きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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この花、なに?
踊子草? 千鳥草?
はくさんちどり? てがたちどり?
2005.1.11
自宅裏畑にて
 

2005.2.27(日)

  050227.JPG    昨夜から降り続いた雪が朝には止んで、見事な雪景色になりました。この地方にしては珍しく、数年ぶりで10cmも積もりました。でも、フワフワの雪でしたから、すぐに消えそうなので、あわててカメラを持って庭に出ました。足跡をつけるのが惜しいぐいの雪でしたね。

 写真は愛嬢(愛婆?)の百個(モモコ)です。8時前の朝陽を浴びて眩しそう! 彼女は基本的には一歩も家から出ませんから、ことによったら初体験かもしれません。不思議そうに歩いていました。雷は怖がるくせに、縦棒が二本足りない雪は平気なんだ(^^;

 雪は案の定、夕方にはすっかり消えてしまいました。一夜の夢ならぬ一日(ひとひ)の夢でした。雪国の人には申し訳ないのですが、一冬に一日ぐらいこんな日があってもいいなと思っています。




詩誌『衣』3号
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2005.2.20
栃木県下都賀郡壬生町
森田海径子氏方「衣」の会・山本十四尾氏 発行
700円
 

    種    森田海径子
                 
は は
   ボレロの曲が好きで気丈だった義母 助産婦の仕事を天職と
   して半世紀のあいだ幾多もの命をとりあげ続けた

   ――そろそろ家に帰ります と風呂敷包みを大切そうに抱え
   頭をさげる義母 明日にしましょうね と痴呆がすすむ手を
   引く私――仄暮れの庭先に咲く千日紅がふたりの姿を見つめ
   ていた

   朝日が昇るころ ゆっくり家を一廻りしたあと ただいま
   と帰ってくる 日毎に義母の顔は 童女の面差しを増してい
   った

   遺品となった風呂敷包みを解く 千日紅の種がからからとゆ
   れている それは庭に早く蒔いてほしいという義母の仕草に
   視えてくる

 「義母」上に対する慈愛の気持がよく出ている作品だと思います。「明日にしましょうね」という言葉、「童女の面差し」と見る見方、「庭に早く蒔いてほしいという義母の仕草に/視えてくる」という思いが作者の優しさを滲ませています。それにしても「気丈だった義母」が「そろそろ家に帰ります」と言い出したときは驚いたでしょうね。
 「種」というタイトルも巧く奏功していると思います。「千日紅」を仲立ちとして二人の関係が美しく表現された作品です。



詩とエッセイ誌『えらん』創刊号
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2005.1.20
東京都渋谷区
梓川純氏方 えらん 発行
500円
 

    (殺)風景    佐伯多美子

   「殺」。と書いて消してみる。(しろく光る眼)。
   風景は、葉を落とし、痩せた枝が無尽にのびる。

   柿生のアパートの一室で、
   一字一字丹念にボールペンで黒く塗り潰していく。
   時折、どんより曇った重い空を見上げて。

   冷凍の春巻きをチンして、今夜の食卓。

   今日、消した文字は、三文字。
   舌で、ころがしながら反芻している。
   (しろく光る眼)。

    *

   ピンクのトレーナーを着た女の子が、
   うさぎが死んでいる、と、知らせに来る。
   抱き上げると、弾力のあるやわらかい重みが掌に伝わってくる。
   まだ硬直していない。

    見ることの冷酷。
   半開きの赤い目からうすい血を流している。

    *

   猫の獲物は、時に生の証。
   生は、一方の死。

   生きるための、(殺)風景。
   これまで何人のおのれをころしてきたことか。
   何人の他人が死んだか。

   現在(いま)存在するおのれは、
   現在存在する、他人は、

   もともと他人とおのれの境界線などなかったのかもしれない。

   生かされている。
   (しろく光る眼)。

 「(殺)風景」はもちろん殺風景≠ナしょう。「(殺)」から広がるイメージがおもしろい作品です。「(殺)」ですから、どうしても「死」と関連するのですが、それがヘンにベタついていません。アッケラカンと乾いた感じがして、そこに軽みがありますけど、よく読むとそうとばかりは言えないようです。「もともと他人とおのれの境界線などなかったのかもしれない」なんてフレーズはなかなか書けませんね。この一言だけでも重いし、1編の詩になりそうです。「(しろく光る眼)」はもうひとりの「おのれ」と採りました。




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