きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.5
「宇都宮美術館」にて
 

2005.6.13(月)

 今日は休暇を取りました。宮崎まで行っていたので、たぶん疲れるだろうと思って取っていたのですが、正解でした。ずいぶんとリフレッシュした気分です。一日中いただいた本を読んで、昼寝もして過しました。




阿部堅磐氏著『笠原三津子の詩』
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詩歌鑑賞ノート(九)
2005.6.15
愛知県刈谷市
私家版
非売品
 

  <目次>
   序    1
   (一)   1
   (二)   3
   (三)   5
   (四)   7
   (五)   9
   (六)   11
   結    13
   著者略歴 14



 詩誌『サロン・デ・ポエート』で連載した笠原三津子論のまとめです。しかしここでは笠原さんの既刊詩集13冊のうち初期の6冊しか紹介されておらず、残りの詩集についてもいずれ論じる、となっていました。詩人論では、詩集は重要な位置を占めますが、それにしても全詩集を論ずる姿勢には頭が下がります。詩人にとって、己を論じてもらうことは最大の喜びだと思います。その意味でも良いお仕事をしている著者に敬服しています。




文芸同人誌『青灯』55号
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2005.6.1
名古屋市千種区
亀沢深雪氏方・青灯の会 発行
600円
 

  <目次>
   ● フィクション・ノンフィクション
     あの日一広島60年 ……… 亀沢深雪 … 1
     産業革命原罪論 ………… 天瀬裕康 … 7
     昭の大学生活 …………… 阿部堅磐 … 12
   ● 詩
     場違いの所に …………… 森島信子 … 18
     インド再訪の後日譚 …… 尾関忠雄 … 20
   ● エッセイ
     生き長らえて …………… 岩見治郎 … 22
     農場で考えたこと(13)… 沢田明道 … 25
     子供の戦後史(15)……… 西本 伸 … 28
     荷風の植物歳時記(10)… 田中 輝 … 34
       ○ 青灯の会規約 …………………… 6
       ○ 同人住所録 ……………………… 17
       ○ 編集後記 ………………………… 37



    場違いの所に    森島信子

   うぐいす餅かと思ったらめじろだった
   両足を揃えて子供の小鳥が動き回る
   餌をみつけたのか
   二拍子でつついている
   めじろに生まれてきてよかったね
   からすだったら敵視されるよ

   関東地方に春一番が吹いた日
   名古屋は小春日和
   杉花粉があばれ回る前の
   束の間の安らぎ

   地震 雷 火事 親父どころではない
   戦争 地震 強盗 殺人 首切り
   数えきれない不安と恐怖の時代
   人間は猛獣とは比較にならない猛獣だと
   戦場の映像を見ていてその通りだと思う
   人間が人間を殺す数は何千 何十萬 何百萬人
   残酷性第一位は人間
   他の動物たちの厳しい視線にうなだれる

   科学の進歩が苦痛になり出した
   身心がひどく疲れる
   老いて場違いの所に生きているなと思う
   五感を磨き肉体を使い隣人と語らい
   素朴な生き方が懐しい
   生きながらにしてあの世からこの世を眺めている
   激変した現代に居場所がないのだ
   「昔の人だね」子供たちの会話が聞こえる

 「場違いの所に」いる「めじろ」と作中人物の対比が成功していると思います。「科学の進歩が苦痛になり出した」というフレーズも良く判りますね。私個人は「科学の進歩」が求められる部署にいますが、それでも年毎にそう思います。最近では「五感を磨き肉体を使い隣人と語ら」う、その「五感」さえ定量化するという凄まじい「科学の進歩」です。
 第1連の「二拍子でつついている」は作者の視線の確かさを感じさせ、最終連の「『昔の人だね』子供たちの会話が聞こえる」というフレーズ佳く効いていると思った作品です。




詩誌『青空』3号
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2005.6.30
茨城県水戸市
米川 征氏 発行
非売品
 

  <目次>
   米川 征 連載詩論・描写する(一) 2
         詩作品・潮の音 10
             虫の季節 13
          書評・異次元への主なざし 23
              −星野徹『ダンの流派と現代』(沖積舎)−
         *

   千本 貢 連載詩論・あ、の実現(2) 6
         詩作品・暗きより冥きに渡る花見坂 16



    暗きより冥きに渡る花見坂    千木 貢

   鳥居の先の
   どこまでもつづく石段
   を、イメージしながら
   改札を抜けて
   階段を上る
   なまぬるい風の
   プラットホームに
   男が立っている
   男はうつむいて
   線路に視線を落とし
   祈るように立っているのだが
   祈るようなことばは持っていないだろう
   絹のような朝靄が線路を包んで
   それから
   電車の代わりに
   駅夫が懐中電燈を振って
   線路を歩いてくる
   轢死した
   キツネの
   首の外れた胴体をぶら下げて
       *
   河口近くの堤防で
   釣人たちは糸を垂らす
   堤防にぶつかるようにして
   行ったり来たり 漂っている
   発泡スチロールのかけらが
   夕陽を照り返して
   妙になまなましい
   見ているうちに
   なんだか切なくて 痛々しくて
   まるでほとんど死体のようだ
   あ、
   想像の死体というものは
   あんなふうに汚らしく
   澱みに漂っているのだ
   澱みから抜け出せずに
   釣人たちの眼下を掠めながら
   堤防のコンクリートに
   せんかたなくからだをぶつけている
   臭いも発せず
   重量らしきものも感ぜられず
   それ以上は腐りようもなく
   砕かれもせず
   せんかたなく
   堤防と流れのあいだの
   狭い澱みに浮かんでいる
   釣人が気まぐれに釣竿の先端で
   小突いたりすることもあるが
   流れのほうへは押し出してくれない
   遊び疲れたこどもたちが小石を投げることもあるが
   鈍い音たててからだをちょっと揺するだけ
   どうしたら流れにのって
   河口から海へ
   だれの眼にも触れないところへ抜けられるのか
   出口がわからなくて
   もどかしくて
   そのまま
   あ、あ
   ばくばくばく
   泥濘の底にも
   沈んでいけない
   それは
   そのままぼくの
   真っ白な溺思態
        *
   地下街からのぼる階段の途中に
   救急車で運ばれて行ったひとの
   心臓だけが残されている
   天気予報の通り
   午後からすっかり晴れあがって
   気持ちのよい青空が
   階段の最上端の向こうにひろがってくる
   ちょうど地上の光と地下の闇との境目のあたりに
   さっきまで蹲っていた婦人の
   心臓だけが
   なぜか忘れられたままに
   ばうばうと叫んでいる
   なんだか転げ落ちそうな
   危うい格好で
   ばうばうと喘いでいる
       *
   いくつもの影が折り重なって
   不思議な風が四六時中吹いている
   高層ビルの街であっても
   四辻のスクランブルの中央あたりは
   スポットライトのように
   陽射しがさ迷い
   ぽっかり青い
   じぐざぐの空が見える
   青信号になるたびに
   交差点の空のまんなか
   あ、なにか
   吊り上げられていく
   なにかはなにかにしか見えないから
   道を渡りながら
   なにげなく貌をあげたひとの眼には
   それは
   太陽の黒点? それとも目玉のしみ?
   実は
   ひとも車も少なかった頃に
   ひとつの交通事故があった
   死んだ男は若かったから
   それから長い時間をかけて
   この世への思いを断ち切りながら
   天国へと召されていった
   秋の陽射しのように
   あまりにもゆるゆると
   未練に満ちていたものだから
   たとえば交差点のなかほどで
   気がかりな表情をしてなにげなく
   ひょいと空見上げたひとも
   自分がその立会人に選ばれているとは
   どうしたって気づきようもないのだった

 ちょっと長かったのですが全行を紹介してみました。この作品をどこかで切るのは難しいと思います。「*」で区切られた連≠ナ切ることも考えましたが、それも叶いませんでした。
 各連≠タイトルの「暗きより冥きに渡る花見坂」という句≠ノ関連付けて鑑賞しました。「轢死した/キツネの/首の外れた胴体」「それは/そのままぼくの/真っ白な溺思態」「さっきまで蹲っていた婦人の/心臓」「死んだ男」などが対応していると思います。それぞれに独自の世界があって、しかも緊密に関連しているので切れなかったという次第です。この詩法はおもしろいし、非常に効果的だと思います。
 見過ごされやすいかもしれませんが「ばくばくばく」「ばうばう」という擬態語も重要でしょう。ぶくぶくぶく≠竍ぶうぶう≠ナなく、これら与えられた擬態語の方がしっくりとしていることに驚いています。言語感覚も詩感覚の重要な一部だと教わった作品です。




詩誌『木偶』61号
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2005.6.15
東京都小金井市
増田幸太郎氏方・木偶の会 発行
400円
 

  <目次>
   牡 丹               落合成吉  1
   旅の空               野澤睦子  3
   あたたかくなるよ          天内友加里 5
   きみさらずの街から         土倉ヒロ子 7
   ゲームの赤ん坊           荒船健次  11
   雨・夜の祈り            乾 夏生  14
   副え木               山田弘美  17
   トウキョウ・ミッドナイト      田中健太郎 19
   ユートピア             川端 進  22
   歩く樹               仁料 理  25
   街角にて              増田幸太郎 27
   連載3 読む『伊豆の踊子』川端康成 馬渡憲三郎 31
    後記               増田幸太郎 35



    牡丹    落合成吉

   遙かから来たものを
   そっと受けとめているのだ
   薄紅色の花びらの
   いくつかが微かに揺れている

   いまを美しく装うために
   五月の空からの
   明るい光を浴びつづけている
   花冠をひらく限りひらいて

   ひそやかに広がる精気
   姿はさらに艶やかに
   誘われたのか
   魅せられたのか
   紋白蝶がきて翅を休める

   受けとめていたものが離れて行く
   花びらが寂しそうに揺らぐ
   知ってしまったのだ
   華やぎのあとに
   滅びのときがあるのを

 第1連の「遙かから来たものを/そっと受けとめているのだ」が「牡丹」の神秘性を表出させていると思います。第2連の「花冠をひらく限りひらいて」は自動詞の使い方がおもしろいと云えましょう。最終連の「知ってしまったのだ」というフレーズは、その前の「受けとめていたものが離れて行く/花びらが寂しそうに揺らぐ」と、その後の「華やぎのあとに/滅びのときがあるのを」を接続する行で、この使い方は巧いなと思います。1行の重要性を感じさせますね。勉強させていただきました。




個人詩誌HARUKA 185号
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2005.7.1
大阪府交野市
金堀則夫氏方・交野が原ポエムKの会 発行
非売品
 

  <目次>
   泣欲          1
   I love eye. 1
   都会ウサギ       2
   三十九歳で止まった叔父 2
   《はるぶみ》      2



    都会ウサギ    山田春香

   そそくさと足早に通り去る人の群れ
   赤が青に変わる前に
   横断歩道をいくらかの人は渡り始める
   そんなに急いでどこいくの?
   「不思議の国のアリス」の時計ウサギが
   たくさんいた
   そこにはもちろん挨拶なんて存在せず
   ぶつかつても返事はない
   黒いスーツに身を包んだ
   キャッチセールスの人は
   ハイエナのように動き回り
   そそくさと歩き回るウサギを
   しとめるので必死だ
   角切りになった建物に
   そのウサギたちは入ってゆく
   お空もついでに切り取っておいたよ、と
   スペードの庭師たちは
   迷惑な仕事を次々と引き受ける
   今日もどこかでハートの女王様は
   「首をちょん切れ〜」と
   ウサギをリストラしていく
   これが全部おとぎ話だったらどうだろう
   アリスのように目が覚めたら
   なにをしようか

   だけどやっぱり来る日も来る日も来る日も
   ウサギたちは空を見る暇さえ惜しみ
   時間に支配されながら
   自分と目的地とに明確な糸を引っ張り
   それを行き来している

   時計ウサギはなぜあんなに急いでいるのか
   都会ウサギはなぜあんなに急いでいるのか

 私もたまに「赤が青に変わる前に/横断歩道を」「渡り始め」ますので、これは一本やられたなという感じです。本当に「そんなに急いでどこいくの」でしょうね。
 「自分と目的地とに明確な糸を引っ張り/それを行き来している」というフレーズは巧いと思います。「来る日も来る日も来る日も」「空を見る暇さえ惜しみ/時間に支配されながら」生きている己をちょっと振り返った作品です。




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