きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.4.11(月)

 工場長の講話がありました。昨年赴任した工場長で、工場長の交替のたびに従業員相手の講話は慣例化しているのですが、私はほとんど出たことがありませんから、先日行われた講話も欠席していました。それが何と今回は全員出席せよとのことで、5〜6回に分けてどれかに出席することを命ぜられてしまいました。これが今日だったというわけです。

 ま、お決まりの業界の状態と当社の置かれた環境の説明が主でしたけど、驚いたことに工場全域を禁煙にしたいと言い出したのです。工場の会議に諮ったら反対が多いので今年はやらないけど、近いうちにそうすると言っていました。前も、その前の工場長も愛煙家だったからそんな話は出ませんでしたが、どうも今度の工場長は嫌煙家のようです。やれやれ。

 まだ実施されたわけではなく、自他共に認める大人しいサラリーマンである私は、すぐに何か行動を起こそうと思っているわけではありませんけど、実施されたそのとき、どうやって煙に巻くか(^^; 今から考えておこうと思っています。




隔月刊誌『原詩人通信』号外
       
 
2005.4
東京都多摩市
江原茂雄氏方・原詩人社暫定事務局 発行
非売品
 

 主宰の井之川巨さんが3月27日に71歳で急逝したとありました。お会いしたことはありませんが、どういう経緯からか2003年に102号から送ってくれるようになって、一本筋の通ったその活動に注目していた矢先です。驚いています。載せられていた井之川さんの作品を紹介します。

    もしもぼくが死んだら    井之川 巨

   もしもぼくが死んだら
   お葬式は出さないでいい
   お坊さんも招かないほうがいい
   ごく親しい人だけに集まってもらいたい

   もしもぼくが死んだら
   屍の上に小さい赤い布をかぶせてほしい
   ぼくのついに達成できなかった革命のために
   ぼくの偽りのない心のために

   もしもぼくが死んだら
   戒名なんぞ付けないでほしい
   親父の付けた名前のままがいい
   威張ったようなこの俗名がいい

   もしもぼくが死んだら
   友達にうまい酒をふるまってくれ
   ぼくが親しんだ泡盛なんかがいい
   飲んで歌でも出ればなおいい

   もしもぼくが死んだら
   集まった誰かに詩を読んでもらってくれ
   楽しい詩 皮肉たっぷりの詩がふさわしい
   ぼくの静も誰かに読んでもらいたい

   もしもぼくが死んだら
   ぼくが謝っていたと伝えてくれ
   仲違いしたままのだれかれに
   貸借を精算できなかっただれかれに

   もしもぼくが死んだら
   骨灰は海に散布してもらいたい
   沖縄のサンゴ礁の沖合がいい
   エメラルドグリーンのあの海へ

   もしもぼくが死んだら
   きみは自由に羽搏くべきだ
   ぼくというやっかいな鎖を解き放ち
   きみ自身の旅をゆっくり続けてほしい

   人はいつか必ず死ぬ
   うたい尽くせなかった詩は多い しかし
   未完の詩はだれかがうたい継いでくれるだろう
   若く貧しく名もないだれかが

 最終連に打たれます。ご冥福をお祈りいたします。



高橋次夫氏著『篠竹』
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2005.3.20
東京都台東区
獏出版刊
1200円+税
 

 矢枝という女性が主人公の小説です。敗戦直前の満州(中国東北部)から日本に引揚げるまでを描いた作品で、実父母と弟3人、嫁いだ先の夫との悲惨な引揚げの様子が描かれています。引揚げの途中で実父、半年も生きられなかった子、義父と次々と亡くしながら、やっと帰り着いた日本で矢枝も死んでしまいます。そのあとを追うように夫・佐山辰治も…。題名の「篠竹」の意味は矢枝の死を悼む辰治によって明らかとなります。

 おそらく著者の自伝に近い作品ではないかと思います。弟3人のうちの次男が著者ではないかと推定して読みました。
 引揚げ時の中国残留孤児の話題で、当時のことが語られるようになってきましたが、TVの向こうの実体験を読ませていただいた気でいます。人間の強さ、脆さを考えさせられました。著者は詩人として著名なのですけど、なぜ詩が必要なのかも判った思いをしました。文章の奥の詩心も感じました。ご一読を薦めます。そして「篠竹」の意味を掴んでいただきたいと思います。




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