きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.4.4(月)

 朝7時半に会社に入って、帰りは夕方7時半。12時間も会社にいたので、いささか疲れました。でも、9時に会社が始まる人は12時間後というと夜9時になるのですね。同じ12時間でも、そっちの方が辛そうです。私は通勤がクルマですから往復30分ほどです。1時間も2時間も通勤時間を使う人は多いですから、そんな人はそれこそ寝るためだけに家に帰るという生活なんでしょうね。12時間会社にいても4〜5時間は自分のために使えますので、幸せといえば幸せなんでしょうか。うーん、難しい。
 どうでもいいことを考えています(^^;





長居煎氏詩集おきなわスケッチ
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2005.3.19
東京都北区
視点社刊
1500円+税
 

    海と風の宿

   素足が基本の宿に入ると
   とろとろの床が 心地よかった
   台所から洩れる 午後の陽射しが
   どこか神々しい白さで 照り返っていた

   夕食の後は 酒盛りになった
   一升瓶の泡盛が 二本三本と廻ってきた
   新顔や古株やスタッフが入り交じって
   テレビのない夜が ゆったりと更けた

   パッションフルーツの棚の下で
   昼寝する目蓋
(まぶた)に透ける光も よかった
   夜の庭のベンチから見る
   室内の明かりの暖色も よかった

   習いたての三線
(さんしん)*を探りながら聴く
   音色の変わり目の影も よかった
   けっして早くはない朝の掃除を
   手分けしてする日課も よかった

   いつまでも続きそうな夜が
   話相手を代えながら 更けた
   いつまでも懐かしく
   帰りたくなるような 海と風の中で

    * 沖縄の歌には欠かせない三弦の楽器。蛇皮線。

 T部は3ヵ月に渡って滞在した沖縄のスケッチ=AU部は憲法九条やパレスチナ問題・イラク戦争への思いを馳せた「戦前前線」という構成になっていました。
 紹介した作品は実際に在る民宿の名前だそうです。おそらく、3ヵ月の内かなりの日数を滞在したのではないかと想像しています。「よかった」と4回も繰り返していますから、相当に良かった≠フでしょうね。そんな思いが素直に伝わってきます。「テレビのない夜が ゆったりと更け」て、「けっして早くはない朝の掃除を/手分けしてする日課」、そんな日常を過してみたいものです。
 他に「糸満漁港で」「久高島」「鯨見船」「南部戦跡」「宮古島」「石垣島」「美ら海水族館」などの作品も沖縄を情緒的に描いていて印象に残りました。



詩誌『回転木馬』116号
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2005.3.20
千葉市花見川区
鈴木 俊氏 発行
非売品
 

    勧進帳    朝倉宏哉

   告別式の直前に喪主が耳元でささやいた
   お別れの言葉を述べてくれませんか

   読経が始まり 老人クラブ会長の弔辞が済み
   わたしの名が呼ばれた
   わたしは背をこごめて進み出て正座して
   遺影とその後ろの遺骨に向かって語りかけた

   「おんつあ 四日前まで元気に暮らしていたおんつあ
    わたしのたったひとりのおんつあ
    生きていることが心の拠り処だったおんつあ」

   わたしはさっき東北新幹線で雪の故郷に着いた
   いつもそうだ 雪景色は人の死を際立たせる
   九十二歳の叔父は昼食に出たハムを喉に詰まらせ
   六十七歳の息子の応急措置も空しかった

   十三年前の雪の日とおんなじだ
   餅を誤嚥した父の体はわたしの腕のなかで
   あっという間にぐにゃぐにゃと緩んでいった

   「暮れに電話したとき
    休も頭もしっかりしていると聞いて安心していたのです
    人間って突然亡くなるものなのですね
    あなたの姉(わたしの母)もそうでしたね」

   八年前の冬の夜 帰宅していきなり母の死を告げられた
   気分がわるくなったと風呂から上がって床に入り
   駆けつけた医師が診ているうちに亡くなった と

   そして叔母(叔父の妻) だ
   二年前の元日に入浴中に倒れて意識不明
   今も入院しているそのことを言ってはいけない
   さりげなくむかしのことを思い出そう

   「あなたは一兵卒として中国大陸を転戦し
    復員して半世紀 この生家で農業をし 勤めもし
    順繰りに両親を送り 晩年には待望の曾孫にも恵まれて……」

   叔父は出征中の体験を一度も語ったことがない
   穏やかな表情に時々深く淋しい影が走るのを見た
   だから軍隊生活には触れてはいけない
   遺影が勘進帳のわたしを淋しげに見つめている

   「おんつあ 生涯優しくしていただいて
    有り難うございました さようなら」

 「九十二歳の叔父」の葬儀で「お別れの言葉を述べ」ながら思い出される、数々の肉親の死。それも「突然亡くなる」場合が多いようで、親族の驚きが「いつもそうだ 雪景色は人の死を際立たせる」というフレーズに良く出ていると思います。
 「おんつあ」と語りかける口調に哀切が滲み出ていると云えましょう。遠く離れた「雪の故郷」の「おんつあ」への親しみが読者に伝わってくる作品だと思いました。



隔月刊詩誌『叢生』137号
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2005.4.1
大阪府豊中市
島田陽子氏方・叢生詩社 発行
400円
 

    いまなら    島田陽子

   見ていたのにわからない
   見えていたのに気づかない
   それはふだんと同じ顔で近づいていた
   遠くから静かにおだやかに

   なにかが起こるとは思いもしなかった
   どこかへ連れ去られるなど考えもしなかった
   何の前ぶれもなく
   土地が記憶したことばも知らなかった
   ただ 突然象たちだけが逃げ出した
   象使いの制止を聞かずひたすら海に背を向けて

   足許を浸した浅い水が
   見るまに凶暴な濁流となって襲った
   ひとびとは泣き叫びながら呑まれていった

   あの時と同じだ
   のんきに沖など眺めていたのだ
   象のように逃げもせず
   だまって呑みこまれてしまった私たち
   声を封じられ
   ひとびとも異なることばを互いに許さなかった
   いまはちがう
   いまなら まだ間に合うだろう
   大切なものを守るために

 第1連から3連は、スマトラ沖地震と大津波を謂っていますが、最終連は太平洋戦争前夜を謂っていると思います。その転換が見事な作品です。「あの時と同じだ」という言葉に耳を傾ける必要があるでしょう。そうでなければ「だまって呑みこまれてしまった私たち」を再現してしまうことになります。
 救いは「いまなら まだ間に合うだろう」という指摘でしょうか。少なくともこういう作品を発表しても、今は罪にはなりませんからね。考えさせられる作品です。



季刊・詩と童謡誌『ぎんなん』52号
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2005.4.1
大阪府豊中市
島田陽子氏方・ぎんなんの会 発行
400円
 

    まきちゃん    中島和子

   まきちゃんは
   すぐ 泣く
   やたら 怒る
   笑い出したら とまらない
   心の中が まる見えだ

   まきちゃんは
   箇条書きで話をする
    好き 嫌い
    する しない
   言葉が裸のまんま
   一直線に向かってくる

   悩みなんか ないみたいだね
   って言ったら
   ――あるよ
   と 箇条書きで言った
   その目が 何か言いたそうだった

   あの時
   私の知らないまきちゃんが
   ちょっとだけ 見えた

 「心の中が まる見え」で「箇条書きで話をする」、「言葉が裸のまんま/一直線に向かってくる」、そんな「まきちゃん」を観察する力に驚かされます。その上「私の知らないまきちゃん」もちゃんと見ている。作者の観察力の鋭さ、言葉の鋭敏さを感じて、人間に対する優しさも感じさせてくれる作品ですね。それも「ちょっとだけ」と言っていますので、作者の人間性も現れていると思います。童謡誌とは云いながら、やはり基本は人間なんだなと納得した作品です。




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