きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.4.1(金)

 4月の第1日目は金曜日。当然、呑み会に行きました(^^; お気に入りの「一膳一酒」という店で宮城の「一の蔵」、最近愛飲の静岡「磯自慢」を呑んで、最後の一杯は「北雪YK35」という新潟のお酒を呑んでみました。以前から気になっていた酒で、今ハマっている広島の「獺祭」と同じ値段です。1合1500円と、店では一番高い値段でしたが思い切って(酔いも回っていたからなぁ)注文してみました。ところが何と半合しかないとのこと。値段は半分の750円を700円にすると言ってくれたんですが、600円!と掛け合ってみました。でも、却下。結局700円で呑んだんですけどね、佳い味でした。スーッと入ってきて「獺祭」よりは甘みがあります。本当にまだまだ知らない酒があるのだなと改めて思いました。

 そんな幕開けの4月。佳いお酒にも巡りあえたし、いい月になりそうな予感がしています。





詩誌『交野が原』58号
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2005.5.1
大阪府交野市
金堀則夫氏 発行
非売品
 

    雨の形    鈴木茂夫

   夭逝の画家・村山槐多は
   「失恋の記録」 という詩の中で書いた
   <槍の様に雨がふる>と
   なぜならば
   感性と狂気あふれる視覚の鋭い詩人
   でもあったから

   私の感覚では
   雨は点のように
   あるいは棒のようにふるものと
   捕らえられていた

   <水・金・地・火・木・土・天・海・冥>
   と教科書でならった世代だが
   <水・金・地・火・木・土・天・冥・海>
   と地球から見た配列の順序が変わることもあるのだった
   すなわち海王星と冥王星は周期的に入れ替わる
   と解明され明快になったように
   雨の形への認識を改めたことがある
   無風状態で落下する雨の形は
   大気の抵抗により
   <球体から、やがて底のつぶれた回転楕円体>となる
   ゆえに人工衛星からのマイクロ波は
   屈折に起因する散乱と偏波面の変動により減衰を受ける
   のであった

   「雨を見たかい」 
(Have You Ever Seen The Rain?)
   という歌もあったのに
   しかし<晴れた日の雨>には濡れもせず
   聞いてはいても
   本当には見ていなかった

                Creedence Clearwater Revival・一九七〇年のアルバム中の曲
                 日本でのシングル発売は七二年・作詞=
Jhon・C・Fogerty
                 米軍がベトナムに落としたナパーム弾の喩えといわれる

 「雨の形への認識を改めた」作品ですが、主題は「雨を見たかい」にあると思います。「
Creedence Clearwater Revival」は略してCCRとも呼ばれているグループで、私も好きで今でも聴いています。やはり大ヒットになった「Have You Ever Seen The Rain?」が一番良いですね。
 しかし「米軍がベトナムに落としたナパーム弾の喩え」とは、迂闊にも今まで知りませんでした。歌詞を訳したわけではありませんが、うろ覚えの英文を思い出すと、確かにそう採ってもおかしくありません。あの時代はそんなふうに反戦歌を創っていたんだなと改めて思います。「雨の形」にも意味があると教えてくれた作品です。



詩誌すてっぷ69号
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2005.3.19
京都市左京区
河野仁昭氏方・すてっぷ詩話会 発行
800円
 

    鏡の女    司 由衣

   ある日 鏡を覗くと
   乾いた女がいて
   ぞっとした眼差しで
   真っ直ぐこちらを見ている

   われにかえり では
   アイデンティティの折り合いをつけましょうと
   にっとはにかみながら薄紅をつけてみたら
   いまさら! と言って
   鏡の向こうで女はきしきし笑った

   今もって
   壁掛けの花は逆さに吊るされたままで
   男が帰ってくる日の予定はない
   「花ごころを忘れずにいろよ!」
   そう言って男は旅の服装で出て行ったきりで
   その後の消息は杳として無い

   めっそうな!
   いまさら男のことを切り出すなんて……
   やあだ それでもそれが誘因になって
   鏡面に含羞の薄紅が
   にじみ ひろがるわ

   思えば
   男のカッコをつけたセリフが
   歳月とともに少しずつ風化して
   今じゃ胸中空っ風が吹いて
   乾いた女のさまは
   向き合っている鏡の女こそ真のわたしだ

 男でも当然「鏡を覗」きますが、これほどの思い入れは無いでしょう。少なくとも私はそうです。失礼にならない程度の身だしなみが出来ていれば良しとしています。「鏡の向こう」の女を注視するのは、やはり女性特有の心理なのかもしれません。「乾いた女のさま」であるかどうかは別にして「向き合っている鏡の女こそ真のわたしだ」とまで断定するのは、男にはありませんね。それだけ男は己をきちんと見ていないという証拠かもしれませんが(^^; そういう意味ではタイトルの「鏡の女」は正解だと思います。鏡の男≠ナはサマにならない、、、ん? 最近の若い男は違うかな!




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