きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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この花、なに?
踊子草? 千鳥草?
はくさんちどり? てがたちどり?
2005.1.11
自宅裏畑にて
 

2005.2.15(火)

 今日は1日、画像処理で明け暮れてしまいました。光学顕微鏡で撮った写真をスキャナーで読み込んでデジタル化して(うちの光顕にはまだデジタルカメラが付いていない!)、エンボス状の画像を2値化して、エンボス状の凸になっている部分の面積を計算しようとしたんですけどね…。面白いんで、ちょっと図にしてみます。

  
  ●■  ▲▼■  

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        ■●
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 2値化するとこんな感じになって、さあ、黒い部分の面積を求めなさい(^^; 2値化するのも結構難しいんですが、これはまあ、何とかなりました。この面積を求めるのは20年も前に実用化されています。汎用コンピュータで。大型コンピュータと考えても良いでしょう。実は私、弊社で初めて(らしい)、その画像処理装置を開発・導入したんです。20年前に当時としては1000万円という驚くべき安い値段で。ですから、今のパソコンなら出来るんじゃないかという予想はありました。

 予想通り、面積計算ソフトがネットで見つかりました。しかもフリーソフト! 「Scion Image」と云いまして、東京医科歯科大と秋田大のHPに紹介されていました。米国のScion社が提供しています。説明が英文なんでちょっと使いづらいけど、何せ無料ですからね、文句は言えません。それと取り組んでいて、気が付いたら退社時間を過ぎていたというわけです。久しぶりに技術者らしい仕事をしたなぁ。楽しかったです。

 うーん、またも自慢話。多少(^^; 反省しています。



個人詩誌『粋青』40号
    suisei 40.JPG    
 
 
 
 
2005.2
大阪府岸和田市
後山光行氏 発行
非売品
 

    ぶらさがり    後山光行

   たいそう有名なブランドの付いた
   紙袋を持って歩くことが
   若い女性は好きらしい
   ブランドが近くで輝いていると
   自分も輝いていると
   思い込んでいるのだろう
   紙袋をぶらさげている人がいる
   けれども実際には
   紙袋にぶらさがっていることに
   だれも気づいていない
   名刺の社名や肩書きに
   ぶらさがっていたり
   過去の事柄に
   ぶらさがっていたりする
   男も女もそのようなものなのだろう
   ぶらさがることで生きでいる
   現代の人々は
   そのぶらさがるものが無くなってしまうと
   困ってしまって生きて行きにくい
   生きて行けなくなるのだ
   あなたもひとりの人間
   私もひとりの人間だと
   認識されている人とは
   ほとんど出会うことが無い
   ぶらさがるものが無くても
   だれもが今
   再出発することが生きることなのだ
   ぶらさげているはずのものに
   ぶらさがって生きている姿が
   奇妙に見える

 これは痛いところを突かれたなと思います。「ブランド」はどれがブランドなのか判らない音痴なんですが、「名刺の社名や肩書きに/ぶらさがっていたり/過去の事柄に/ぶらさがっていたりする」の否定できませんね。「そのぶらさがるものが無くなってしまうと/困ってしまって生きて行きにくい」は会社に限らず、地縁や大きな団体にも共通するものでしょう。「ぶらさげているはずのものに/ぶらさがって生きている姿が/奇妙に見える」と言われないようになりたいものです。



隔月刊誌『原詩人通信』119号
    genshijin tsushin 119.JPG    
 
 
2005.2
東京都品川区
原詩人社・井之川 巨氏 発行
200円
 

    歌集『さんげ』抄    正田篠枝(一九一〇〜一九六五)
           
せき
   ピカッドン一瞬の寂目をあけば修
   羅場と化して凄惨のうめき

   目の前をなにの実態か黄煙がクル
   クルクルと急速に過ぎる
     

   木ッ葉みぢん崩壊の中に血まみれ
   のまっ青の顔父の顔まさに

   天上で悪鬼どもが毒槽をくつがへ
   せしか黒き雨降る

   鈴なりの満員電車宙に飛び落ちて
   つぶれぬ地にペシャンコに

   燃える梁の下敷の娘財布もつ手を
   あげてこれ持つて逃げよと母に叫ぶ

   炎なかくぐりぬけきて川に浮く死
   骸に乗つかり夜の明けを待つ

   傷口を縫ふ糸もこれでもう無いと
   医師つぶやけり手あてなしつつ
               
おみな
   ズロースもつけず黒焦の人は女か
   乳房たらして泣きわめき行く

   石炭にあらず黒焦の人間なりうづ
   とつみあげトラック過ぎぬ

   子と母か繋ぐ手の指離れざる二ツ
   の死骸水槽より出ず

   筏木の如くに浮ぶ死骸を竿に鉤を
   つけプスッとさしぬ

   酒あふり酒あふりて死骸焼く男の
   まなこ涙に光る

   大き骨は先生ならむそのそばに小
   さきあたまの骨あつまれり
         
めしひ
   目玉飛びでて盲目となりし学童
   はかさなり死にぬ橋のたもとに

   人見れば声泣きあげて女訴ふ首席
   の吾子
(あこ)をもどしてくれと

   バンドの名前で知りし焼焦げし児
   の死骸を母だきて泣く

   焼けへこみし弁当箱に入れし骨こ
   れのみがただ現実のもの

   帰りて食べよと見送りし子は帰ら
   ず仏壇にそなふそのトマト紅く

   亡き娘のブローチ探しあてよろこ
   びし親も爆弾症の重態にふす

   七人の子と夫とを焔火の下に置き
   逃げて来し女うつけとなりぬ

   生きたさにアメリカ兵に注射薬貰
   った夢見たと語る眼のうつろ

   誰も彼も好きな人さへ嫌ひになつ
   たと言ひてのち臨終となりし男

 「反戦詩の系譜(36)」の作品です。占領下の1947年12月、GHQ検閲の眼を潜って密かに100部だけ出版された歌集で、著者は占領政策違反で死刑も覚悟していた、と解説にはありました。峠三吉の詩も価値のあるものですが、それ以上に短歌の力を感じました。拙HPでの紹介は一部を、と思いましたがどれも捨てられず、全部を転載させていただいた次第です。被爆60年を前にして、歴史の風化などと言わせない作品を、どうぞじっくりと鑑賞してください。その上で小泉政権のやっていることを考えていただきたいものです。



隔月刊詩誌『鰐組』208号
    wanigumi 208.JPG    
 
 
 
 
2005.2.10
茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション 発行
400円
 

    苺のこと    福原恒雄

   訪問宅からの帰途の車内で まだ苺だ

   皿のなかどいつも
   ひときわの
   生きもので

   ゆめ色ファンタジーがけむったら
   ゆるやかに夕暮れをむかえるだろうに おれには
   閉じない目が声なく濡れている児が透けると
   仕入れたニュースが
   電車の揺れに大仰に反応しながら
   友人の大男は
   薄荷ガムを臭わせて腕組む肩幅を押しつける

   生育阻害の薬剤を確かめに尋ねたのに
   いま異常の気象にもしたしげな呼吸すら
   はずませて
   ひき寄せた
   まるぼうずの大地に立つその児の
   おちょぼ口に
   苺のひとつでもと

   壊れた伝説にされそうだな
   だからさあ とガムを紙につつんで
   なあ ひとつぶだねよ
   きれい好きの眠たげな季節に おれら
   苺の名まえで

   薬剤でちりぢりの破壊をめぐる喉の濁りに
   生えた
   そのぶっきらぼうな
   ランナーを地に差して這わせようぜ
   きょうの空は明日の肥料になるかもしれない
   なあ おい と
   腕組み解いて
   ガム臭の染みた舌をおれの全身に擦りつける

 「閉じない目が声なく濡れている児」を「友人の大男」と「訪問」して「帰途の車内」での一場面です。「まるぼうずの大地に立つその児」は「薬剤でちりぢりの破壊」を受けていて「生育阻害」になっていると読み取れます。「苺」は、「おちょぼ口に/苺のひとつでもと」とありますからお土産に持って行ったものと思います。「生きもの」としての「苺」と「児」をダブらせて、障害児への思いを馳せた作品と捉えています。

 「児」は「いま異常の気象にもしたしげな呼吸すら/はずませて」いますから、健気さが伝わってきます。「おちょぼ口」という表現からも想像できますね。「友人の大男」の人間性も最終連で判ります。「そのぶっきらぼうな/ランナーを地に差して這わせようぜ/きょうの空は明日の肥料になるかもしれない」と言う、楽天性を持っているのでしょう。「壊れた伝説にされそうだな」というフレーズは社会への悲嘆と読み取りましたが、どうでしょう。

 作者はこれまでも障害児教育の現場の作品を何篇か書いていますが、その中でも秀逸な部類に入る詩だと思います。3人の登場人物の扱いは見事です。表面的には「おれら」としか出てこない作者自身の視線の確かさを感じます。




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