きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.3.31(木)

 3月もオシマイで、年度末。一日中バタバタとしていました。今日の日付で提出する書面というものは意外に多いものですね。この1年を振り返ってどうだったか、なんてことを普通は考えるんでしょうが、そんな余裕もありませんでした。無我夢中の1年でした。
 明日からは新年度。少しは精神的に余裕を持った生活をしたいものです。そのためにはミスを少なく、的確な判断を迅速に、ということでしょうけど、こう書きながら自分の文章に誤字・脱字を発見するようでは先が思いやられるなぁ(^^;





詩誌『阿由多』4号
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2002.12.10
東京都世田谷区
阿由多の会・成田佐和子氏 発行
500円
 

 新川和江さんを先生に迎えた、世田谷の詩の教室の生徒たちが創った年刊詩誌『阿由多』も今年で6号を出しました。1999年開設の拙HPでも創刊号から紹介していましたが、6号をいただいて4、5号が無いことに気付きました。強引にお願いして送っていただいた次第です(^^; ありがとうございました。

    冬の大樹    土井のりか

   ことごとく葉を散し
   いのちの はしばしまでを
   木枯しのなかで さらしている
   身一つの はだか木

   早春の空へは
   芽ぐむ梢の筆先を
   そよ風にひたし
   あれほど なよやかに
   かな文字を つづっていたのに

   遠目にながめる はだか木は
   尖った枝先を
   空の奥ふかくまでさし入れて
   天の青みを
   満身にまとって立っている

   手ぶらだったから きっと
   素直に空にとけこめたのだろう
   巨きな樹は
   天を茂らせているようにも見える

   昼には 空を
   夜には 闇を
   枝枝に茂らせて

   アラ、あれは樹の花?
   梢でまたたく 冬の星座は

 美しい詩ですね。「なよやかに/かな文字を つづっていた」「尖った枝先を/空の奥ふかくまでさし入れて/天の青みを/満身にまとって立っている」「巨きな樹は/天を茂らせている」などのフレーズは佳い視点で、詩人の力量を余すところなく伝えています。
 そして、何と言っても最終連は佳いですね。「冬の星座」を「樹の花」と捉える感性は素晴らしい。絵のように染み透ってくる作品です。



詩誌『阿由多』5号
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2003.12.10
東京都世田谷区
阿由多の会・成田佐和子氏 発行
500円
 

    桜模様    宮本智子

   犬を連れて歩いていると
   家の取り壊しをしている工事現場から
   ガードマンのおじさんが
   こちらに歩いてくる
   犬が好きでね、と言いながら
   しゃがんで うちの犬に笑いかけた

   子どもの頃、白い犬を飼っててね
   それが小学校五年のときに死んだのよ
   そしたらうちの親は それを
   俺に見せなかったんだ
   シロは? って聞いても
   なんにも言わねえんだ

   おじさんは うちの犬の喉をなで
   頭をなで
   しまいに自分の顔をなめさせる

   子どもにも見せなきゃだめだよね
   俺、見てないんだよ
   俺さ、七十歳
   一日これやって日当五千九百円
   年金じゃちょっと足りないからさ
   ずっと働くさ

   どこからか桜の花びらが
   ひらひら飛んできて 空が
   カシャッとシャッターを押した

   遠い昔に死んだシロと
   うちの犬とおじさんと私
   仲良く並んで写真に写った

 この号は5号特集という意味合いだと思うのですが、詩の他に小文を載せていました。そちらも楽しめました。少しでも散文があると、詩人の奥行きを知ることが出来ます。
 紹介した作品は第5連と最終連が佳いですね。「空が/カシャッとシャッターを押した」という感性に敬服です。最終連には宮本智子という詩人の本質が垣間見えていると思います。こういう風に世の中を見ているのだと思うと、こちらもやわらなな気持にさせられます。「桜模様」というタイトルも奏功していると思いました。



詩誌『すてむ』31号
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2005.3.25
東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会 発行
500円
 

    九月 ―彼岸に―    赤地ヒロ子

   ざらざらした陽ざしが去って
   夕暮れ
   強風だけが残った

   風が木の葉をまいあげる
   シュロの葉を
   咲き残る白や紫の木槿の花を
   ゆさぶりつづける

   ひと風ごとに
   薄くなっていく風景の中で

   今日 遠くからやってきたものと
   これから 遠くへ行くものが

   静かな夕餉の食卓で
   むかいあう

 第4連と最終連の「今日 遠くからやってきたものと/これから 遠くへ行くものが//静かな夕餉の食卓で/むかいあう」というフレーズが良く効いていると思います。「彼岸」というのは「遠くからやってきたもの」だけのものでなく「これから 遠くへ行くもの」のためのものだということが良く判ります。「静かな夕餉の食卓で/むかいあう」という情景も佳いですね。人間を考えさせてくれる作品だと思いました。



詩誌『錨地』43号
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2005.3.25
北海道苫小牧市
入谷寿一氏方・錨地詩会 発行
500円
 

    訪ねくる友    宮脇惇子

   退屈になると
   母は掌を 閉じたり 開いたりする
    むすんで ひらいて
   小さく独りごちしながら

   皺んだ掌を開くと
   溢れてくるのは いつも
   冷たい夏の 宗谷海峡だ

   敗戦の翌日
   逓信省で用意した船に間に合わなかった
   お前が 乳呑児だったから

   その船で引き揚げた職場の仲間は
   留萌沖深く沈み 海底の人となってしまった

   母の海は そこで いつも
   苦い沈黙とともに閉じられる
   ゆっくりと握られる掌

   人差し指と小指を耳にして影絵の狐
   作ってみたりする
    コン コン
   独りごちして

    <コン コン 元気ですか>
   母を訪ねて 友が来る
   若い日のままの 葡萄茶色の袴姿で
   無情の海底をさまよい
   近頃は 何度も来ているようなのだ

   でも あの人は どんな顔だったかしら

   ゆり椅子で うとうとする母
   掌はばらりと 開かれたままである
   水浸しの 友を尋ねて
   母もまた あの海をさまよっているらしい

 「船に間に合わなかった」か間に合ったかで分けられた生死。その思いを「いつも」「苦い沈黙とともに閉じ」ている「母」の姿に歴史の証言者を見てしまいます。いつまでも「あの海をさまよっているらしい」母上への作者の視線も痛々しく感じます。その母上の「掌」を見事に使った作品だと思いました。




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