きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.6.5 | ||||
「宇都宮美術館」にて | ||||
2005.6.25(土)
午後6時から小田原の伊勢治書店で伊馬匣子さんの朗読会があったのですが、サボりました。いただいた詩書が読みきれずに残っていて、それを優先してしまいました、すみません。お陰で少しは進みました。もうちょっと時間を効率的に遣って、本も読む、朗読会にも出席する、と行きたいものですがなかなか…。しばらく、あちらこちらに不義理をしながら読むことになりそうです。ゴメンナサイ。
○季刊詩誌『竜骨』57号 | ||||
2005.6.25 | ||||
さいたま市桜区 | ||||
高橋次夫氏方・竜骨の会 発行 | ||||
600円 | ||||
<目次>
<作 品>
雲 雀 西藤 昭 4 蓋を閉める 内藤喜美子 14
大草原の少女 今川 洋 6 追 悼 小野川俊二 16
遅刻する場所 木暮克彦 8 再会のとき 島崎文緒 18
ひろしまの空はいまも碧いか 長津功三良 10 葡萄棚の下で 河越潤子 20
「ミズ クレ」 森 清 12 死ノ夢 松崎 粲 22
☆
使いみち 松本建彦 24 白馬を視る 友枝 力 32
闇の中で 横田恵津 26 石をそだてる 庭野富吉 34
灰色に浮かぶ街 初沢淳子 28 や つ 高橋次夫 36
たまゆら 高野保治 30
遺稿 村上泰三詩集『大山椒魚』に添えて
雲の仕事 森 常治 38
逆縁のむせび 吉川 仁 40
滑走する山椒魚 初沢清子 41
羅針儀
般子の技法 木暮克彦 45
瞥見 狩野敏也の詩の世界 松本建彦 49
日本橋室町あたり 高野保治 54
書窓
奥成達詩集『無意味の原像』 木暮克彦 57
今駒泰成喪詩集『にんげんをやめて』 木暮克彦 58
木内むめ子『雪花火』 今川 洋 59
海嘯 劣化ウラン弾 高橋次夫 1
編集後記 60
題字 野島祥亭
ひろしまの空はいまも碧いか 長津功三良
陽光うららか
薫風爽やかに
若緑の樹間を 吹き抜ける季節
また 友が
癌で 死んだ
五月・広島花の祭典 フラワーフェスティバル
三・四・五の三日間で 一六二万人の人出
七六団体七千人のパレード だったという
二年程前 肺癌で 右肺を三分の二除去し
暫くして 右腕に転移 かなり部分の筋肉を切除
大分良くなったといっていたのに……
再発していくらも持つまい との噂あり
一月ほど前に 仲間と見舞いに行った
ナースセンターの受付で
大分悪いと聞いたのだが というと
いや とてもお元気ですよ
顔色もいいし 食事も全て食べられますし
との返事
だが 病室は ナースセンターのとなり
処置中だから少し待て と
複雑な家庭環境にあり
別居中のはずの夫人が 付き添っている
顔を見ると とても喜んで
元気そうに話す
でも 起き上がれない
ベッドで 上を向いたまま
咳などしたら 痛み 苦しいので と
胸から下 内蔵を コルセットで 締めている
本川の傍の 昨年建てた という
設備のいい新しい病院の 個室
窓から 新緑の樹群が見える
僕たちの年代で 広島で暮らした連中には
癌が多い
僕は
残留放射能のせいだと信じている
外は 若い 新しい世代の 花の祭典
みんな ピカドンのことなんか
知りはしない
飽食の 健康な ピチピチの世代
そして
空は
汗ばむほど 暑く
碧く光り 輝いている
「また 友が/癌で 死んだ」「僕たちの年代で 広島で暮らした連中には/癌が多い」と言うときの作者の気持を推量すると、何とも云えないものを感じます。個人にはまったくの責任はないが「残留放射能のせい」で苦しめられている「僕たちの年代」。その対極として「外は 若い 新しい世代の 花の祭典」。「ひろしまの空はいまも碧いか」と訴えざるを得ない作者の言葉は、本当に届いているのでしょうか。被爆60年を迎えて、改めてそんなことを思った作品です。
○鷹取美保子氏詩集『千年の家』 | ||||
2005.6.5 | ||||
宮崎県東諸県郡高岡町 | ||||
本多企画刊 | ||||
2000円+税 | ||||
<目次>
昔 天と地は 8
*
昔 この家で 14
ゆるやかな時のあわいで 18
永遠の否 22
滅びることのない私たち 28
非有の道 32
ショートステイ(介護日記1) 36
母の洞(ほら)に(介護日記2) 42
母へ (介護日記3) 48
千年の約束 52
夢幻下降の 56
挨拶をかわしながら(介護日記4) 60
舞台にて(介護日記5) 64
もう一つの(介護日記6) 70
黙契の祭に(介護日記7) 76
この上もない 80
缶入りドロップ(介護日記8) 82
点滴(介護日記9) 88
渡来木――意識不明(介護日記10) 94
再び意識不明(介護日記11) 100
訪問者 104
末期の母に(介護日記12) 108
再生まで 112
不意の贈り物 118
*
耳の難 122
[あとがき] 124
舞台にて
午前入時 母の部屋の襖をあける
ゆるやかに幕はあく
T
「ご飯ですよ。さあ、私はだれでしょう」
「あなたは…」
「ヒントは、み」
「みち子さん」
「残念でした。はずれ。み、ほ」
「美保子さんかねえ」
「子どもの名前を忘れる親なんていませんよ」
「だって、ここにいるじゃないの」
U
「眠ってばかりいないで、もうお昼ですよ」
「もうちょっと寝ます」
「そんなに眠ると、目が腐ります」
「もう腐ってます」
「名前を三年寝太郎直枝さんにかえますよ」
「そうしてください」
「そんなこと言わずに、お昼にしましょう」
「私は、三年寝太郎になりました」
V
「おやつにしましょうか。プリンがいいかな」
「いつもお世話になりまして」
「やだ。私はあなたの娘。お礼はいりません」
「あら、ほんとう。美保子さんですかねえ」
「四人娘の一番美人を忘れるなんて、失礼ね」
「そうですねえ」
「そんな時は、親が美人だからって言うのよ」
「いいこと教えていただいて」
W
「もうすぐリハビリの先生がみえますよ」
「風邪をひいたから、お休みします」
「いつひいたの」
「今です」
「じゃあ、入浴車も断わりましょうね」
「お風呂はだいじょうぶ」
「リハビリをがんばって、よくならないとね」
「ああ、困った。困った」
午後十時 襖をしめる
二人の舞台が終わる
母は呼吸をととのえ
無防備に
たわいもない言葉と
尽きせぬ時を楽しもうとする
私は千日が過ぎても
母の呼吸にあわせきれず
あやうい舞台の端で
母が言葉を失う日を恐れている
介護ベッドのそばの席は
タオルと着替えで埋まっていく
今日も観客は零(ゼロ)
(介護日記5)
千年も続く旧家の「四人娘」のうちの一人である「私」が「母」を介護し、送るまでを主として描いた詩集です。詩集タイトルの「千年の家」という作品はありませんが作品「千年の約束」などに旧家ぶりを知ることができます。また4年2カ月に及ぶ介護の様子は(介護日記1)から(介護日記12)に現れています。ここでは(介護日記5)を紹介してみました。ホンワカと、漫才めいた「舞台」ですが、詩集全体から内実は厳しいものがあったと読み取れます。介護時代の現在、考えさせられた詩集です。
○粟田茂氏詩集『げんうん記』 | ||||
新・現代詩新書2 | ||||
2005.6.30 | ||||
横浜市港南区 | ||||
知加書房刊 | ||||
1200円 | ||||
<目次>
音 …6
虫 …9
げんうん記 …12
風景・ある日 …16
風 …19
軋む …22
砂時計の砂 …25
部屋 …28
なくしたもの …31
だんえん記 …35
夢・魔窟のマチで …38
風景 …41
ウワナベ古墳 …44
朝の洗面所 …47
病院で・ある日 …50
自画像 …54
飛火野 …57
顔の中のまち …60
ある朝 …63
八月 …66
海龍王寺 …68
殺気 …72
忘れてきたもの …76
君に …79
眼の奥の広場 …82
影 …85
八月十五日の空 …88
夢の初更 …90
プランクトンの海 …93
旧友 …96
贈った詩集 …99
午後の散歩 …103
蜃気楼 …106
ある年の章 …109
窓から …112
ポン太の朝 …115
胸ヤケ …119
無題V …121
・初出誌控 …124
・あとがき …128
装偵 関家しのぶ
げんうん記
ある朝、目を覚ますと世間が回っていた。部屋も窓外の風景
もぐるぐる回転し、胃袋までが落ち着かなくなって、眩暈は断
続的に毎日つづいた。
「メニエール病のようですね」
と医者は言う。なんだかんだと検査を重ね、挙げ句、脳の輪
切り。CT検査による十数枚の写真をつくづく眺めての医者の
結論だったようだが。
「脳に異常はみられませんね。あとはMRIという磁気電波に
よる画像診断の検査方法もありますが、いまのところその必要
はまずないでしょう」
検査疲れもあって俺は、医者の言葉にほっとする。しかし、
脳に異常がないというのは、脳に記憶の痕跡もみられないとい
うことなのか。それとも回転から回転へ、世の変遷、俺の毎日
も回転していてそれは、現実の風景への倒錯した深部感覚‥‥
でもあるのだろうか。
メニエール病は、内耳に生じた異常によって起こるのだそう
だ。内耳は、側頭部のごく硬い骨で囲まれた複雑な形の迷路と
よばれている腔部にあり、聴覚と平衡感覚を司っている。
「眩暈、嘔吐、耳鳴りはどれくらいの間隔ですか」
以前、この耳鼻咽喉科を訪れた時は中耳炎だったが、診察室
の大きな窓のむこうにみえる神社の森は静止していた。いまは
泳ぐ視線にその森などが揺れ、ここにいる俺の存在そのものが
覚束ない。揺れを覚え、回転する世間は、超現実のセカイでで
もあるのだろうか。
「すぐ治りますよ。もう少し治療をつづけましょう。薬は飲ん
でいるでしょうね。あの薬、よく効くんですよ」
医者が処方してくれた薬は、残り少なくなっている。嘔吐や
耳鳴りはなくなったが頭部に不快感が少しある。
子供の頃からよく中耳炎を患っていた俺の視野での世間の回
転に遠心力はない。<現実>はほとんど病んでいるのだから、眩
暈で回転する世間の方が<現実>のように思えてくることもある。
‥‥ある朝、目覚めると世間が回っていた。部屋も窓外の風景
もぐるぐる回転し、眩暈は毎日断続的にやってきた。世間のそ
の渦の中で俺は、俺の出発は、遠いむかしのあの八月‥‥八月
十五日の灼熱の正午の眩暈にあったのだ‥‥と、思い出してい
た。
配属将校の首筋の汗と、雑音に掻き消されるラジオの声。
屍体の燻る臭気は思い出せないが、焦土の、無機的とでもい
うのか、そんな焦げ臭さの眩暈。
飢えの眩暈。それらの系譜。
ヒロシマやベトナムに寄りかかっていた日常の仮託。
それら、俺の歩行と重なる眩暈の風景とクロニクル。
12年ぶりの詩集だそうです。紹介した作品はタイトルポエムで「げんうん」は漢字で書くと眩暈≠ニなり、しきりに出てくるめまい≠ナす。その肉体的な眩暈と「回転する世間」が見事に調和した作品と云えましょう。「八月十五日の灼熱の正午の眩暈」が現在まで「断続的に毎日つづい」ているのは、当時中学生で「配属将校の首筋の汗と、雑音に掻き消されるラジオの声」を聴いた著者から見て、現在の日本の精神が何も変わっていないから、と読み取りました。考えさせられる作品・詩集です。
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