きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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愛嬢(愛婆?) 百個(モモコ)、
   初体験の朝陽輝く雪原を往く!
2005.2.27
自宅庭にて
 

2005.3.14(月)

 仕事中に妹から電話が入って、一人暮しの父親が入院したとのこと。ちょっと慌てましたけど、結果的には命に別状はありませんでした。80歳になったし脳梗塞も何度かやっているので心配したのですが、どうも関係なさそうです。気持が悪くなったようですが原因不明で、とりあえず点滴をしながらの入院になりました。たぶん二〜三日で退院できるだろうとのことで、一安心しています。

 ヘンな親父で、息子の私が泊っても気になって眠れないから一人にさせてくれと言うのです。神経過敏なんでしょうね。それで一人暮しをしています。今回、感心したのは地域のシステムです。そういう独居老人が多い地域のようで、何かあったらどこに連絡する、そこから救急車が手配される、親族に連絡する、という体制になっているようで、そのシステムが生かされた形です。私の家から実家までは車で20分とは言え、普段は帰っていませんから助かりました。いろいろと問題はある日本ですが、ちょっと見直しています。




高木寛治氏著『石と在る』
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2003.9.1
岡山県総社市
私家版
非売品
 

 岡山県の文芸誌『らぴす』同人の著者からいただきました。『らぴす』10号から19号までに掲載した10篇を収めてあり、そのうちに2篇、「石・自然・社会」(15号)、「石に刻まれた妻」(17号)は拙HPでも紹介させていただいております。
 本著には「石小止観探求の一歩」という副題が付けられていますが、その理由を「おわりに」で次のように述べています。

    ところで、本書の副題を、仰々しくも「石小止観探求の一歩」とした、その拠り所
   は、すでにお察しの通り「天台小止観〜座禅の作法〜(関口真大訳註 岩波文庫)」
   であるが、これは「天台大師智
豈頁(五三人〜五九七)の撰述のうち、摩訶止観十巻が
   大止観とも呼ばれることに対し、わずかに一巻の小冊をもつて止観法門の要義を説き
   示しているところから生じた通称である」といわれている書である。
    まことに、恥ずかしいことであるが、その文庫本自体はほぼ十年前に購入して所持
   していたが、いままで読み通していなかった。この度、急いで、全部に目を適したが、
   充分読み込んだわけではない。ましてや、その教えを意識して実行に移した事もない。
    これから、『石』と対峙し、しっかりと観察して、『石』の在りようを生きた手本と
   も思い、「天台小止観」の内容を実践(止観)し、『定慧(禅定と智慧)』が獲得でき
   るよう、余生を努力して過ごして行きたいと、決意を新たにしているところである。
    「天台小止観 開口真大訳註 岩波文庫」の註によると、『止観』について、「止と
   は、外界の現象や乱れた物思いに動かされず、心を一つの対象に専注すること。観と
   は、諸法の真相を観察すること」と説明を加えている。

 このあとがきでも判るように、石を観るということは己の精神を見ることなのだと思います。著者のように机上に小さな石を置いて眺めるという習慣はありませんが、それでも時々、河原の石や神社の置石を眺めることがあります。なぜそういう行動をとるのか、という秘密を解明してくれる書と云えましょう。石という、どこにでもあるものを通じて人間を考える、そういう本だと思います。勉強させられました。
 なお「天台大師智
豈頁」の「豈頁」は偏と旁の一文字です。私のパソコンでは表現できないのでこのようにしてあります。ご了承ください。ちなみに「ぎ」または「げ」と読んで、つつしみおごそかなさま、やすらか、と大修館の漢和辞典には出ていました。



季刊個人詩誌『天山牧歌』66号
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2005.2.28
北九州市八幡西区
『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏 発行
非売品
 

    キャベツ    稲田美穂

   胃にやさしくて栄養があり
   どんな料理にも向く万能選手
   そのうえ保存が効くので
   一年中、食卓に上がる
   キャベツ

   高原で育つキャベツは
   収穫までに
   三九回も農薬を散布するという
   三九回も!
   わたしは自分の耳を疑った

   そういえば
   店頭に並ぶ見事なキャベツに
   虫喰い穴など捜しても見つからない
   野菜や果物が美術品のようになったのは
   いつの頃からだったろうか

   子どもの頃によく見た
   キャベツ畑にモンシロチョウが
   ひらひらと飛び交っている景色が
   わたしの記憶のなかによみがえる
   キャベツは虫たちの大好物で
   青虫に食べられて
   外葉は網のようになっていた

   野菜売り場に立つと
   あの三九回!がわたしに襲いかかり
   出しかけた手を引っ込めながら
   今日もわたしは立ち往生している

   言いようのない腹立たしさと
   苛立たしい思いにさいなまれながら

 「三九回も農薬を散布する」というのには私も驚きました。まさに「自分の耳を疑っ」てしまう回数ですね。そうやって見事に「野菜や果物が美術品のようになったのは/いつの頃からだったろうか」と思います。結局は消費者に責任があるのでしょうが「言いようのない腹立たしさと/苛立たしい思いにさいなまれ」てしまう気持は判ります。日本の食について考えさせられた作品です。




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