きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.4.7(木)

 今日は、本当は4月26日です。20日遅れで日記を書いているのは、大冊の評論集2冊を読むのにそれだけ掛ったということですが、まあ、たまにはそういうこともあるでしょうね。
 この20日間に評論集を読みながら考えたのは、拙HPの在り方です。これはこれで私が納得した形なんですが、もう一歩進みたいと常々思っていました。もう一歩≠チて何だろうと考えた結論は、史料としての価値だろうと気付きました。今のままでは、私が読みこなせる(とまで自惚れていないと思うのですが…)作品を紹介しているに過ぎず、史料的価値は少ないでしょう。打開策は全作品紹介でしょうけど、それは無理だし著作権の問題もあります。そこで、目次を載せることにしました。目次だけなら著作権の問題も無いし史料の価値もあるだろうという浅慮です(^^;
 そんなわけで今日から極力、目次を載せます。ご了承ください。




月刊詩誌『現代詩図鑑』第3巻4号
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2005.4.1
東京都大田区
ダニエル社 発行
300円
 

   部屋             阿賀 猥    3
   野川の遊歩道で        岡島弘子    7
   三時に鐘は鳴らない      武田 健   11
   巡航             有働 薫   14
   春のオンディーヌ       水野るり子  17
   葡萄酒            倉田良成   21
   春の うみ          山之内まつ子 25
   一羽の雀           荻 悦子   28
   空っぽ/皿のはなし/よろしく 高木 護   32
   かべ             坂多瑩子   36
   日南海岸           枝川里恵   39
   再会             高橋渉二   42
   首舞             海埜今日子  46


    かべ    坂多瑩子(さかた えいこ)

   かけてくる 子どもたちの
   足音が聞こえると
   ひとり消え ふたり消え
   かべのむこうでは
   ひとり増え ふたり増え

   あたりが暗くなったのでお母さんが呼んでいる
   ジークフリートになったかつひろは返事ができない
   呼ばれない名前の子は 家に帰れない
   かべにすいこまれたまま 誰も迎えに来てくれない

   かべのむこうでは
   たくさんのかつひろがいて
   いろんなかつひろがいて
   空は よくみがいた硝子に場所をゆずり
   読みかけの本をうつしている

   かつひろのお母さんは呼んでいる
   大人のお母さんにはかつひろの足音が聞こえない
   (見たこともないこの子は だれ)

   ほら また聞こえる
   子どもたちのかけていく足音

   夕暮れになっても 家に帰れなかった子が
   硝子に小さく息をかける
   空に雲ができる
   何回も息をかける
   曇り空になる
   読みかけの本をとじる
   何もみえない

 第1連が印象的な作品ですね。「ひとり消え ふたり消え/かべのむこうでは/ひとり増え ふたり増え」というのはお伽噺のようですが、怖さを持っています。子供が生きるというのは、実はそういうことではないのか、という思いを強くします。今は乳幼児の死亡率が極端に減ってきていますけど、昔はそうではありませんでしたからね。「呼ばれない名前の子は 家に帰れない」というフレーズも同じことを謂っていると思います。「夕暮れになっても 家に帰れなかった子」が無いように願うばかりです。



個人誌『夜凍河』創刊号
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2005.3
兵庫県西宮市
滝 悦子氏 発行
非売品
 

    レム記

   特急<白鳥>は、さまざまな世代と事情を
   乗せて日本海沿いを走って行った。
   思い出したように停車すると風と方言も
   乗り降りしたが、私は海にもたれたまま
   本を読んだり、眠ったり、ときどき話を
   したりした。

 A4を三折りにした装丁ですが、個人誌として出発しようという作者の意図が伝わってくる思いがしました。作品は紹介した「レム記」と「土手」の2編だけですので目次は割愛します。
 レムはレム睡眠のレムで良いと思います。「本を読んだり、眠ったり、ときどき話を/したりした。」で、そう思いました。作品の上ではそこが重要なんですが、私は「思い出したように停車すると風と方言も/乗り降りした」という詩句にも注目しています。短詩ながら構成のしっかりした詩と云えるでしょう。



詩誌『よこはま野火』48号
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2005.4.1
横浜市金沢区
進藤いつ子氏方・よこはま野火の会 発行
500円
 

   雛の日        真島泰子  4
   黄砂の中で      馬場晴世  6
   ぎゅうていちゃん   唐澤瑞穂  8
   魚になる       加藤弘子 10
   氷雨         柊 葉子 12
   雪催い        疋田 澄 14
   EGYPT     大沢みちこ 16
   宿り木の下で     菅野眞砂 18
   翔ぶ         阪井弘子 20
   風車(かざぐるま)   浜田昌子 22
   何処かで      進藤いつ子 24
   あの日のことが  はんだゆきこ 26
   しゃぼん玉     宮内すま子 28
   たそがれの縁先で   森下久枝 30
   よこはま野火の会近況・編集後記 32


    雛の日    真島泰子

    テレビの中の老女の顔が若返って行く
    孫を抱っこしているおばあさん それから
    子どもと手をつないでいる若いお母さん
    花嫁の日 セーラー服姿 ランドセルの一年生に
    どれも楽しそうに笑っている
    そして赤ちゃんになった

   ぼたん雪の降りはじめたガラス戸の向うに
   遡って行く女の時間を映す午後のひととき

   年齢を重ねることは
   なんと優しい配慮に恵まれることか
   老いた顔は生まれたばかりと同じになった

   小さい雛飾りの傍らで
   幼い手がぎこちなく着替えさせた人形を
   私の胸に抱かせようとする
   固い体の古い人形は
   孫の温もりをほんのりと伝えて来た

 私はテレビをほとんど見ないので知りませんでしたが、第1連のような番組(CM?)があったんですね。これは楽しそうで、見たかったなと思います。
 作品としては「遡って行く女の時間」という詩句が生きていると思います。最終連はそれを読者も意識して、あるいは潜在意識として読みますから効果的だと云えましょう。端午の節句には無いものを感じた作品です。




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