きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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愛嬢(愛婆?) 百個(モモコ)、
   初体験の朝陽輝く雪原を往く!
2005.2.27
自宅庭にて
 

2005.3.7(月)

 お得意さんから午前中に電話があって、アタフタしていました。私の担当する製品に不具合があったということです。5年ほど前にも同じような不具合があったというので、過去の書面を引っ張りだしたり、当時の担当者に電話で聞いたりして、どうにか全貌を掴みました。基本的にはお客様の使い方の問題が主なんですけど、突っぱねるわけにもいきませんから裏づけのデータをとることで納得していただきました。今週から来週にかけては、そのデータ採りでキリキリ舞いしそうです。他にも来週末期限の仕事が目白押しなんだけどなぁ。
 で、結局、仕事が終ったのは20時。終った、わけではないんですけどね、とりあえずケリをつけました。ことによると土日も出勤して対応するようです。土曜日は日本詩人クラブの例会に誘われていて…。なんとか週日にがんばって出席できるようにしたいものです。

 日本詩人クラブで思い出しました。理事選挙で私が当選したそうです。日本詩人クラブの理事選挙は立候補制ではなくて、会員互選です。会員の皆様の意思を無視するわけにもいかないのですが、横浜詩人会の理事を断った手前、受けるわけにはいかないなと思っていたのですが、何人もの人に強要されています。困ったなぁ。横浜詩人会を断った理由の、仕事が忙しいというのは上述のように本当なんです。でも、理事会は土曜日にやるようですし(以前は金曜日)、ヒラ理事(以前は常任理事)でも可という声もあるし…。だから、このHPでも票を入れないようにお願いしたのですが…。悩んでいます。




詩誌『二行詩』9号
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2005.2.27
埼玉県所沢市
伊藤雄一郎氏 編集
非売品
 

    スケッチ    大瀬孝和
        ―夜の京を歩く―
     ○
   夜の鴨川に沿って歩く
   血にまみれた歴史がさむい

     ○
   叡山は暗い くらい影だ
   白い法衣をまとった季節が駆け下りてくる

     ○
   どこまでいっても川の音
   月の光を映してモノクロウムの万華鏡

     ○
   こころの妖しい気配が見破られたのだ
   突然 水鳥たちが飛びたったのは

     ○
   血まみれの自分の心が怖い
   夜の鴨川に沿って歩く

 「夜の鴨川」には「血にまみれた歴史」があるとは、よい感覚ですね。京都の歴史は血まみれだということを改めて思い起こします。「白い法衣をまとった季節」というのも佳い詩句だと思います。「叡山」と巧くマッチしていると云えるでしょう。それに最初と最後の「夜の鴨川に沿って歩く」というフレーズが効果を上げていると思います。落ち着いた雰囲気を感じさせ、京都らしさを醸し出していると云えます。二行という制約があるから、言葉も構成も必然的に鋭利になってくるのかなと思いました。



隔月刊詩誌サロン・デ・ポエート254号
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2005.2.25
名古屋市名東区
中部詩人サロン・滝澤和枝氏 発行
300円
 

    在る    伊藤康子

   凍てつく風が
   吹き抜ける二月

   女であることが哀しい
   女であることが愛しい

   心が体が異性を求める
   自然のながれ

   滅びそうになると
   女が多く生まれ
   母体が弱ると
   丈夫な子が生まれるという

   太古の昔から
   DNAに刷り込まれて来た

   生き残ろうとする生命の不思議

   今の生がすべて
   宇宙の法則に
   組み込まれている
   としたら

   愚かさもまた
   組み込まれている
   のだろうか

   消えていく命
   増えていく絶滅種

   身に付けてしまった
   無意識の奢りと優越感
   努力なくしては切り取れない

   感じていたい
   生きていることを
   命あることを

   コンクリートの割れ目から
   たんぽぽが顔をだした二月

 最終連がよく効いていると思います。第1連の「二月」とも呼応していて、全体を締めていますね。
 第4連の「滅びそうになると/女が多く生まれ/母体が弱ると/丈夫な子が生まれるという」のは知らなかったのですが、そう云われてみると合理性を感じます。まさに「生き残ろうとする生命の不思議」です。「愚かさもまた/組み込まれている/のだろうか」というフレーズはキツイ言葉ですが、それも「宇宙の法則」なら人間も納得するしかないのでしょう。考えさせられた作品です。



月刊詩誌『柵』219号
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2005.2.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    わたしの宝物    北村愛子

   十才の時 関東大震災で全焼
   仲良しの兄が行方不明で帰らなかった
   三十二才の時 横浜大空襲で全焼
   三十四才の時 夫が肺結核で黄泉の国
   それからずっと働き詰めだったかあさん
   疲れた疲れたといい続けていたね

   五才の孫娘と一緒に
   水戸黄門や銭形平次の
   テレビを見ていた時が
   一番しあわせだったのかしら

   孫娘が自転車を
   得意そうに乗りまわして
   「おばあちゃん おばあちゃん」
   と買物に行くかあさんを先導していた時が
   一番しあわせだったのかしら

   老後の心配して鬱になって
   多発性脳梗塞で
   パーキンソン症候群になって
   痴呆になって
   今は九十一才

   自分の名前も忘れるくらい
   ぼけてしまったけど
   いやなことを忘れて
   こっくり こっくり
   いねむりしている時が
   一番しあわせなのかしら

   達筆だったかあさんが
   みみずのような字で書いてくれた
   「ありがとう」の字
   キッチンのテーブルにすわって
   いつもみているよ

 「今は九十一才」になった「わたしの宝物」をうたった作品で、素直に胸に入ってきました。「一番しあわせ」が三つもあって、それら全てが私の亡くなった母にもあてはまっていて、共感できます。作者の「かあさん」は私の母であり、日本中の人たちの母であるという共通性を見出せますね。そんな普遍性を持った作品と云えましょう。最終連も良く効いています。いつまでもお元気で、と願わずにはいられません。




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