きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.6.5 | ||||
「宇都宮美術館」にて | ||||
2005.6.17(金)
昨日は関連会社の東京本社に出張し、気の進まない会議をこなしてきました。関連会社の不始末を話し合うものでしたが、まあ、何とか先が見えたという状態です。
いつもなら会議のあとは両社合同の懇親会を持つのですが、今回ばかりはそんな気になれず、弊社だけのメンバーで呑みました。でも、これは良かったですね。八重洲の地下街を物色していたところ「獺祭」という文字が飛び込んできました。思わず大声で「ここにしよう!」と言って決めてしまいました(^^; 久々の山口の銘酒「獺祭」は旨かったですね。仕事の憂さをすっかり晴らしたという感じです。お陰で酩酊。今日は午前中、しょぼくれていました(^^;;;
○季刊個人詩誌『天山牧歌』67号 | ||||
2005.6.10 | ||||
北九州市八幡西区 | ||||
秋吉久紀夫氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次> チャンヤオ
草原の春の訪れ…………(中国)昌耀 秋吉久紀夫訳…1頁
対談「中国の詩・日本の持」(2) 秋吉久紀夫・柴田基孝…2頁
受贈書誌……………………………………………………………17頁
丸太と名づけられた犠牲者たちへ………………秋吉久紀夫…18貢
デイケアセンター他一篇……………………………稲田美穂…20貢
身辺往来……………………………………………………………22貢
編集後記……………………………………………………………22貢
丸太と名づけられた犠牲者たちへ 秋吉久紀夫
わたしには、あなたたちへ捧げる花束などない。
たとえ、わたしがどんなに苦心惨澹して
手にいれた鮮やかな花々があったとしても。
あなたたちに手向けるに相応心い花など、
どこを見回しても、探し出せるはずはないからだ。
あなたたちは日本軍の特務に密かに捕らえられ、
憲兵監視の「特別輸送」という極秘のルートで、
旧満洲の広漠とした大地ハルピン近郊の平房に
収容された途端、人間ではなくなっていた。
「丸太」と名づけた人体実験の材料と化したのだ。
ただ背に人体桑験とは言っても、
近頃流行(はや)りの新薬開発のための被験とは雲泥の差。
日中戦争の最中、戦況の不振を打開せんものと、
軍中央部の頭を絞った作戦計画にのっとった
周到に企てられた細菌による世界戦略なのだから。
暗闇の中で人知れず培養した強力な細菌類は、
ペスト菌、コレラ菌、パラチフス菌、炭疽菌など。
それらは計画的に丸太を使った実験を経て、
細菌弾や細菌爆騨として大量に生産され、
実際に北から南まで中国戦線で撒布されたのだ。
いま、やっと丸太だった物たちの名前と原簿が、
一個一個、確実に人間世界に里帰りし始めた。
吉林省西安県の王民生(ワンミンション)、山西省楡次県の桑元慶(サンユアンチン)と……
細菌爆弾の被害に遭ったあなたたちの同胞が、
東京高裁に提訴する文言は地底からの血の叫び。
(2005・6・15)
「『丸太』と名づけた人体実験」が731部隊によって行われたことは、私もようやく10年ほど前に知りましたが、加害者の日本人の一人として「あなたたちへ捧げる花束などない」気持は同じです。それにしても「いま、やっと丸太だった物たちの名前と原簿が」「人間世界に里帰りし始めた」状態なんですね。敗戦から60年も経つというのに…。
私を驚かせたのは最終連の「東京高裁に提訴する文言」という言葉です。察するに最近提訴されたようです。新聞は比較的よく読む方だと思っていましたが、これは知りませんでした。不明を恥じます。
○詩誌『そんじゅり』33号 | ||||
2005.6.30 | ||||
横浜市磯子区 | ||||
春井昌子氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
部 品 野中美弥子 ……2
種を蒔く 五喜田正巳 ……4
白い足袋の記憶 坂本 絢世 ……6
日暮れどき 天彦 五男 ……8
立ち氷 原田 道子 ……10
犬と一緒に 西尾 君子 ……12
ある時 春井 昌子 ……14
後 記 16
部 品 野仲美弥子
久しぶりに会った人は
病気の話ばかりした
頭のてっぺんから足の先まで
全部悪いと言って
胸の手術あとのテープをはがす痛さを
克明に教えてくれた
テープが皮膚に密着してね
でも跡がつかない
前をはだけて見せてくれそうになった
一度に五キロ以上歩くと
足に負担がかかるので
日々割り振って歩いているという
今日はもう三キロ歩いた
残り二キロで帰れるのだろうか?
良く効く(今日も張ってきたという)
新製品の湿布薬が
コーヒーカップの置かれたテーブルの上に
洒落たプレゼントのように出された
共通の知人は死んだ人が多く
みんなどこか悪かった
生きていても部品がない人もいるという
誰もどこも悪くなかった
あの若い時代(とき)って一体何だったのだろう?
本当にあったのだろうか?
いつから人はロボットになり果て
部品を取り替え
修繕しながら生きるのだろう?
帰り途
夕焼け空がはるか彼方で燃えていた
残り少ないわたしの空
明日のためのわたしの部品が
ふっと消えた
人間が「ロボットになり果て」いくことをうたった作品ですが、私にも「誰もどこも悪くなかった/あの若い時代って一体何だったのだろう?/本当にあったのだろうか?」という感覚は少しずつ判りかけてきました。まだ少ないですが、それでも「共通の知人は死んだ人が多く」なりつつあります。
この作品では「部品を取り替え/修繕しながら生きる」の良し悪しについては言及していませんが、それは当然言及できるものではないと思います。良し悪しではなく、それでも生きることの意義を問われる時代はすぐそこに来ています。それを読者に問うている作品ではないかと思います。重い課題と言えるでしょう。
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