きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.6.5 | ||||
「宇都宮美術館」にて | ||||
2005.6.5(日)
土曜・日曜と栃木市、宇都宮市に泊り込みで行ってきました。拙HPでも何度か紹介しています詩誌『烈風圏』の主催で「蔵の詩まつり」が行われまして、呼ばれてノコノコと出掛けた次第ですが、良かったですよ。
「詩のオブジェ展」が5月27日から6月5日まで。「心のひびき−声とのであい」と題した朗読会が6月4日、この2本立てでした。私は4日に行きましたので、その両方を堪能することができました。 「詩のオブジェ展」の会場は左の写真のような蔵で、「太田家見世蔵」と言うそうです。佳い雰囲気でしょう! 栃木市の観光名所「山車会館」のすぐそばですから、一般の観光客も訪れていました。で、内部は下の写真のような感じです。ちょっと薄暗くて、これも佳い雰囲気でした。 朗読会は飛入りも含めて20名近くの方が朗読。事前の用意されていた朗読詩集は奇麗に製本されていて驚きました。指名されて私は朗読をせずに挨拶だけで勘弁してもらいましたけど、日頃お名前だけは存じ上げている方のお顔が判って、作品にもより親しみを感じるようになりました。詩は文学作品ですから個人の顔かたちは関係ないはずなんですけど、ご本人と直に接した方が理解が深まる、、、これ、持論です。作品を読み取る能力の無さをカバーしているだけ、という声も聴こえてきそうですが(^^; |
朗読会までの待ち時間を利用して、地元の詩人たちに栃木の街並みや「とちぎ山車会館」などを案内していただきました。本当に奇麗な街で、特に川沿いが好いですね。私の住む足柄山の山裾とは大違い。足柄山は自然美ですけど、栃木は人工美で、どちらも空が広い! 夜は宇都宮のホテルにチェックインしたあと、行きつけになったスナックに連れて行ってもらい、お店の他のお客さんとも一緒になってカラオケ三昧。5日は宇都宮美術館を案内していただきました。宇都宮美術館は日本でも珍しい第二次世界大戦前後の各国のポスターがあって、大満足。世界史、特に近代史・現代史の好きな私には堪えられない展示でした。好きな野見山暁治さんのコーナーもあって、何度でも行きたい美術館です。で、美術館で撮った写真は、この頁の上のてんとう虫。接写レンズを使わなかったせいかピントが葉の先端にいってしまいましたけど、気に入っています(^^; |
好い休日でした。栃木県の皆さま、ありがとうございました。特に、4日のみならず5日までお世話いただいたお二人には改めて感謝申し上げます。今度は箱根か横浜をご案内しますからね、来て!!
○柳沢幸雄氏詩集『少年』 | ||||
2005.1.10 | ||||
群馬県伊勢崎市 | ||||
紙鳶社刊 | ||||
3000円 | ||||
<目次>
少年 (1) 8
少年(2) 12
少年(3) 16
少年(4) 22
少年(5) 28
少年(6) 32
少年(7) 38
少年(8) 42
少年(9) 46
収容所のある風景 54
硝子の社会 58
夏の記憶 62
記憶 66
少年兵 70
月蝕 74
日食 78
失われた楽園 82
捜索願い 88
不思議な森 94
風の詩 100
霧の音が聴こえる 104
●
初出誌一覧表 108
あとがき 110
夏の記憶
僕が生まれてきたのは
父が戦争から
生きて帰ってきたからだ
無事に
旧満州で四年間もの間
自分の意志に関係なく
見知らぬ相手と
国が違うと言うだけで
生命を賭けて
戦って来た
昭和二十一年
父は帰ってきた
引き揚げ船にやっと乗ることが出来た
当時
終戦をむかえても
祖国日本に帰ることは容易ではなかった
その日を
生きていくのが精一杯だった
旧満州の真ん中で放り出された
父の運命
食べるものは底を尽き
戦友は飢えと寒さで次々と死んでいった
自由の身になったとはいえ
明日には確実に死が待っていた
早く港に行き
船に乗らなければ
生きて日本には永久に帰れない
父は歩き続けた
何十キロと
祖国日本へ帰るために
昭和二十一年ようやく父は日本へ帰ることが出来た
敗戦の混乱が残っている日本に
それでも日本は父の日本だった
上述、朗読会の二次会で著者よりいただきました。改めてお礼申し上げます。
タイトルポエムの「少年」は目次でもお判りのように(1)から(9)まであります。地名は書いていませんが、アフガニスタンやイラクの少年たちの置かれている状態を想定していると思います。
紹介した作品は、戦争という面では共通している父上のご帰還を扱っています。最終連の「それでも日本は父の日本だった」というフレーズがよく効いていると思います。
第1連の「旧満州で四年間もの間」は、原文では「旧満州で四年間のも間」になっていました。誤植と思って訂正してあります。ご了承ください。
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