きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
愛嬢(愛婆?) 百個(モモコ)、 | ||||
初体験の朝陽輝く雪原を往く! | ||||
2005.2.27 | ||||
自宅庭にて | ||||
2005.3.13(日)
日本詩人クラブの理事について報告します。先日、理事に当選して悩んでいると書きましたが、結局、受けることにしました。何人もの方からメールや電話をいただいて、やらない、と言えない状態になりました。最大のネックは横浜詩人会の役員を断ったことです。横浜詩人会を断って日本詩人クラブを受けるというのはスジが通りません。そこで、横浜詩人会の会長に電話をして状況を説明しました。その結果、そんなことを気にしないで受けなさい、とおっしゃってくださいました。広いお気持に感謝しています。
もうひとつのネックは会社の仕事です。2年半ほど前に職種が変わって、今までのような一匹狼では済まなくなりました。会社対会社のつき合いが大幅に増えました。それで横浜詩人会も断ったのですが、この2年の理事会は土曜日に開催していますから、それなら何とかなるかなという思いになった次第です。ちなみに横浜詩人会は平日ですから、その面でも無理ですね。新しい理事会が始まってみないと土曜日開催かどうかは判りませんが、そこは事情を話そうと思っています。
さらに常任理事は無理だろうと思っています。ヒラ理事なら対応できそうです。私のわがままがどこまで通用するか疑問ですけど、そんなところを了承していただければ、最低限の年10回出席は可能でしょう。
そんなわけで応援していただいた会員の皆さん、微力ながら2年の任期を全うするつもりでおります。ご支援、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
○季刊・詩の雑誌『鮫』101号 | ||||
2005.3.10 | ||||
東京都千代田区 | ||||
鮫の会・芳賀章内氏 発行 | ||||
500円 | ||||
笑うしかないか 飯島研一
<春に死にたいなんて
西行を気どっているつもりなの>
心いい響きが俺の痛覚を麻痺させ
舜時あの日に戻してくれる
放埓な明け暮れに子守唄を重ねてくれた女の優しさに
泪せず
気づかず
遠慮もせず
のた打ちまわって生きていた時間の澱みを忘れ果て
うべない難い凍った空間を共有していたとは笑止の沙汰
女の目頭の温もりは
かしの実一つの思いやりだった
無慈悲な男の息遣いを
咎めだてもせず
ただほほえんでいた
屑籠の歳月のなかに
見え隠れする無駄の未練
やはり笑うだけか
この世の終りの屍で三途の川があふれ舟止めの知らせが届くとき
桜の花が散りはじめ
俺の墓標をかざる夢
なにやかやの気力も失せかけている今日この頃
<気どっているよりとっとと死ねば……>
桜の木蔭で女の促す声に笑うしかない俺がいる
こういう作品を書いたら飯島研一という詩人は一流だなと思います。男と女の距離感が上手いですね。それも表層の距離と奥底の距離の違いが巧みに表現されていると云えましょう。< >
の中の「女」の科白が生きています。女の前では「笑うしかない」男どもの姿は、哀れといえば哀れなんですが、ま、それで今の世の中は成り立っているのかもしれないと納得した作品です。
○個人詩誌・詩はがき『散葉集』11号 | ||||
2005.3.20 | ||||
広島市佐伯区 | ||||
楽詩舎・津田てるお氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
わが図書館
そこは いつも うす暗くて
20燭光くらいの 明かりの下で
少年は読んだ(少年倶楽部)をくりかえし
戦争中だったので
しかも幼なかったので 図書館
なんてものは 見ず知らず
あさっていたなかで 出会った夢幻
「赤い蝋燭と人魚」の絵本… *
防空壕とか サイレンのなか
少年は恐怖と戦っていた
その図書館は今も 心のなかにある
*小川未明童話集
「20燭光」とは懐かしい言葉です。私が子供の頃(昭和30年代)のトイレで使われていたのが確か20燭光だったと思います。そうとう暗いです。今の単位に直すと20ワットで良いと思います。卓上蛍光灯の20ワットはかなり明るいんですが白熱灯ですからね、今はほとんど売っていないでしょう。一般に売られているのは40ワットまでだと思います。
そんな「戦争中」の「図書館」の思い出ですが、それこそ蝋燭のような20ワットの灯で読んだ「赤い蝋燭と人魚」は印象深いだろうなと思います。あの本は暗い中で読んだ方が雰囲気が出るでしょう。私には「恐怖と戦っていた」経験がないので安易には言えないんですけど、「防空壕とか サイレンのなか」という記憶があるから「今も 心のなかにある」のかもしれません。短い詩ですが歴史の証言のようなものを感じた作品です。
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