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この花、なに? |
2005.1.11 |
自宅裏畑にて |
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2005.2.8(火)
朝から会議ばっかり。午前中は関連会社の担当者に来てもらって説明を受け、午後は分社した会社の担当者に来てもらって、こちらが説明をして、立場を変えながらの応対でしたから、ちょっと疲れました。でも、出張しないで来てもらいましたから、その分の時間は使えました。出張も月に一度ぐらいなら気晴らしになっていいんですが、毎週続くと嫌になります。そう言えば今年はまだ1回も出張していないな。来週からまた出張が続きますから、今のうちに充電しておこうと思っています。
○会報『栃木県詩人協会会報』17号 |
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2005.2.4 |
栃木県芳賀郡茂木町 |
森
羅一氏方・栃木県詩人協会 発行 |
非売品 |
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そのひと 上原キイ
嫁いだ頃 大家族への気配りが足りないと
姑に小言を言われ
風呂の水がぬるいと夫に怒鳴られ
その度に畑に出て泣いた
枝豆の草を取り
トマトの手入れをし
虫たちにその日を語って
心労を吐き出していた
息子の嫁と夫の諍いの仲裁ができず
そっと勝手口から出て
耕した大地に立つ
涙はたちまちのうちに吸い取ってくれた
今では 孫の嫁が発散の場所を
おばあちゃんと決めている
若い人のコトバには堪えがたく
蛇口を全開にして流す
四代目の愚痴は風呂敷に包み
そのひとは それを畑に向かって蒔いている
「会員の作品」欄に載せられていた詩です。
結局、人間は「大地」に救われるのだな、と思いました。私事で恐縮ですが、自宅の裏に小さな畑があって、義母が野菜を作っています。私は頼まれて耕耘機で耕すことしかしていませんが、耕す度にどんどん土が柔らかくなって、知らないなりにもいい畑になったなと思えるのです。そこで「泣いた」ことはありませんけど、日頃のストレスを「たちまちのうちに吸い取ってくれ」るような気がしています。土をいじった日は爽やかなんですね。それと近いものをこの作品は表現しているのではないかと思います。四世代が同居する「大家族」の諸々の問題を畑はじっと見ているのかもしれません。
○詩誌『花』32号 |
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2005.1.25 |
埼玉県八潮市 |
花社・呉 美代氏
発行 |
700円 |
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冬の底 渇村倭文子
来る日も来る日も雪が降り
雪の壁が窓をふさいでほの暗く
軒先から剣状のつららが室内をうかがう
冬の番人のようだ
屋根に雪の重石までかけている
ひとびとは雪下ろしや
道路の雪はねに追われ
上空に寒気が入ると聞けば
不凍栓の水を落とし
植木鉢の薄紅のつつじの花に覆いをする
背を屈めてやり過ごすしかない冬の底で
灰汁色の細い梢が春芽を点すように
雪国のひとは胸のうちにぼんぼりを灯して
如月の空の果てを夢見ている
かたくなな冬の番人の気がゆるむと
大気にかすかに東風が匂う
春がたちかえるのだ
もうすぐ千両梨の根方の雪がとけて
「氷かんざし」が春だよ と
告げるのを待っている
「氷かんざし」 春の兆し 寒暖の差による
ざらめ状の雪の造形
「雪国のひと」たちの「春がたちかえる」日を待ちわびる気持がよく出ていると思います。二度出てくる「冬の番人」という詩句も効果的と云えましょう。「背を屈めてやり過ごすしかない冬の底」というフレーズは実感なんでしょうね。「雪国のひとは胸のうちにぼんぼりを灯して」も佳いフレーズです。1月発行の巻頭にふさわしい作品だと思いました。
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