女子は螺旋階段だと言っていました。そうかもしれないぁ、と考えていたら、、、深い眠りに落ちていて、、、気付いたら「これで終ります」という挨拶でした(^^;;;
帰り際、駐車場に向かいながら考えましたけど、いくらもらったのかな(^^; 詩人の講演料なんて安いもので、我々クラスだと基本的にはタダ。もらえても2〜3万円。ちょっとした有名人でも10〜20万円というところですかね。柳本氏なら1時間で数十万円になるはずです。作家も下調べに経費が掛るから、やはり数十万円。だからどうというわけではありませんが、ま、つまんないことを考えたというお話です。
○島本理生氏著『シルエット』 |
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講談社文庫 |
2004.11.15 |
東京都文京区 |
講談社刊 |
419円+税 |
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東京・板橋の詩人長岡昭四郎氏よりいただきました。著者は長岡さんのお孫さんだそうです。文学の才能というものは遺伝するんですね。著者は現在、22歳の大学生兼作家です。
本著は2編の短編と1編の中篇から成っています。それを書いた年齢に驚かされます。400字詰原稿用紙10枚ほどの「ヨル」は15歳、同じく15枚ほどの「植物たちの呼吸」は16歳。そして本著のタイトルでもある中篇「シルエット」は18歳の作品です。私も20代、30代は小説の同人雑誌で修行していましたから多少は判るつもりなんですが、弱冠15歳で文学とは何かを知っている人の文体です。もっとも芥川賞候補に2回もなり、野間文芸新人賞を受賞しているくらいですから当然でしょうけどね。
二つの短編も味があって、何ヶ所も鉛筆で線を引きましたけど、やはり「シルエット」は佳いですね。表面的には女子高生の恋愛を描いていて、謂わば今風の小説ですが、中身は人間を描いています。決して軽くはありません。タッチは軽めですが人間の奥底を抉り出していると云って良いでしょう。この若さで、私が30になっても40になっても、いや、50を過ぎた今でも到達していない人間像を描いています。長岡昭四郎さんの名著に、その名も『詩』という評論集がありますが、それに通じるものも感じています。
ここで紹介したいフレーズは山ほどありますけど、プロの作家ですから、そのごく一部を転載するにとどめましょう。
かん
冠くんに初めて出会ったとき、
わたしは 彼を霧雨のような人だと思っ
た。春先に降る、やわらかくてどこか暖かいあの雨に似ていると。ただ、
そういう雨は終わりの見えないことも多い。いつから降り出して、いつに
なれば止むのかまったく分からない果てしない雨。
「シルエット」の始めの方に出てきますが、シビレました。人間を「霧雨のような人」と表現した文章に初めて出会いました。しかも、この表現が小説の最後まで効いています。この文章だけでも非凡さをお分かりいただけると思います。講談社文庫ですから入手しやすいでしょう。これからさらに才能を伸ばしていくことが確実な若い作家の本を、ぜひ堪能していただきたいと思います。
○詩誌『馴鹿』38号 |
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2005.1.25 |
栃木県宇都宮市 |
我妻 洋氏 発行 |
500円 |
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星への願い 青柳晶子
あと片づけを終えて
サンダル履きで外の風にあたりに出る
あ お星さま
台風が過ぎて澄みきった空の
たくさんのぴかぴか光る星のなかに
見おぼえのある形
一、二、三……五、六、七と声が重なった
北斗七星だ*コが声をあげる
そうすると ふるえるように見守るように
静かに北に貼りついている
あれが
北極星だ
ふだんは雲や光に遮られて気付かなかったが
いつもあの場所にあったのだ
泣きぬれた夜も 不安の夜にも
天の柄杓から何かがあふれて降り注いでいたのだ
あるいは 天の柄杓を手に取れば
何かが掬い取れるのだろうか
事故や死の誘惑から救ってくれたのも
あの星だったろうか
いまだに何もわからずに
並んでぽけーっと空を見上げている
陸奥に幸せをすべて零して戻ってきた娘よ
あの柄杓が一回転してさかさまになるなんて
母もうっかりしていたんだよ
何気なく置かれていますが、「陸奥に幸せをすべて零して戻ってきた娘よ」というフレーズは重いですね。このたった一つのフレーズで全ての行の意味が変ってしまいました。1行の怖さ、強さを見事に表出させた作品と云えましょう。最後の「あの柄杓が一回転してさかさまになるなんて/母もうっかりしていたんだよ」というフレーズも、比喩と云い表現方法と云い、見事なものだと思います。「娘」を想う「母」の底抜けの優しさを感じた作品です。
○季刊詩誌『象』115号 |
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2005.1.25 |
横浜市港南区 |
「象」詩人クラブ・篠原あや氏
発行 |
500円 |
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道 篠原あや
特に古くもない
さりとて新しくもない普通の家
何の不自由もない生活の中に生きて
だが 心が寂しかったのかもしれない
それを
ひとは贅沢だという
そして
いつの頃からか私は
ひとりの世界に住むようになっていった
同じ心を持つ友人が増えていった
ただ 詩が好きだった
そんな女の子の眼を外に向けさせたのは
突然の
拘留三十九日という過酷な体験だった
「知らない」 ということの
無知と無責任は
そこに無防備に生きることの恐さを
心底 識った時から
却って
眼は外に向けられたのだ
「ひとりの世界に住むようになっていった」「女の子の眼を外に向けさせたのは/突然の/拘留三十九日という過酷な体験だった」という、作者の歩いてきた「道」を淡々と述べていますが、内実は大変だったろうと思います。戦前は治安維持法に引っ掛けられて投獄され、戦後は逆に刑務所の篤志面接員をするという、同じ刑務所でも二つの立場を体験しています。そして「無知と無責任」「無防備に生きることの恐さ」を私たちに教えてくれています。戦前と同じ足音が聞こえている今、読み直さなければならない作品だと思います。
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