きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.5.7
「榛名まほろば」にて
 

2005.5.25(水)

 今日は技術屋らしい仕事をしました。エンドユーザーに迷惑は掛らないものの、工場から協力会社に出荷した時点では判っていた不具合を回収して、その解析を行いました。協力会社で簡単に排除できますから、これまでは真剣に取り組んでこなかったのですが、排除の時間が馬鹿にならないことが表面化してきて、本腰を入れて改善に乗り出そうということになったものです。
 協力会社で排除したサンプルを入手して、顕微鏡観察してみると、案の定、私が考えていた原因でした。不具合の原因さえ判れば解決は理論的には簡単です。しかし、費用と現場の協力が必要になります。幸い、現場でもこの慢性不具合は認識してくれていますから、彼らに協力して解決していこうと思います。この製品が始まって20年近く経とうとしています。今まで誰も手掛けなかったことをやるかと思うと、自己顕示欲の強い私は、急に力が湧いてくるのを感じます(^^;




情報誌『なびーる』64号
       
 
 
 
 
2005.1.15
神戸市中央区
ひょうご芸術文化センター 発行
400円
 

  <目次>
   特集 大震災から10年〜体験をつなぐ
      阪神・淡路大震災・新潟中越地震・台風水害

   インタビュー/震災10年に聞く――
   ■「黒い虹」を七色に――神戸レインボーハウスを訪ねて………………………4
   ■芝居する心は焼け落ちていない――道化座・須永克彦さんに聞く……………7
   ■震災のあとに生まれた芸術――詩人・伊勢田史郎さんに聞く…………………10

   ひとみのマンガ時評 広瀬ひとみ ………………………………………………2・3
   詩 起震車体験/築山 結衣…………………………………………………………2
     おじいちゃん/伊賀 真意………………………………………………………3
     砂のように/和田 英子…………………………………………………………23
   ●震災から10年、今思うこと/田中 大善…………………………………………13
   ●語りつぐことの大切さ/杉山 明男………………………………………………16
   ●追悼式を子どもたちの手で/芦屋市立精道小学校………………………………18
   ●震災の風景−「こいのぼり・大空を泳ぐ魚」/前田 豊稔……………………24
   ●あの震災から学んだこと/長尾 美幸……………………………………………27
     小学校2年で体験した大震災を高校3年で語る

   '04 10月/但馬 ・ぼくは負けない、子どもたちと共に/田中 啓悟…………33
   '04 10月/淡路 ・台風被害ボランティアに参加して/森 健太郎……………36
   '04 10月/新潟 ・新潟県中越地震へのアース派遣/伊藤 進二………………38

   ■ボランティア活動の現場から/連合兵庫――連合救援ボランティアとは……45

   ♪「しあわせ はこべるように」楽譜・歌詞…………………………………表紙裏



    てんごくのママヘ

    じしんのとき、ぼくは、3才でした。1
   月17日のあさ、ゴーゴーといえが、よこに、
   大きくゆれました。ぼくは、なにかにうも
   れてうごけなくなりました。
    きがついたらパパが、たすけてくれまし
   た。じしんでママは、しんでしまいました。
   ママは、とてもやさしかったです。でも、
   あまリママのことは、小さかったのでおぼ
   えていません。
    がっこうがおわってから、レインボーハ
   ウスに、いってあそぶのがたのしいです。
   おにごっこが、すきです。レインボーハウ
   スのともだちは、みんなパパやママがしん
   でしまったので、かなしいです。
    ときどき、ママにあいたいなあとおもい
   ます。もしママにあえたら、いっしょにあ
   そびたいです。
    ぼくは、しょうらい、えかきさんになり
   たいです。そして、うみのえを、かいたり
   しんだママのかおを、かきたいです。
    ママ、ぼくと、みんながこれからも元気
   で、くらせるように、てんごくからみまもっ
   てください。
     2001年1用13日
      偲び話し合う会で
        中埜 翔太(小学枚3年)

 「インタビュー/震災10年に聞く――」の中の「■『黒い虹』を七色に――神戸レインボーハウスを訪ねて」に載っていた作品です。詩と呼ぶか散文とするか迷うところですが、そんな分類なぞ意味のないことだと言い切れてしますものを持っています。「レインボーハウス」は震災で心の傷を負った子の拠り所です。「レインボーハウ/スのともだちは、みんなパパやママがしん/でしまったので、かなしいです。」「ときどき、ママにあいたいなあとおもい/ます。」という飾らない言葉に胸を締め付けらる思いをします。
 阪神・淡路大震災から10年、その思いだけでなく新潟中越地震、台風水害までも目を配った雑誌で、忘れてはいけないものがあることを改めて認識させられました。




詩誌『幻想時計』24号
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2004.4.10
兵庫県明石市
増田まさみ氏方・幻想時計編集室 発行
600円
 

  <目次>
   詩  金田 弘 2 神を救え
     中堂けいこ 4 白線、Rまで
      渡辺信雄 6 水庭
   たかぎたかよし 8 地上
      仲 清人 11 肯定
           *
   俳句 わが出自 15 たむらちせい
        飛白 16 永末恵子
       春の星 17 増田陽一
       行進曲 18 永島転石
        晩餐 19 増田まさみ
           *
   ●特集     21 「字面」を読む
      木辺弘児 | たかぎたかよし
      仲 清人 ↓ 永島転石
     増田まさみ 33 渡辺信雄
           *
     ビッグバン 34 木辺弘児
           *
    寄稿の人びと 38 プロフィール
    同人著書紹介 39 アドレス
    幻想時計燈台 40 あとがきにかえて



    水庭    渡辺信雄

   工場の隅に水槽がある
   そこで鯉を飼っていた人がいたが
   ある日を境に
   鯉は消えてしまった
   今は水庭として
   石が置かれ
   水草が揺らいでいる

   ある日私のデスクワークはなくなり
   上司から「水庭の世話」を命じられた
   水槽の石を磨くために
   水のなかへ首を入れた
   手は使わずにという条件だった

   息を止め
   石を拾い上げる
   一個、二個、三個…
   拾って渡すと
   今度は別の石を持たされて
   落とさないよう底へ持っていく

   すると
   また石を拾えという
   石は重くなるばかりで
   底からはがして持ち上げようとすると
   硝子が罅割れて
   水庭は崩れていった
   水浸しの工場に
   浮かんでいる
   金魚数匹と工場長

 「拾って渡すと/今度は別の石を持たされて」というのは、詳細は忘れましたが伝説か神話であったように思います。丘の上まで石を持ち上げて、それが終ると麓に転がしてまた運び上げる、そんな内容だったと思います。それが妙に現代と通じていて、気になる作品ですね。「デスクワーク」「上司」「工場長」という言葉がリアルで、それが詩句として成功していると思います。最終連の「水浸しの工場に/浮かんでいる/金魚数匹と工場長」というフレーズが効いていて、現代の寓話とも謂うべき作品だと思いました。




詩誌『幻想時計』25号
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2005.2.25
兵庫県明石市
増田まさみ氏方・幻想時計編集室 発行
600円
 

  <目次>
   詩         消える母 2 川野圭子
              鮠の夏 5 吉井 淑
              日の洞 8 たかぎたかよし
               again 10 渡辺信雄
              サルよ 12 仲 清人
                  *
   俳句        水の記憶 15 各務麗至
             枇杷の花 16 杉田 桂
             無数の唖 17 永島転石
               漫才 18 増田まさみ
                  *
   ●特集       木の辺り 19
        エゴン・シーレの木 20 たかぎたかよし
             木の記憶 22 仲 清人
        足を伸ばしませんか 24 永島転石
            苔のゆくえ 26 増田まさみ
          木枯しのあとは 28 渡辺信雄
           スペードの木 30 木辺弘児
                  *
   書評
   たかぎたかよし詩集『見跡記』 36 木辺弘児
                  *
            二冊の句集 39 増田まさみ
                  *
           寄稿の人びと 40 プロフィール
           同人著書紹介 41 アドレス
           幻想時計燈台 42 あとがきにかえて



    日の洞    たかぎたかよし

   気配が真実なのでしょうか
   日の洞に居ます
   見えぬものよ
   暁の雨 宵の蝶
   ここをどこと知りたいね
   シオカラトンボを引き千切ってオニヤンマに食わせたりした
   日の移りに
   色が違ってくる 音が消えていく

   悲しみのように齟齬を噛んでいます
   一匹の蠅の
   毛むくじゃらな六本の肢
   億年にわたる具体のなんと目に軽いこと
   風声を聞くここは
   一生と数える歳月では抜けられはしないのだけれど
   今は ありありと私の死後でしょうか

   居ぬ人を目で追うといういまわの際まで
   一刻に高まり
   一瞬に引く
   時の潮
   行くしかありません くちばし上向けた鳥のように
   引っ掻かれた夕焼け雲を
   見知らぬ誰かが懐かしそうに見上げるずっと後の世になっても
   ここは一帯 初めてのこの世なのです

 「私の死後」を主題としていると思いますが、詩句の斬新さに魅かれました。「億年にわたる具体のなんと目に軽いこと」というフレーズは「蠅」が「億年」に渡って種を保ってきたことを言っていると思います。その「具体」が「目に軽い」というのは佳い表現と云えるでしょう。「一生と数える歳月」という言葉も佳いですね。死を「くちばし上向けた鳥のように」と表現することも瞠目しています。そして死語の世界を「ここは一帯 初めてのこの世なのです」とした最終行も秀逸です。タイトルの「日の洞」とともに成功したフレーズと云えるのではないでしょうか。




渡辺信雄氏詩集『宙吊りの夏』
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1997.6.10
兵庫県明石市
霧工房刊
2375円+税
 

  <目次>
    *
   草の時間 8
   追跡 10
   町 12
   苦い体液 14
   月から遠く離れて 16
   微かな息 20
   消息 22
   死角の男 24
   樹に呼ばれて 26
   流転 30
   かくれんぼ 32
   ブルンブン 34
   巡礼 36

    * *
   冬の夢 40
   黄昏まで 42
   風の日 44
   黒い揚羽が 46
   月光電車 48
   骨になる 52
   村 54
   盲目 56
   再会 58
   ふいに死者が 62
   至上の音楽 64
   銃にパンツを 66
   遺されたもの 70
   変身
(メタモルフォス) 72

    * * *
   あとがき 76



    再 会

   アイバンクからではなく 知人の情報で場末の蚤の
   市に 私の眼に似たようなものが並べられていると
   聞いた 二十年前に無くしていたものだ あなたは
   視野が狭いのよ という女の吐いたことばに 水晶
   体が傷つき死角が膨らんでいることを言いかねて
   別れたのだった

   それから階段を避け暴力を避けた 臆病だと言われ
   ようと暗黒を漂うよりはましだった 二十年前の眼
   に出会うことは 育てたわが子に再会してみたい思
   いに似ている それはガラクタに混じって無造作に
   あった 干涸びた貝のような物体を拾い上げ かつ
   てあった眼高に嵌めてみた すると見えるのは現在
   ではなく過去の時間 ハイジャックで飛んで行った
   日本赤軍 自衛隊を前にアジテーションし自刃した
   三島由紀夫の首 長髪で痩せた風体の自分 それら
   錯綜する風景に懐かしさを覚えながら 急いで元の
   位置に返した 砂塵の舞う道がアスファルトに塗り
   囲められる匂いがしている

 詩集の帯には「事故で一方の視界を失い、兵庫県南部地震で生存を揺さぶられた詩人が、死者たちの夢への鎮魂と自らの思いを重ねつつ綴った詩篇」とありました。詩作品ですから作者の実生活に囚われる必要はないのですが、鑑賞の助けにはなると思います。「
あなたは/視野が狭いのよ という女の吐いたことば」は軽いジョークとして受け止めるとしても、「すると見えるのは現在ではなく過去の時間」というのは、ちょっと重いと思います。「二十年前に無くしていた」「私の眼」は、この20年間を知らないわけで、喪失≠ニは何かと考えさせられます。「急いで元の位置に返した」ということは喪失≠フ本質を突いている言葉ではないかとも思います。失くしたものとの「再会」とはどういうことなのかと、しばらく考えてしまった作品です。




新倉葉音氏詩集傾く麒麟
    katamuku kirin.JPG    
 
 
 
 
2005.4.1
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

  <目次>
   傾く麒麟 8
   晩冬 12
   春もよう 18
   雨の止むまで 22
   通り抜けるまなざし 28
   樹間を彷徨う 36
   放射から集中そしてその向こう側へ 40
   螺旋 44
   植物的寓意 48
   消息 52
   暑い夏は来なかったのに 56
   鬼ぐるみの木の下で 60
   通過する記憶の中の人 64
   ひとりごと 68
   砦 72
   覚める 76
 いま
   さらされて現在 78
   散歩 82
   澄ます 86
   雨上がりの風の強い日に見たもの 90
   素描 94
   孤鳥 98
   藪枯らし 102

   寓意からの伏撃 長谷川龍生 106
   あとがき 110




    傾く麒麟

   後ろで閉まるドアの音
   追いかけてくる電話の呼び出し音
   放っておく勇気の先に
   素
(す)の静謐さを求め
   うずくまる影を跨いで外へ

   果てのない原野を背景に
   傾いで疾走する麒麟たちが
   あっという間に視野の外に消え
   その残像はこびりつく気配で内部へと

   遮光カーテンを閉じても外が見えている人は
   外の音が聞こえている人は
   疾走する麒麟を抱いたまま
   素の顔を求めて
   点滅する背景を描き続けている

   ずっと描いている
   立ち木のない 花のない
   ただ潅木と草だけの
   潮風の吹きすさぶ原野を
   幾千ものタッチに
   草はゆるい斜面を上りながら
   散逸しかけている記憶を引き寄せながら
   ていねいに塗り込めてゆく
   私たちは生涯に いったい何枚の自画像を描くのだろう
   それをせせら笑う人たちがいる

   この国の 描こうとはしない人たちは
   その存在を傍らに押しのけて
   光るフレームを愛するばかりで
   背景のない 借り物の自画像を
   消えかけている床の間に疑いもせず 正しく置いて
   大きく領き ゆるぎなく繋げてゆくのだ
   笑いたければ笑えばいい

   蒼い低山の重なり その谷間から昇り立つ靄
   樹皮から葉先まで濡れている木々
   美しくありふれた風景では描ききれない
   解き放たれた 素の顔の自画像は
   その自画像の背景は
   捕らえて離れない
   傾く麒麟が浮彫のように現れ 疾走する
   どこまでも続く国籍不明の草原なのだ

 詩集のタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。この作品を重視する著者の思いが伝わってくる詩と云えましょう。「傾く麒麟」という寓意の具体は第5連に表出していると思います。「光るフレームを愛するばかりで/背景のない 借り物の自画像を/消えかけている床の間に疑いもせず 正しく置いて」いる「この国の」「自画像を」「描こうとはしない人たち」。その対極としての「素の顔を求めて/点滅する背景を描き続けている」人は著者なのだろうと思います。
 「描く」という観点では「立ち木のない 花のない/ただ潅木と草だけの/潮風の吹きすさぶ原野」、「草はゆるい斜面を上りながら」というフレーズに魅かれます。ある面では荒涼とした風景ですが、そこを「ていねいに塗り込めてゆく」著者の姿勢を見ることができます。イメージが重層して、何度も読み返して堪能した秀作です。




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