きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.5
「宇都宮美術館」にて
 

2005.6.1(水)

 今日は写真の日、電波の日、気象記念日なんですね。写真は仕事柄、電波はアマチュア無線をやっていたことから知っていましたが、気象記念日までは知りませんでした。
 そしてもうひとつ大事な日。酒匂川の鮎解禁日なんです(^^; 私は釣をやりませんけどね、工場排水が心配なんです。もちろん排水処理設備はしっかりしていますからその面での心配はないんですけど、人間のやることですからね、ちょっとした手違いで大事故になってしまいます。釣り人が待ち望んだ解禁日に汚水を流してしまった、なんてことになったら企業生命が断たれます。1年で一番緊張する日と言っても過言ではないでしょう。幸い、今までのところ事故はありません。ま、1年に一度ぐらい緊張しろ、ということかなと思っています。




蓑和田初江氏詩集『炎の花』
    honoo no hana.JPG    
 
 
 
 
2005.5.25
栃木県宇都宮市
自然社刊
1100円
 

  <目次>
   T
    掛 軸 10
    雪が降る 12
    桜 14
    夕 日 16
    あかり 18
    金色の月 22
    小 道 24
    ある夜 26
    夕 陽 28
    しまい湯 30
    時 32

   U
    元日草 36
    はるこがねばな 38
    黒あげは 42
    うまおい 44
    まだらかまどうま 46
    菜の名前 48
    春の庭 50
    まむしぐさ 52

   V
    むじな 56
    河川敷 60
    瀧 62
    冬山で遊ぶ 66
    いのしし 70
    はなれ猿 72
    さんしょう 74
    もうひとつ 76
    炎の花 80

   あとがき 84



    掛 軸

   山へ登ろうとしているもの
   川岸にいるもの
   川を泳ぐもの
   六匹の亀が
   思い思いのかたちで
   一瞬 静止している

   亀たちの世界が崩れる
   もうすぐ ばらばらとはがれる
   なんとかならないかと
   経師屋にたのみこむ

   三代前からあったというだけで
   誰の作かわからない絵
   古い床の間にまた掛けられ
   亀は
   どこかへたどりつこうとしたまま
   時だけが流れている

 詩集の巻頭作品です。お住い近くの自然をうたったもの、親族を描いたものが多い詩集ですが、根底には視線の優しさがあるように思います。そんな中でのこの詩は「三代前」以上続く旧家の「時」を扱った見事な作品と云えましょう。「亀たちの世界が崩れる」ことが問題だと判るのですが、読者には「時」が「もうすぐ ばらばらとはがれる」というように読み取れて面白いところです。絵である「亀」が「どこかへたどりつこうとしたまま」だというのも佳いですね。「なんとかならないかと/経師屋にたのみこむ」というフレーズは著者の視線の優しさ≠感じるところです。詩集の持つ味を最も良く現した作品だと思いました。




詩とエッセイ『沙漠』238号
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2005.6.10
北九州市小倉区
餘戸義雄氏方・沙漠詩人集団事務局 発行
300円
 

  <目次>
         ■詩
     藤川裕子 3 落日
   柳生じゅん子 4 忘れもの
     平田真寿 5 夢の果て
     河上 鴨 6 照明技師
     宍戸節子 7 ちょっと違うだけで
     柴田康弘 8 高城山にて
     藤井智信 9 判決のとき
     坪井勝男 10 道の神
    千々和久幸 11 火処の夢
     原田暎子 12 陽ざしあふれ
     中原歓子 12 透明人間
     岩下 豊 14 生きものたち
    佐々木久幸 14 無抵抗
     福田良子 15 小さな窓から
     秋田文子 16 一枚の夢
    推名美知子 16 憾満ガ淵
     風間美樹 17 詩のような
     餘戸義雄 18 月明かり
     光井玄吉 19 失業
     菅沼一夫 20 鼬の死
     坂本梧朗 21 最後の一杯
    犬童架津代 22 青年の樹
    川坂美代子 22 氷河の青が
    木村千恵子 24 さやかちゃんのステップ
     織田修二 24 煤煙
     麻生 久 25 バトンタッチ

       ■エッセイ
     光井玄吉 26 「やきもの」考(5)
     塚田照代 27 美夜古から

       ■書詩評
   柳生じゅん子 29 真実を掴み出す腕
     河上 鴨 30 詩人の眼(17)



    失業    光井玄吉

   君が代は千代に八千代に よりも
   俺の世が千代に八千代にでありたいものだ

   王様が安楽に暮せるよりも
   俺の暮しが安楽でありたいものだ

   卒業式に色々な仕掛けをして
   王様えの忠誠心を試めす
   セレモニーにした
   文学者崩れの
   珍妙な知事さんもいらっしゃる

   いつだったか 臣某が
   王様にすり寄って
   國歌と國旗に國民が
   もっと敬意を表すようにさせますと
   言上したが
   王様は
   強制しない方が望ましいと
   のたまうた

   王様の世か
   千代でも八千代でも
   俺の知った事じやないよ
   首になった今の俺の世は
   大変なのだ
   大変なのだ
   大変なのだ

 「俺の世が千代に八千代にでありたいものだ」とはよく言ってくれたものです。「王様が安楽に暮せるよりも/俺の暮しが安楽でありたいものだ」というのは庶民の偽らざる気持でしょう。そんな庶民の感覚と違う「文学者崩れの/珍妙な知事さん」や「臣某」がいますけど、「強制しない方が望ましいと/のたまう」「王様」であることに少しは安堵しています。作者が「首になった」かどうかは詩として読めばよいことですが、実際に「失業」した人にとっては「王様の世か/千代でも八千代でも/俺の知った事じやないよ」という気持は本物でしょう。切り捨てていく言葉が魅力の作品だと思いました。




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