きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.6.5 | ||||
「宇都宮美術館」にて | ||||
2005.6.22(水)
午後から東京本社に出張してきました。関連会社の不始末を話合うものでしたが、まあ、なんとか決着がつきそうでホッとしています。今月はこの件で毎週出張になって、いささか嫌気もさしていますけど、仕事ですからね、逃げるわけにはいきません。最悪、取引停止を通告することまで考えていましたが、そこまでは行きそうもありません。相手の会社の誠意も見えてきています。結局、会社対会社のつき合いはドライな面と人間関係というウエットな面の両方があると、つくづく感じています。
○関 富士子氏詩集『音の梯子』 | ||||
2005.6.20 | ||||
東京都世田谷区 | ||||
七月堂刊 | ||||
1000円+税 | ||||
<目次>
絵暦さくら印の日に 8
モクセイの木 10
羽翼の骨 13
神月の出雲へ 16
照らす台地 20
庭園設計 23
反射光 26
晩年の野良衣 30
午後の光 34
水門を閉める男 38
梅を見に 42
燃えあがる森 46
河の風景 50
影をさがす 55
雨季 60
鳥たちはめぐっている 64
蟹を売る男 68
橋の下の家族 71
欠片を踏んで 76
燃やす人 80
机と椅子のある光景 84
音の梯子 87
鳥たちはめぐっている
すばらしい速さで
鳥たちはめぐっている
互いにぶつからず
けっして離れず
きついカーブを描くときは
だれかの投げる網のように
緩やかにゆがんで伸びちぢむ
西の空では
雲の薄いところが赤らんでいる
わたしの頭上に直径百メートルの円を描く
鳥の群れ
公園の林の上から夏野菜の終わった畑を見下ろし
温室ハウスの屋根
五階建の小さなビルの上
一定のめざましいスピードで
ぎゃく時計回りに
鳥たちはめぐっている
わたしは小道を行こうとするが
道は円に囲まれている
五十羽ぐらいか
彼らから目を離さない
警告を受けるかもしれない
温室ハウスの脇を抜けるときふと中を見た
人がいて
幾列も並んだ苗ポットにかがんで一つ一つ水をやっている
ホースにつないだジョウロを捧げて
柔らかく砕かれた水を苗に注いでいる
その愛撫のような仕草に見とれて
見知らぬ草の名を思い出そうとして
気がつくと
鳥たちはさっきより低いところを
めぐっている
五階建のビルをかすめてわたしの真上まで来ると
灰色の翼と腹が見える
あれはハトだとわかる
重なり合った羽根の一本一本が全部透けて
旋回するごとに明るくなって
わたしの上で風が起こる
縮めた脚先の三つに分かれた趾が
曲がっている
すると西の空が一瞬輝いて
それが合図のように
ビルの屋上へ数羽がぱらぱらと降りていった
屋上の小さなプレハブの小屋
鳥たちはめぐりながら
スレート葺きの屋根に並んでとまる
小屋のそばにだれかがいるようだ
次の旋回でさらに数羽降りていく
もう一度めぐって群れは三分の一になり
次が最後だった
彼らは十羽ほどで空をめぐった
鳥たちのすべてが降りたとき
日が沈んだ
「屋上の小さなプレハブの小屋」とありますから「ハト」は伝書鳩なのかもしれませんね。最初の連で「けっして離れず/きついカーブを描くときは/だれかの投げる網のように/緩やかにゆがんで伸びちぢむ」とあるように鳩の様子を細かく観察していて、この詩人の観察力の確かさを感じる作品です。それは鳩に限らず「温室ハウスの」中の人が「その愛撫のような仕草」で「柔らかく砕かれた水を苗に注いでいる」ところまで見ています。
最終連の「鳥たちのすべてが降りたとき/日が沈んだ」というフレーズは、なんでもないことのようですが安定感があります。著者の持っていてる力を感じた詩集です。
○加賀谷春雄氏詩集『二つの行方』 | ||||
2005.7.30 | ||||
東京都中野区 | ||||
潮流出版社刊 | ||||
2000円+税 | ||||
<目次>
T
移植 8
敗戦から 10
消費の国 12
二つの時間 14
おもてとかしら 16
自らは見ない 18
切り札 21
<自由> 対 <有事> 24
核査察 26
ミサイル発射手に 20
二つの行方 30
<母>は眠らず 32
監視 35
未来は五十七年で終り 38
平伏歴 40
安全 42
U
窓と鳩 44
風の盆・亡父の風 47
都市対抗野球は和光市優勝 50
シチューを見に 52
痛打 55
21 58
軍歌と文化 60
落人 64
八月十五日に棄てられて 66
夜くん朝くん 68
月ノ輪熊04年秋 70
V
なじめない音楽の流れ 74
廃船状 78
転 80
夏・油絵のこと 83
十歳 87
疎開地だった村への橋上で 91
初出一覧 94
あとがき 96
カバー・扉 装画 浅川邦夫
平伏歴
軍歴はあるか
勇士であったか
武勲をあげたか
アメリカ大統領候補の強力な資格要件
ない奴は名乗りをあげるな
それを聞いて
兵役さえなかった
ニッポンの首相候補たちは
双手をあげて降参のポーズ
平然と笑ってやればよいものを
平伏している
「アメリカ大統領候補の強力な資格要件」は、まあ、あの国ならそんなもんだろうと思いますが、平和憲法を擁するわが国「ニッポンの首相候補たち」には「平然と笑ってやればよい」と私も思いますね。その「平伏」を「軍歴」になぞらえて「平伏歴」とするところに作者の言語感覚の非凡さを感じます。現実をきちんと見て、理論立てて批判している詩集ですから、そんな言葉も自然に出ているように思いました。
○水崎野里子氏著『英米の詩・日本の詩』 | ||||
2005.6.30 | ||||
東京都新宿区 | ||||
土曜美術社出版販売刊 | ||||
1400円+税 | ||||
<目次>
T 英米の詩
マイケル・ロングリー――リネン工員 8
アドリアンヌ・リッチー――レイプ 14
シルヴイア・プラス――ニックと蝋燭立て 20
シェイマス・ヒーニー――アルスターの黄昏 27
W・B・イエイツ――鷹の井戸にて 34
ジョイ・コガワ――ヒロシマの出口 41
ジェラルディン・クダカ――沖縄 悲しい 物語 47
アリス・ウォーカー――革命的ペチュニア 53
レスリー・マーモン・シルコー――太平洋への祈り 61
デニーズ・レヴァトフ――沈黙の春 67
イーヴァン・ポーランド――戦争の馬 72
エリザベス・ジェニングズ――狂想曲 78
ウィリアム・スタフォード――暗闇を旅する 81
アジア系アメリカ人の詩 85
ポスト・モダニズムへ向けて――マイノリティとフリンジ 99
U 日本の詩
女よ、もっと台所詩を書け 106
女の「坂」と「橋」――円地文子と松山妙子 111
女と花・浅井たけの詩集『曼珠沙華』 116
詩における地方性について 126
『現代アメリカアジア系詩集』から『鳴海英吉全詩集』へ 131
鳴海英吉と演歌的叙情 139
サンチョ・パンサの帰郷――鳴海英吉と石原吉郎のシベリア 146
Chant d’automne「秋のうた」――富永太郎について 160
英語の短歌 168
ネパールでの短歌・俳句 171
初出誌一覧 176
あとがき 178
ヒロシマの出口 ジョイ・コガワ
部屋を一つずつ巡り巡る
犠牲者たち加害者たち ぐるぐると飛び去る
事実が事実を追う
警告の冊子はいまだ滴らせる
炎で重い地面に
黒い雨 足跡 証拠の品々を
原爆記念館
骨董店
衣類の残骸 原爆病
肉のない顔 観光客はつぶやく
「でも、彼らが始めたのよ」
声はひそめられる
「パール・ハーバーでは、彼らは私たちのこと考えてくれなかったの?」
彼ら? 私たち?
私はその骨董店をつま先立ちで歩く
私の標的を探しながら
正確さが必要となる
素早く 素早く 彼が圏外へ出る前に
その名を綴れ
アメリカとは?
ヒロシマとは?
空襲警報はもの悲しく鳴り響く
ヒロシマ
朝。
私は外へ歩みだし
そっとドアを閉める
そして信じる 信じようとする
この店の外に
もう一つのドアがあると
英米文学者の著者が接した詩作品をエッセイ風にまとめた著作です。ここではTの中からジョイ・コガワの作品を転載してみました。ジョイ・コガワは1935年生まれの日系三世のカナダ人だそうです。この作品について著者は次のように述べています。
そのアジア系詩人の代表的な一人であるジョイ・コガワのこの詩、「ヒロシマの出口」を日本の読
者に紹介することは、あるいは現在なお意味のあることかもしれない(とはいえ、本詩の日本への紹
介は私の今回の本欄が初めではない)。本詩は、現在「戦争を知らない」若い世代には忘れ去られよ
うとしているかもしれないヒロシマの事実を新たに再び提示し、またあるいは既に日本人の間に拡が
っている、あるいは既に固定化し、形骸化した、「ヒロシマ」についての一般常識を丸ごとひっくり
返し、再び我々すなわち内地にいる日本人を第二次世界大戦開始時の複雑な日米関係に引き戻し、日
本の戦争責任を再び問うことになろうからである。それは元来日本人にはあまり得手ではない国際的
な視野に、日本人を丸ごとぶち込むことを意味する。それは本詩では、詩中の一言に要約される。−
−「パール・ハーバーでは、彼らは私たちのこと考えてくれなかったの?」
アメリカによるヒロシマへの原爆投下、続く日本のポツダム宣言受諾は、日本人にとっても、アメ
リカ、カナダ人にとっても、同じく悲惨な戦争終結の契機であり、平和への新たな出発を意味した。
だが、その平和は戦争を忘れ去ることではなく、新たに再び戦争の意味を問いただし続ける契機でも
あった筈である。日本は世界で唯一の核兵器の被害者になった、多くの尊い生命が失われたという事
実は、我々はむしろ更に確認し、世界に向かって抗議の声を更に高めて行かねばならない。だが、と
もすると現在の我々の一部に見られる、日本の他国への戦争責任の自覚を除いた一方的で単純な被害
者意識(殉教者意識との言葉を英語で見たこともある)、これもまた反省すべきではなかろうか?
パール・ハーバーその一語は、かつてそして今でも、アメリカ人やカナダ人一般にとっては、日本に
よって悲惨な運命に巻き込まれて行ったその恨みを込めた一語でもあった筈だ。すなわち「ヒロシマ」
には二つの視点が必要であり、それらを統合することが必要なのだ。二つの視点とは、日本人自身に
とっての「ヒロシマ」の出口であり、次いで外国人にとっての「ヒロシマ」の出口である。
これ以上つけ加えることのない鋭い分析です。私も最近「日本の他国への戦争責任の自覚を除いた一方的で単純な被害者意識」を反省する時期かなと思い始めています。それが「日本人自身にとっての『ヒロシマ』の出口であり、次いで外国人にとっての『ヒロシマ』の出口である」という指摘は、哲学的にも詩的にも優れた視座と云えましょう。
ここでは紹介し切れませんが、Uもおもしろいエッセイです。肩が凝ることもなく現在の「日本の詩」について考えられます。お薦めの1冊です。
○秋吉久紀夫氏著『復権か従属か 人類の共生をめざして』 |
2005.6.30 | ||||
福岡市中央区 | ||||
石風社刊 | ||||
1500円+税 | ||||
<目次>
明日の平和のために――――――――――――――――−9
一、現在という位置の確認 9
二、一五年戦争の発火点 12
三、戦時のカトリック信者 15
四、戦時の朝鮮の作家と詩人 18
五、サンゴールの詩から 21
六、日本人に課せられた使命 24
イスラムの人びととわたしたち――――――――――――29
一、リー・ムトリフの詩 29
二、中国新彊ウイグル自治区の人びと 32
三、世界のイスラム教徒 35
四、イスラムの復興運動とは 39
五、イスラムを巡る西欧勢力 44
六、パレスチナ地区では 48
七、わたしたちのなすべきことは 52
わたしの見たイスラムの人びと――――――――――――57
一、パレスチナの難民たち 57
二、ユダヤ教とイスラム教 60
三、中東をめぐる石油資源の争い 63
四、グローバリズムとは 67
五、文明の衝突と対話 70
六、現代に生きるとは 73
サイードの説く平和とは――中東問題の核心を考える――79
一、世界の注目の的は 79
二、死を前にしてのサイードの警告 82
三、サイードの思想の根底 85
四、近代資本主義の市場獲得 88
五、日本近代化の二重性 91
六、イスラエルの分離壁建設とは 94
わたしたちの知らない情報操作――――――――――――99
一、惑わされる日々の情報 99
二、重慶での事件 101
三、週刊誌『ヤングジャンプ』事件 107
四、チョムスキーの情報論 112
五、チョムスキーの挙げる虚構の戦争 116
六、戦時プロパガンデとメディア 122
講演時期・掲載誌 129
あとがき 130
深夜の電話 秋吉久紀夫
「ワトソン君、
ちょっと釆てくれ、用事がある」。
ベルは顔を緊張させながら、
はじめて完成させた粗末な送話機を使って、
助手に話しかけた。
その時、ベルの耳は、
遥かな地平線にうごめく獲物めがけて、
舞い降りる熊鷹の目であった。
全神経は一点に絞られていた。
かれにとって獲物はひとのことばだった。
なのに、わたしはいま深夜、
このいちめん霧の立ち籠める揚子江(ヤンヅヂャン)と嘉陵江(ヂャリンヂャン)との
合流する地点、
重慶(チョンチン)にまでやって釆て、
電話の前で呆然自失している。
これで叩き起こされること
四度目。
それはほぼ五分間隔で起こされる。
声を掛けてもまったく応答はない。
明らかにこちらの所在を確認したうえでの仕業(しわざ)である。
ねぇ、発明者のベル君よ、
きみは予知していただろうか、わざわざ掛けていながら、
一言もしゃべらなくてもよいことを。
わたしは恐らく今後いつまでももの言わぬかれに、
かれの求める獲物を送り届けざるをえまい。
2002年から2004年に講演した内容を集めた評論集です。目次でも明らかなようにイスラム関係に多くの頁が割かれていて、中東問題に暗い私には参考になりました。おそらく日本人の多くが私と同じように中東には暗いと思います。入門書の感覚で読むとよいでしょう。引用した参考文献が豊富ですので、まず本著を足がかりにそれらの参考文献に進むのが、中東の理解には早いと思います。
紹介した詩は「わたしたちの知らない情報操作 二、重慶での事件」に収められていました。1987年8月に、日中戦争から太平洋戦争の終結まで中国の首都であった重慶を調査しに赴いたときの作品です。重慶飯店の1405号室に泊っていたそうです。これは一時日本でも問題になり、現在では相手の電話番号が判るようになったり、着信拒否が出来るようになっていますね。
この作品は電話の発明者・ベルの有名な言葉を素材としていますが、「わざわざ掛けていながら、一言もしゃべらなくてもよいこと」まで想定し得なかった、文明の未熟さと云いますか、使う側の人間の悪意という大きな問題を孕んでいると思います。「かれにとって獲物はひとのことばだった」というフレーズの寓意にも唖然とさせられます。文明とは何かを考えさせられた作品です。
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