きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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愛嬢(愛婆?) 百個(モモコ)、
   初体験の朝陽輝く雪原を往く!
2005.2.27
自宅庭にて
 

2005.3.3(木)

 休暇を取った次の日というのは、どうしても仕事が溜まります。社内メールはドサッ、Eメールもドッサリ。毎朝7時半には職場に入り、今日は19時まで残業して対応したのですが、半分片付いたかな?という程度です。最低限の仕事だけやってきましたけど…。本当は0時過ぎまで仕事をしていても構わないんですけどね、毎日そんなことをやるわけにもいきません。体調を整えておかないと頭が回転しません。それでなくてもアタマ悪いのに(^^;

 19時半に帰宅して、夕食とって、20時からいただいた本を読み出しています。会社で使う脳とは違う部分を使っているようで、これが善いんだなと思います。ストレスの発散になっているようです。途中、お風呂に入ってお酒を呑みながらまた読んで…。お酒も薬だなと思いますね(^^;
 ま、そんな生活をしています。お、そうだ、今日はモモの節句。モモコにもお祝いの言葉を掛けなくちゃ!



詩と評論・季刊誌『新・現代詩』16号
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2005.3.1
横浜市港南区
知加書房 発行
850円
 

    シリカゲル    早川 鈍

   男は書庫からシリカゲルの結晶をもってくると石油ストーブ
   の上の鍋に入れた。
   ザラメ糖に似ている薄ずみ色のシリカゲルはひしゃげたアル
   ミ鍋の中で息づきはじめる。
   十一月の末、朝からみぞれ混じりの雨が降り、古びた図書館
   の床を重く湿らせる。
   ストーブの炎に温められた結晶はさくら色になる。その色は
   幼少の追憶をたどり、ブリキ缶にためていたおはじきと重な
   る。

   男は黙ったままシリカゲルを見ている。
   「シリカゲルは何ですか」と聞くと、
   「フィルムの湿気をとるものだ」
   男はそういうと、厚紙の切れ端でシリカゲルをざくりと混ぜ
   る。
   「きれいな色ですね」
   さくら色からうす紫色にかわったシリカゲルにすい寄せられ
   る。
   「昔、女房がシリカゲルを入れる綿の袋をつくった。それを
   貴重な書棚に入れていたが除湿器になってから使わなくなっ
   た」
   小声で話をする男の顔に陰りを感じる。

   厚紙の切れ端を男からうけとると、シリカゲルをゆっくり混
   ぜる。結晶はこすれあうたびに熱を生みだし、指さきにつた
   わる。
   真上からみているとストーブの炎で顔が火照る。
   「強い炎なのに、シリカゲルの色は濃くならないなあ。石油
   に水分が含まれているからだろう」
   男はぶつぶついいながら、ざくざくと混ぜる。

   六〇分の昼休みの後、仕事場に戻ると、目の覚めるような群
   青色に変わっている。
   「神秘的な色ですね」
   私は鍋をのぞき込む。
   「そうだね」
   男はにっこり頷いた。
   ――図書館の仕事は奥が深い、一枚の紙を手で触っただけ
   で、作られた年代がわからなければならない。
   紙は千年も生きている。停年になっても紙の世界からのがれ
   たくない。だが、おれみたいな人間は早く辞めればいいと
   思っている人がいるだろうな――
   ふと、この男から聞いたことが脳裡によぎる。

   息を吹きかえしたシリカゲルは男を呑み込もうとしている。

 特集「不安」の中の1編です。「シリカゲル」という懐かしい言葉に出会いました。確かに今は「除湿器になってから使わなくなっ」ています。手元の岩波理化学辞典で改めて「シリカゲル」を引いてみると、
 ――吸着力の強いケイ酸のゲルで、成分はSiO2・nH2O。ただし水分は2〜10%。無色または黄褐色、透明または半透明の粉末。モース硬さ4.5〜5。密度2〜2.5g/cm3。多孔性で、その表面積は1gにつき450m2におよぶものがある。吸着力は含まれている水の量と関係し、ゲルとしての構造が保たれるかぎり、高度に脱水したものほど吸着力が大きい。空気中の水分の除去、石炭ガスからのベンゼンの採取、天然ガスからの低沸点炭化水素の採取、クロマトグラフィー充填剤などに利用する(以下略)――
 となっています。「その表面積は1gにつき450m2におよぶものがある」とは凄い!

 作品中で「シリカゲルの結晶をもってくると石油ストーブ/の上の鍋に入れ」るというのは再脱水していることになります。繰返し使用が可能で、私は10回ぐらい使ったように思います。
 それではなぜ、この作品が特集「不安」の中の1編なのかを考えてみましょう。もうお判りのように最終連ですね。再生された「シリカゲル」が「男を呑み込もうとしている」のが不安なんだろうと思います。「シリカゲル」には再生力があるけど、人間である「私」や「男」にはそれが無い。「息を吹きかえした」ものに私たちは「呑み込」まれてしまうのではないか。その「不安」を謂っているのだと思います。それでは再生する「シリカゲル」は何の喩か。これはいろいろ考えられます。作品の中では「おれみたいな人間は早く辞めればいいと/思っている人」と採ることもできます。この「人」は個人ではなく組織としての「人」でしょう。そこから派生して様々に考えられますが、如何でしょうか。私にとっては考えさせられる作品でした。



詩と評論誌『櫻尺』28号
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2005.2.28
埼玉県川越市
鈴木東海子氏 発行
500円
 

 今号の評論は中村不二夫氏による「実業家水野成夫の二つの顔 ―小説『風の生涯』をめぐって―」。辻井喬著『風の生涯』の書評ですが、水野成夫は文化放送・フジテレビ・産経新聞などの社長を務めた人で、アナトール・フランス、アラン、アンドレ・モロアなどの翻訳もやった文学者です。辻井喬氏もご存知のようにセゾングループなどの社長を務める傍ら詩人としても著名です。『風の生涯』はそんな辻井氏が似たような境遇の水野成夫を書いた小説のようです。

 中村不二夫氏の観点は、堤清二=辻井喬であるのに対して水野成夫=水野成夫ではなく、水野成夫=浅野晃ではないかという点にあります。浅野晃は戦後、戦争協力詩人として攻撃の矢面に立った人ですが、その人品は攻撃者には無い純粋なものだったと説いています。浅野晃と言えば、1995年の日本詩人クラブ北海道大会に参加した人は覚えているかもしれませんが、勇払の国策パルプ工場敷地内に詩碑が建立されています。国策パルプの社長も水野成夫が務めていました。その浅野晃をひとつの軸にした書評は、冴え渡っています。『風の生涯』を読みたいと感じさせてくれます。また、辻井氏の『わたつみ 三部作』にも触れていて、これも読んでみたくなりましたね。そう思わせる書評はなかなか無いと云えましょう。



季刊文芸同人誌『青娥』114号
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2005.2.25
大分県大分市
河野俊一氏 発行
500円
 

    なずな    多田祐子

   春 別れの季節
   なずなの
   花の白さを
   知った日

   なずなは
   花の蔭から
   小さな扇をふりかざし
   三三七拍子の
   応援歌を歌ってくれた

   何百何千もの
   なずなが
   私一人のために
   三三七拍子の
   応援歌を歌ってくれた

   なずなの
   白い花群れの中から
   風が
   空に向かって
   吹いていった

 春らしい作品で、心が和みます。特に最終連が佳いですね。風がなずなに吹き付けるのではなく、なずなから「風が/空に向かって/吹いていった」のですから小さな風なのでしょう。その風は「私一人のために/三三七拍子の/応援歌を歌ってくれた」から起きたものだと読み取れます。美しい風景ですね。そんなところにまで眼を向けられる作者の感性に敬服しています。



季刊文芸誌『南方手帖』80号
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2005.3.1
高知県吾川郡いの町
南方荘・坂本 稔氏 発行
800円
 

    きれいな水    北岡武司

   きれいやで 生田川の水は。
   布引から流れてくるんや。
   「六甲のおいしいお水」や。
   ワシら せせらぎ聞いて寝るんや。
   滝山のうえに月がかかったら
   きれいやで ほんまに。

   死んだら どないするかって?
   橋の下やさかい
   誰か 見つけてくれよるがな。
   ほんで 市役所の人が 焼いてくれよるがな。
   なぁーんも心配いらん――ワシら
   なぁーんにも ないんやさかい。

   気の毒なんは マンションの独居老人や。
   こないだも――というても七月やさかい
   もうだいぶまえのことやけど
   異臭がするからゆうて
   窓ガラス破って警察が進入したら
   そら ひどかったって。

   ワシらの方が しあわせや。
   なんにもないのがええんや。
   お釈迦はんも キリストはんも
   マホメットはんも
   そない言うてはるんと ちがいまっか?
   それにしてもきれいやな 滝から流れてくる水。

 なにが「しあわせ」なのか考えさせられる作品です。「なんにもないのがええんや」とは判っていても、現実はいろいろなものに囲まれて、そこそこ便利な思いをしていて使っていて、そこから抜け出せません。キャンプが好きですから「せせらぎ聞いて寝る」こともありましたけど、それでもやっぱり必要最低限のモノに囲まれてしまいます。それで一本立ちしている気になって、最期は「気の毒なんは マンションの独居老人や」ということになるのかもしれませんね。
 作品はひとつの理想をうたっています。やる、やらないは別にして、理想のかたちを思い描いておくことは必要なことなのかもしれません。




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