きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
桜(春めき) | ||||
2005.3.25 | ||||
神奈川県南足柄市・春木径にて | ||||
2005.4.6(水)
休暇をとって娘の専門学校入学式に出席して来ました。1学年5000人もいるようなマンモス校ですから、入学式も午前と午後の2回です。我々は午後の部を指定されました。
ファッション関係の専門学校らしく、新入生の服装はバラバラでおもしろかったですね。男も女もスーツの子は半数ぐらい。あとは個性的と言うのでしょうか、突飛な格好の子ばっかりでした。写真は教授陣。教授はまともな格好でした。 待ち時間に併設されている服装史料館の一部を見ました。創立80年を過ぎた学校らしく、そこそこ充実しているようです。これで服装関係の資料が必要なときの目処が立ちそうです。 学校まで待ち時間・徒歩を含めると、小田急線急行で2時間弱。私なら通えませんけど、若い娘は大丈夫でしょう。新宿で呑んだときは一緒に連れて帰ってもらえるだろうと目論んでいます(^^; |
○会報『「詩人の輪」通信』4号 | ||||
2005.3.31 | ||||
東京都豊島区 | ||||
九条の会・詩人の輪事務局 発行 | ||||
非売品 | ||||
安藤元雄さんの「エゴイズムから出た平和
主義」という言葉も心に残りました。結婚し
て、子どもが出来たとき幼い子ども達を見て
「この子ども達が若者になった時、戦場へ赴
かせてはならない将来その手に銃を握らせる
ようなことがあってはならない」と決意した
安藤さんのそれは「私が悲しみたくない、苦
しい思いをしたくないというエゴイズムか
ら」の平和主義である、しかし、「エゴイズム
ほど強いものはない」「エゴイズムのたいまつ
を次の世代に受け継いで行く、だから私は詩
人というカテゴリーではなく、一住民として
この活躍を続けていく」という発言が心に残
りました。
今号は2月19日に上野の東京文化会館で開催された「輝け9条!詩人のつどい」の報告が主でした(私はその日、すでに金丸麻子さんのライヴに行く約束があって、こちらは欠席。ごめん!)。132名も集まったそうです。氷雨降る中、と書かれていましたが、そういえば新宿も寒かったですね。
紹介した文章は「こころ打たれて」と題された小暮妙子さんという方の寄稿の抜粋です。「エゴイズムから出た平和主義」というのは、私も日頃考えていたことですから大賛成。それが原動力になって当然、当り前だと思います。ただ、組織として動く場合はちょっと違う要素も入ると思いますが…。
3月31日付けの賛同者数も載っていました。702名だそうです。意外と増えたなと思う反面、まだまだだとも思います。2000人にも3000人にもしていかないと力が出ない。日頃いい事を言っているあの人もこの人も参加していませんね。そんな思いで作品を見てしまいますゾ(^^;
○季刊詩誌『饗宴』43号 | ||||
2005.4.1 | ||||
札幌市中央区 | ||||
林檎屋 発行 | ||||
500円+税 | ||||
春 木村淳子
雪だまを 放り上げる
どこかで かすかな
とどろき
世界に
震憾
灰色の空に
裂け目が
やがて 光の粉が 降ってくる
雪面がひび割れる
ガラス窓のそとで
崩落
カシッ と 音立てて
オレンジに つめを立てる
まっ二つに 割く
大地の皮の裂け目から
盛り上がるのは
春
黄色い槍を
突き立てて
この「春」は、やはり雪国の春だなと思います。私は小学生のときの一冬を北海道で過しただけですし、あとはスキーで長野や新潟に行った程度ですから、本当の意味ではこの作品を判っていないと思うのですが、それでも「大地の皮の裂け目から/盛り上がるのは/春」というイメージが判るような気がします。「裂け目」に「やがて 光の粉が 降ってくる」というのも、そうですね。「灰色の空」から差し込む光は春の実感だろうと思います。「黄色い槍」は福寿草を思い出しました。イメージ豊かな作品だと思います。
○遠丸立氏著『死者よ語れ 戦争と文学』 | ||||
1995.7.20 | ||||
東京都国分寺市 | ||||
武蔵野書房刊 | ||||
3398円+税 | ||||
娘と専門学校の入学式に行った帰り、著者のご自宅にお邪魔して、いただきました。著者サイン入り、篆刻入りです。しかも篆刻は間違えて逆さに押してくださいました。これは貴重! きっと高くなる(^^; でも、売りません。
さて、本著について。本著は『国文学
解釈と鑑賞』や『図書新聞』などに書かれた評論をまとめたものです。1965年から1994年までの約30年に渡る評論集ですが、著者の厖大な評論の中ではご一部でしょうね。副題が「戦争と文学」となっている通り、戦争が一つのキーワードですが、それだけに拘っているわけではないようです。
文芸評論に興味のある人は多いですから、参考に目次を掲載しておきます。
序に代えて 「戦後派」作家の戦争文学
第一部
大江健三郎
ヒロシマへ出発した青年 14
『ヒロシマ・ノート』――その位置 54
倉橋由美子
悪夢と「穴」 62
増田みず子
家出の誘惑 87
宮本 輝
『愉楽の園』 100
宮城谷昌光
『王家の風日』 106
第二部
吉本隆明
ユートピア思想としての「自立」 114
憎悪の哲学 吉本隆明のばあい 126
書評五篇
『言葉という思想』 135
『<信> の構造』 140
『戦後詩史論』と『論証と喩』 145
『隠遁の構造 良寛論』 149
対談
吉本隆明と現在――遠丸立・松岡俊吉 151
遠藤周作
遠藤周作における罪と悪 193
遠藤周作の昭和五十年代 203
『悲しみの歌』 212
野坂昭如
主要モチーフからみた野坂昭如 219
作家の性意識 236
『アドリブ自叙伝』 248
三島由紀夫
小児性――このアンバランスな人間 255
三島由紀夫のナルシシズム――『豊饒の海』を中心に 266
三島由紀夫の反社会性 277
島尾敏雄
特攻艇隊長島尾敏雄と夢の小説 286
あとがき 322
初出誌紙一覧 324
こうやって目次を見ると、詳細な内容はもちろん判らないものの、著者の意図している方向は大まかに掴まえられますね。そのための目次という意味も本来はあるのかもしれませんから当然なんでしょうが、今後、拙HPでも目次を載せるという手法を取っていくべきだと気付きました。
で、本文。吉本隆明にかなりの頁を使っていることが判ります。特に「憎悪の哲学 吉本隆明のばあい」は著者の憎悪≠ノ関する思考の深さもあって必見です。思考の深さという面では『恐怖考』という著書もあるように恐怖≠フ認識がおもしろい「特攻艇隊長島尾敏雄と夢の小説」もお薦めですね。恐怖と夢の対比はこの著者の独断場と言ってよいでしょう。
この目次に示された本を読んでから本著に入るのが常套ですけど、私は半分も読んでいませんでした。でも、考えるという面での楽しみは味わいましたね。機会あるごとに目次の本を読んでいきたいと思っています。
○遠丸立氏著『永遠と不老不死』 | ||||
1996.9.30 | ||||
東京都千代田区 | ||||
春秋社刊 | ||||
2500円+税 | ||||
こちらも目次から紹介しましょう。
まえがき 1
T
一章 古代中国の仙人 【老子・荘子/道教/「抱朴子」/「列仙伝」/「神仙伝」他】
1――「不老不死」願望と現代 15
2――神仙思想の系譜 20
3――不死願望のシンボル 仙人 30
4――仙人=神仙像の特質 52
二章 古代エジプト 【ラー信仰/オシリス信仰/ピラミッド・テキスト/死者の書他】
1――死後の「永遠」を希求した古代エジプト人 63
2――再生と不死のシンボル ナイル川 68
3――エジプト神話の形成と移行 75
4――ミイラの歴史 90
5――墓とピラミッド 96
6――動物・自然信仰 104
補稿 神話について 【シュメール神話/アッカド神話/ヴェーダ神話/ヒンドゥ神話他】
1――はじめに 116
2――古代メソポタミア神話 119
3――ヘブライ神話 125
4――古代インド神話 127
5――ペルシャ神話 132
6――おわりに 137
U
三章 アイヌの神さま 【死者の国
ポクナシリ/火の神/憑き神/熊送り他】
1――アイヌ民族と蝦夷 143
2――ヒトは元来冒険家である 147
3――霊魂という観念はいかにして古代人にやってきたか 150
4――神と霊に満ちみちた世界 155
5――神さま・人間・物のグループの共存 161
6――あの世とこの世の霊的交流と循環 166
7――川は海から発し山のほうへのぼっていく 175
8――ユカラと子守歌 177
四章 浦島太郎とかぐや姫 【「日本書紀」/「万葉集」/「尋常小学国語読本」他】
浦島太郎
1――浦島物語の変遷 185
2――浦島話の起源 192
かぐや姫
3――「竹取物語」の成立と荒筋 199
4――月の光は死の徴表 205
5――浦島話とかぐや姫話は構造的に同型 208
五章 役行者と補陀落渡海 【小角=神仙系の理由/渡海の記録/捨身行他】
役行者
1――役行者、ストーリイの変遷史 213
2――物語に登場する「母」の意味 224
補陀落渡海
3――仏教の深い翳り 227
4――不死の郷へ 235
5――海上他界観 240
主要参考文献一覧 250
あとがき 254
この中で私が特におもしろいと思ったのは「三章 アイヌの神さま」で、「5――神さま・人間・物のグループの共存」に次のような「神さまとの論争」という一節があります。
流行性感冒をはじめ人が病気に罷るのは、病気の神さまの仕業だと考えられている。病気の神
は、年中旅をしている風紀委員長みたいなもので、旅の途中、袋に病気のもとを入れておく。そ
して災を起す人、非常識な人、ハレンチな人に病気のもとをばらまくと信じられていた。病気が
はやる徽候が現われるや病気除け祈願を行う。それでもなお病いが蔓延するようなことになると
幣棚(ぬさだな)の神さまへ、火の神さまを介してエカシ(長老…村山註)たちは大論争を挑む。
「あなたの力量ならば、病神への仲介に適っていると見込んで頼んだのに、村人に風邪を引かせ
たとは何事だ。あなたの力量ははったりもいいところだ。われわれを見守るすべての責任をもつ
あなたが、こんな手抜きをしたのだから、事の次第とあなたの無責任を他の神さまがたへすべて
告発する。あなたの地位、名誉、すべて失墜するよう申し入れるだけではない。以後われわれは
あなたを神さまとして崇めないし、ふたたび依頼することもない……」
各長老はそれぞれ抗議のことばを十分述べたあと、
「そうはいってもあなたとて、あれほどの数の、強力な、神々を一時にお世話したのだから、な
かなかゆるくなかったことでしょう。いかに有能なあなたでも、人同様手のゆき届かなかったこ
とがこの結果を招いたので、あなたの本意ではなかったと考え、われわれも今回に限り容認する
ので、以後こんな不祥事が起きないよう気を配ってください……」
つまり前半で脅かし皮肉をまじえ、後半でなだめすかして結着をつけるのが、神さまへの論争
なのである。家族が不慮の事故死に遭ったときも、ほぼ同様である。家の幣棚のまえで刀を抜き、
「すべて自然界におわします神さまよ。人をこのように惨めにこの世から立ち去らせるものでは
ないぞ。あなたがたが油断しておったのだろう。人も油断しておったが、油断しておるところへ
魔神が来て人を奪っていったのだ。どうしてくれる……」
と、片手に刀、片手に棒をもち、地面を叩きながら普通でない大声を張りあげる。これをウニ
エンテという。
病死、不慮死、幼児の死……そんな不幸に見舞われたとき、彼らは神さまに詰め寄り、談判し、
大論争を挑む。これは人を神さまと同等と見なし、いわば人権を最大限認めようとするたいへん
稀れな慣習ではなかろうか。世界の神話中おそらく他に例を見ないケースなのではないか。神さ
まの、告訴への結果は、夢に現われるという。夢のなかで神さまが謝ったりする。急に獲物や幸
福が授かったりすると、これは神さまが謝っているしるしだという。
確かに「世界の神話中おそらく他に例を見ないケース」だろうと思います。いっぺんにアイヌの人たちへの興味が湧きました。こんなユニークな人たちが日本に住んでいる僥倖を感じた次第です。アイヌの伝承を調べに北海道へ行きたくなりました。
そんなおもしろい視点が詰まっていますけど、本論は人間の「不老不死」の分析です。「浦島太郎とかぐや姫」の向日性にも魅かれますね。比較的読みやすい本ですので、ご一読を薦めます。
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