きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
桜(春めき) | ||||
2005.3.25 | ||||
神奈川県南足柄市・春木径にて | ||||
2005.4.5(火)
一日中実験で明け暮れていました。当初は20時頃まで掛るかと思っていたのですが、18時に終了しました。
液の温度を記録する必要があって、昔の職場からデータロガーを借りてきましたけど、管理者としてまだ私の名前が書いてありました。「ラッキー!これもらっていい?」と現在の担当者に聞いたけど、応えは当然「ダメ!」。たしか30万ほどの器械を4台買った覚えがあります。1台ぐらいいいじゃないかと思いましたけど、私が現在の担当者だったらやっぱりダメと云うでしょうね。ま、いいかぁ(^^;
実験は思った通りの結果が出て、成功です。この結果をもとに今週、関連会社との会議に臨みます。自分で作ったデータだから、いつもより発言力が増すだろうなあ。それが技術屋の強みですね。結局、データのまとめなどで20時まで掛って、久しぶりに身体を動かしたので疲れましたが、心地好い疲れです。充実した1日でした。
○深雪陽紅氏詩集『試着室』 | ||||
2005.3.27 | ||||
東京都新宿区 | ||||
土曜美術社出版販売刊 | ||||
2000円+税 | ||||
試着室
さあ! 脱いで 脱いで
セーターを脱いで
スカートも脱いで
重い季節も脱いで
マンネリの心も脱いで
さあ! 着てみよう
春を着て
花を着て
夢を着て
軽やかな季節に包まれよう
背筋を伸ばし
お腹をキューツと引きしめて
ほら! 小鳥になった
蝶になった
鏡の中は春らんまん
あとはドアを開けて飛び立つだけ
だが
<ああ……プラブラと下がるプライスカードが
羽根にからまり邪魔をする>
ささやかな女の夢と
無情な現実が渦を巻く 箱の中
著者の第一詩集だそうです。ご出版おめでとうございます。
紹介した作品は詩集のタイトルポエムですが、ちょっと解説が必要でしょう。著者の属する詩誌『飛天』の主宰者・磯村英樹さんは跋文の中で「作者の実業はデパートなどの婦人服売場で、二十年のキャリアを持つ売り手なのである。お客が彼女の奨めた服を持って、試着室に入るときがいちばんワクワクするという。この詩集「試着室」を手にとった読者は、作者の詩を試着するお客である。着心地はいかがであろうか」と書いています。作品は売り手の側の視線なんですが、そうとばかりは云えないようです。売り手・買い手を越えた「女の夢」を表出させているところに魅了される作品と云えましょう。
他に「男と女」「爪あと」「ゆき」「兄よ」「おふくろ」「排泄」なども佳品と思いました。今後のご活躍を祈念いたします。
○詩誌『黒豹』108号 | ||||
2005.3.30 | ||||
千葉県館山市 | ||||
諌川正臣氏方・黒豹社 発行 | ||||
非売品 | ||||
マスコット人形 諌川正臣
毛糸でつくった小さな人形
マスコットにして流行ったのは
敗色濃い大戦末期のこと
操縦席につるし
出撃していった若者たちへの
乙女たちの思いがこもる
言いたいことも言えないまま
いとおしい面影を人形にかさね
どんな思いで飛び立っていったのか
動員先の工場で
G※から貰ったと見せびらかす友
日の丸の鉢巻きりりと女学生はみんな花
俺も貰った 俺もだよと 比べあう
持ってないと肩身が狭い
「兄ちゃん これ」と手渡してくれたのは
勉強を見てあげていた隣組の子
昭(あき)ちゃんは国民学校の四年生
警報の鳴る夜は防空壕で身をよせてくる
さっそくベルトにつけて工場に通ったが
とても友に見せられる出来ばえではなかった
あの頃からもう六十年
消息の分からなかった昭ちゃんに先年再会
良き家族に恵まれていて一安心
いい歳をして宝塚にいれこんでいるとか
※G…女学生のこと、当時の中学生用語、
全国共通かどうかは定かでない。
戦争のドサクサで生き別れになった中学生や「国民学校の四年生」は多いはず、最終連でホッとした作品です。「いい歳をして宝塚にいれこんでいる」現在を謳歌してもらいたいものです。いつまた「操縦席につるし/出撃していった若者たち」が出てきてもおかしくない時代になりそうですから…。
そんな時代にさせないためにも、この作品は必要だろうと思います。もちろん、そんなことを目的に創っているわけではないでしょうが、戦争を知らない私などには貴重な作品です。その意味でも最終連を印象深く鑑賞しました。
○詩と散文・エッセイ誌『吠』28号 | ||||
2005.3.25 | ||||
千葉県香取郡東庄町 | ||||
「吠」の会・山口惣司氏 発行 | ||||
700円 |
濁流 陳 千武
混濁の河底にどんな秘密が隠されている?
留まることのない時代の
潮流にある不透明な歴史のメトロノーム
汪洋と 紫や灰色の砂塵と共に
浮かび 漂うてゆくものは何?
さざ波に反映する曙光
思いもよらない残忍な苛酷政治の中で
沈黙を守る 優しい顔の
金盞花たちは 肥沃の水分を吸って
ゆらゆらと水辺で躍る――
ああ 濁流!
谷あいから湧きでた清らかな泉が
汚れに染みた俗心を抱擁して
千萬アールもの廣い田畑を灌漑し
すくすく伸びる若苗の美を伴って
浄化された大海へ流れてゆく
濁流は、夢幻と現実を
歌の曲目に織りまぜて
美意識のすべてを磨いて流れてゆく
音たてて誇らしく
浄化された永遠の海原へ流れてゆく
註‥二次大戦後、台湾の作家呉濁流氏によって設置さ
れた文学賞は、台湾独自の歴史や文学をすべて無
視抹殺した中国国民党政権の独裁のもとで、台湾
精神崛起のメトロノームであると言える。この詩
は <濁流>
の名にヒントを得て書いたもの。
この詩は「註」が重要な位置を占めていると思います。台湾の人や台湾文学に造詣の深い人には「作家呉濁流氏」は馴染み深いのかもしれませんが、私のような浅学の徒ではお手上げです。註を見て初めて作品の意図が理解できた思いです。3連目の「濁流」が「浄化された大海へ流れてゆく」というイメージの深さが納得できます。同じことですが、そうやって見ると最終連の見事さはより際立つと思います。文化の違いを越えた「濁流」のすごさを感じさせてくれた作品です。
○季刊・二人詩誌『夢ゝ』21号 | ||||
2005.4 | ||||
埼玉県所沢市 | ||||
山本 萠氏方・書肆夢ゝ 発行 | ||||
200円 | ||||
(すべてのひとの手を) 赤木三郎
すべてのひとの手を
にぎりしめることは
できないし
(あと二日で 死ぬとしても)
空を
抱きとることだって
できはしない
上の表紙写真の右側に書かれている文字は「あと二日で死ぬとしても」という詩句です。今号はそれがテーマになっているように思います。紹介した作品はそれを具象化していますが「すべてのひとの手を/にぎりしめることは/できないし」というフレーズの裏にすべてのひとの手をにぎりしめたい≠ニいう意志を感じます。赤木三郎という詩人には、いつもそういうヒューマンなものを感じているのですが、それが具現した作品と云えましょう。
○二人詩誌『夢ゝ別冊』9号 | ||||
2005.4 | ||||
埼玉県所沢市 | ||||
山本 萠氏方・書肆夢ゝ 発行 | ||||
500円 | ||||
あとがき 山本 萠
祈り、は空を仰ぐことに似て
いる。涯しれぬものを仰ぐと、
ひとは己の卑小さを知る。貧
しい自己が、遠くの、近くの、
みずからの内の、他者を深く
想い憂うとき、祈り、はそれ
自身で光のように満ちるだろ
う。神の名を呼ばぬ者でさえ、
神のようなもので満ちてゆく。
今号では作品でなく「あとがき」を紹介してみました。申し訳ない。しかし、このあとがきは素晴らしいですね。「神の名を呼ばぬ」私でさえ「祈」ることがあります。「祈り、は空を仰ぐこと」なのか、「涯しれぬものを仰ぐと、ひとは己の卑小さを知る」のかと納得します。ただ、私には「他者を深く想い憂う」気持が足りないのかもしれません。いずれにしろ、こんな「あとがき」を書いてみたいものです。
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