きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
  050507.JPG    
 
 
 
 
2005.5.7
「榛名まほろば」にて
 

2005.5.6(金)

 連休谷間の出勤日。真面目に仕事しました。特記事項なし! (^^;




一人誌『粋青』41号
    suisei 41.JPG    
 
 
 
 
2005.5
大阪府岸和田市
後山光行氏 発行
非売品
 

   詩   ○――――――― 定年前( 9)
       ○――――― 再び訪れて(10)
       ○―――― いつもの時刻(12)
       ○――――― 花すいせん(14)
       ○―― おおいぬのふぐり(15)
       ○――――――― 落ち葉(18)
   スケッチ         ( 8)(17)
   創作  ★傘のなかの世界    ( 4)
   エッセイ●絵筆の洗い水(17)  (16)
       ●舞台になった石見【31】
        仏教伝来のチベット探検
             能海 寛 師(20)
   あとがき            (22)


    いつもの時刻

   寒い季節になると
   いつもの時刻に待つ電車は
   闇のなかからやって来る
   しだいに
   東の空が明るくなって
   暦のうえでは春になるが
   まだ寒い

   いつもの時刻が
   すっかり明るくなった晴れの日
   駅の建物と
   遠くの建物との間に
   太陽が昇ってきた
   雲の端のほうが金色に輝いた

   そのとき
   目の前を
   快速電車が
   大きな音と冷たい風を起こしながら
   通り過ぎた
   通り過ぎたあと
   むこうには
   おおきな太陽がすっかり昇っていて
   まばゆい

   電車が通り過ぎたあと
   もうすっかり遠くへ走り去ったのに
   まだ冷たい風が残っている
   おおきくまばゆい太陽が
   目前に顔を出している
   気持ちの晴れる早い朝

 初春の「いつもの時刻」を描いた作品ですが、「もうすっかり遠くへ走り去ったのに/まだ冷たい風が残っている」というフレーズが佳いですね。私は朝早く在来線の普通に乗るという経験はほとんど無いんですが、判るような気がします。言われてみると、確かに「快速電車」が「通り過ぎたあと」というのは一種の寂しさもあって、そんな感じを受けた覚えがあります。その僅かな心の隙間を捉えているようで面白いと思いました。ただし、ここでは「気持ちの晴れる早い朝」となっていますから、私の感じたものとは逆ですけどね。いずれにしろ、詩でなければ描けないところを作品にしていると思います。



詩誌『二行詩』11号
    2gyoushi 11.JPG    
 
 
 
 
2005.4.29
埼玉県所沢市
二行詩の会・伊藤雄一郎氏 発行
非売品
 

   春の歌                 大瀬孝和 1
   ことば拾い(わたし)          布谷 裕 2
   暮らしの妖怪(濡れおんな)       高木秋尾 2
   <ゲストコーナー> 背にそって 他   岸田たつ子 3
   クイズ・ハングルぐるぐる抄       金 美恵 3
   深更 他                安部慶悦 5
   ニュース・コラージュ         伊藤雄一郎 5

   <お便りコーナー> 8号〜10号感想・批評など    4
   舞台裏からの発言 安部慶悦/伊藤雄一郎/高木秋尾 6
   あとがき                高木秋尾 6


    ニュース・コラージユ    伊藤雄一郎

    一面
   オーナー支配 既に昔
   妻には頭が上がらない

    二面
   続くか 耳を傾ける旅
   十勝厳冬

    三面
   死刑執行 何年も延期
   足の指紋 指に『移植』するまで

    三四面
   「息子の半ズボン 何が悪い!」
   「リスナーヘの愛 感じられぬ」

    三五面
   耳に心地良い言葉ばかりでは…
   『おれおれ主義』の迫力と挫折

 この作品は新聞の見出しを組み合せたものです。「舞台裏からの発言」によると「オーナー支配 既に昔」は堤逮捕、「続くか 耳を傾ける旅」は某落語家のエッセイの見出しだそうです。そういえば見たことがあります。「リスナーヘの愛 感じられぬ」はニッポン放送問題でしたよね。
 これは二行詩のひとつの分野となるでしょう。見出しの内容に踏み込んでいくと、それこそ新聞記事であり論文になってしまいます。この思い切りの良さに二行詩の魅力があるのかもしれませんね。

 ちなみに「お便りコーナー」では、先号に対する私の感想も載せてもらっています。感想にもなっていないのですけど、ありがたいことです。お礼申し上げます。



詩誌『掌』130号
    te 130.JPG    
 
 
 
 
2005.5.1
横浜市青葉区
志崎純氏方・掌詩人グループ 発行
非売品
 

   エッセイ
    健康志向……………………………………………… 掘井 勉 …… 10
    大神島………………………………………………… 国広 剛 …… 10
    船 酔………………………………………………… 志崎 純 …… 11

   詩
    二月は南へ旅するとき……………………………… 国広 剛 …… 2
     
《今は二月 たった それだけ》立原道造
    白 日………………………………………………… 志崎 純 …… 4
    突 然(他二編)…………………………………… 掘井 勉 …… 6
    馬 鹿………………………………………………… 石川 敦 …… 8
    河……………………………………………………… 中村雅勇 …… 12
    妣
(はは)と稱 (よ)ぶ国への帰郷 ……………………… 半澤 昇 …… 14
      
―友よ献花に詩像(ビルト)(イメージ)携えよ―
    光る雨………………………………………………… 福原恒雄 …… 17
   編集後記


    光る雨    福原恒雄

   おまえだってかじかむ光りをはじいて。なんとも億劫な足どりをの
   っけた帰途の地下鉄上昇エレベーターでまた噎せたよな。呼気を騙
   して、やっとの外気。ここでも雨。せかいも疲労もまるはだか。往
   来の車も手を突っこんでいたポケットも、ないわ。きざに濡れるぜ
   いたくスタイルは身の丈に合わない。歩く歩くと、喉が鳴っても、
   またも噎せる気がついつい先刻まで地下ホールの階段席にいた耳を
   開いたか、息ぐるしい扉を閉めた胸が浚われ、光る雨を透いて霞む
   ほどにひろがる乾燥の地が身の丈をおさえつけ、路傍に染み込んだ
   呻き(息が洩れることはなかった)もが、遮るものを見つけられな
   い風に巻き上げられる、いちめん土埃の層を土埃が舞い。笑顔もあ
   った親もきょうだいも無残にちぎられて、きのうもあてのない彷徨
   で視界を色づけていたと、はなしで聞いた、あの児も、たった一つ
   の弾に貫かれたと。きょう。

   酔ったように、開くたびに、どの頁からも配られた地図帳は火の手
   を上げる。仕掛けたのはどこの仲よしか、仲のいいおまえでもない
   わなと俺にとぼけながら気合い放散の鼻息の波は酒臭いだけで、真
   向かいのおまえとのたった四十センチの距離の真下を、掘り起こし
   ても、掘り尽くせない弾痕と停電と炎上と腐乱と裸足と枯れた児の、
   隠蔽不能の臭気が舞い上がる。かたちは疾うにない。見ようとしな
   いし見せようとしない電波も写像もこえも。なつかしい水と空と緑
   と気圧のかがやきに寄り集い、離れ、眠り、ひとのかたちにひんや
   りの朝を隈どる雨音はどこからも、聞こえない。目にひびくのは酒
   の減り具合。にがいなんて部屋の隅の虫の殻にも言わせないが、ふ
   くらんでいく臓物は俺らを乾いた像に固めてしまうかのようで、い
   ま、見苦しい。

   縋りつく手を探せそうなここちよいエレベーターの整った都市へ向
   かう下降のスピードを滑って、クッションのきいた会場の座席に、
   眠ったように黙然としている横から、ほんとは上昇志向を抱いてい
   るのかいと、への字の疑問符に、新鮮な湿りのこぼれることばも餌
   も持っていなかったが、こころからの挨拶を渡したい地はあると睡
   魔の鎮座にみえた着席の尻、もそっと。でも告げなかった。固い背
   にそのとき雨は降った。演者のこえも濡れておぼろだった。スーツ
   もネクタイも、会場も。眠れやしないよ。
   睡魔を閉じこめた目に、照明の光芒が板状の伸び縮みでやってきて、
   ね小便を垂れる時間を堪えるために眠りまいと光影を追っていた子
   どもの頃の寝床に溜まる。だるいのに堅く遠くに降る雨を聞いた。
   息つめた。いまだって夜は、水分をひかえる。

   戯言も好みのきせつの雨も、今夜はつめたく光っていたから、ドラ
   マ仕立てのわざとらしい愁嘆場の台詞でしめたのだろうか。ふんば
   って、あの時あのかれは演壇で大手をひろげた。「お約束のわたし
   の持ち時間は過ぎましたが要は、闇を割って手を取りあうことです」
   満面の笑みではぐらかした、照明にかがやく正気。でも顔はどこだ。
   辻を曲がり、いっそう暗い路でコートの襟を立てても、雨。俺は抑
   えきれないで、また噎せた。蹲る失調の遠い目に追われ。それでも
   やけのように星を抱いて眠る空の手をにぎりしめようと。
   笑ってもいいよ。でも臭いからと、窓を開けるな。いや、開けろ。
   見るべきは見る。見えるか。
   近間でいまも、足裏を刺し、ふくらはぎを齧って、腰だって背だっ
   て補聴器だって染め毛だって、しもやけなら痒いのに(痛みにも狂
   う)汚れる赤みのこがひりひり襲う、疼痛の、焦げる熱い息が聞こ
   える。光る雨のまんなかに。

 主たる場所は「地下ホールの階段席」。「演者」の演題はおそらく、「真下を、掘り起こしても、掘り尽くせない弾痕と停電と炎上と腐乱と裸足と枯れた児の、隠蔽不能の臭気が舞い上がる」話。その話の時代は作者の「子どもの頃」だろうと思います。それを現在では「見ようとしないし見せようとしない電波も写像もこえも」。さらに「いちめん土埃の層を土埃が舞」うし、「きょう」「あの児も、たった一つの弾に貫かれた」のですから、沙漠の国の戦争も謂っているのかもしれません。
 そう考えると演者の話にはノッていきそうなものですが、一定の距離があるように思います。「でも顔はどこだ」にそれは現れているでしょう。「ふくらんでいく臓物は俺らを乾いた像に固めてしまうかのようで、いま、見苦しい」というフレーズにもそれを感じます。
 タイトルの「光る雨」は、作者の「だるい」気持と、かすかな希望の象徴であるように思います。かなり難しい作品ですが、五度、六度と読むうちにそんなことが判ったつもりでいます。ハズしているかもしれません。




   back(5月の部屋へ戻る)

   
home