きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
桜(春めき) | ||||
2005.3.25 | ||||
神奈川県南足柄市・春木径にて | ||||
2005.4.20(水)
今日は午後いっぱいを使ってプロジェクトチームの打合せがありました。大気汚染物資の減少に関するチームです。私の勤務する工場は有機溶媒をたくさん使っています。数10年前から何10億円も掛けた除去装置を稼動させていますから、効果は目に見えて増大しています。ひところの10分の1以上に減っています。しかし京都議定書も発効したことであり、更なる削減を求められています。かなり難しい段階に来ていますので、これは衆知を集めて取組もうということになりました。
総勢20名ほどのメンバーが集まりましたけど、アイディアの多さに圧倒されました。私は昨年から、そういう問題を専門に扱う委員会に属するようになって、それなりにアイディアを出して貢献してきたと自負していましたけど、直接、現場で何10年と働いてきた人には敵いませんね。しょせん頭の中だけ、机上だけだったなとつくづく思います。企業活動である以上、多少の大気汚染物質流出は止むを得ないことなんでしょうが、極力減らす、ことによったらマイカーの排出ガスの数倍キツイ目標なんでしょうけど、達成したいと思っています。
○詩と評論『gaga』2号 | ||||
2005.4.15 | ||||
埼玉県桶川市 | ||||
戸谷 崗氏 発行 | ||||
550円 | ||||
■詩
海 景 阿部裕一
2
冬の散歩 阿部裕一
4
ぼくが真剣に思ったこと 難波保明
8
位 置 難波保明 10
身ひとつ 吉岡良一 12
鳥を見る 吉岡良一 16
環 吉岡良一 20
不整脈の日々の中で 戸谷 崗 26
帰 郷 河津聖恵 35
■評論
「飢え」と「病い」 ザイン 戸谷 崗 38
――萩原朔太郎の詩における「『現存しないもの』への欲情」を中心に
編集雑録 戸谷 崗 79
鳥を見る 吉岡良一
みんな
寝坊してしまった日は
水辺のテラスで
つがいの鴨を見ている
三歳は
青い双眼鏡
彼女は古びた黒い双眼鏡
並んで 立っている
なんだか手馴れた仕草で
専門家みたいだね
まぶしいね
午後一時の太陽が
まるごと
水面にふりそそぐ
おれは
悪モノがこないように
見えないバケモノが
悪戯しないように
ぼうっと立っている
きっと
何の苦もない
しあわせそうな家族に
映るだろう
ほんの一瞬生きている
いまが 無性に
なつかしいだけなのに
しー おおきな声を
ださないでね
ませた口で三歳がいう
ちいさな指で
双眼鏡をにぎりしめて
緑!
そう
緑の首はオスで
麦藁色はメスで
つがいの鴨が描いている
真っ白な二本の線が
あんなふうに寄り添って
ゆっくり滲んでしまう
そう
失ってみて 初めて分る
ことばかりで
ただ
浮かんでいる
水の鳥たち せなか
とりわけ光っている
首
いまだけが 過失の
ように きらめいて
いる
一見、「しあわせそうな家族に/映る」作品ですが、妙に寂しさをも感じます。どんなに仲の良い家族でもいずれは「失って」しまうという大前提が作品に沈潜しているからなのかもしれません。そういう有限のものだからこそ「おれは/悪モノがこないように/見えないバケモノが/悪戯しないように/ぼうっと立っている」必要があるのだと思います。ここは痛いほど判る連です。
そういう意味では「いま」は「過失」なのかもしれません。日頃の浮ついた気持を抑えてもらった思いのする作品です。
○宗美津子氏詩集『草色の轍』 | ||||
2005.4.6 | ||||
神奈川県横須賀市 | ||||
山脈文庫刊 | ||||
2000円 | ||||
序 風の門 8
アダージョ・マ・ノン・トロッポ
唱えてみると 12
アダージョ・マ・ノン・トロッポ 16
パパラギもどき 20
だいじなことがきけましたか 26
流れない思いの袋 30
ムラサキツユクサの細いひかりが… 34
彼のカンバス 38
ガンジスの陽光のむこうから 42
群青の彼方へ 46
永遠の風景 50
テッポウユリ
一寸の灯 54
テッポウユリ 58
父の手の… 62
風渡る−母に寄せる−
群青の糸 68
永遠の衣裳 72
繰り返し口ずさめば 76
雪の十和田 80
アメシストの指環 84
ブルージュの日傘 88
紫陽花の花の雫 92
倚りかからずとうたった詩人のように 96
遡る樺太のフレップ酒 100
風渡る 106
海のことば
ことば 112
草色の轍 116
小川のララバイ 120
白い長い道―相原求一朗油彩展にて― 126
真夜中のエノコログサ 130
ホッジョー 134
海のことば 136
あとがき 140
草色の轍
ざわめきにふりむくと
草色の轍があわく続いている
馬車や馬そりが通った昔の道
私の記憶にもある道
蓬
虎杖
車前草
蓼
ふわふわと繁る淡い緑の中を行く人たち
畑を耕しに行くんだ
祖父も祖母も父も母も
道具担いで語りながら歩いている
やわらかい土の感触や
草の匂いが寄ってくる
見えてくる
祖父と祖母の手の間にぶらさがって
ぶらんぶらんしている小さな私
川の字≠フ真ん中に寝て
昔話をしてもらっている小さな私
笑い声と光る風と
心に続く草の竪琴※
浅い春の草むら
ぽかぽかの日に
片側が林の小径を
歩いていたから出会えた
蜃気楼じゃない 蜃気楼じゃない
背中があたたかいもの……
私と地続きの永遠の感覚
私を静かに歩ませる
※『草の竪琴』=トルーマン・カポーティ作
詩集のタイトルポエムです。今ではすっかり見なくなった「草色の轍」のある「馬車や馬そりが通った昔の道」を素材にしていますが、もちろん著者の生きてきた道をダブらせています。それは時に「蜃気楼」に思えることもあるでしょうが、今は「背中があたたかい」という現実味を持っています。「私を静かに歩ませる」ものは「私と地続きの永遠の感覚」なのだという最終連に、過去だけに囚われない著者の未来志向をも感じることができます。この作品を筆頭にして、確かに技量と感覚に裏打ちされた詩集と云えましょう。
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