きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.12
宮崎「西都原古墳群」にて
 

2005.7.9(土)

 日本詩人クラブの理事会、引き続いて9月度月例会が神楽坂・エミールで開催されました。先月の理事会は金曜日だったので出席できませんでしたが、今回から土曜日。例会の前に理事会をやろうというものです。神楽坂に近い人には金曜日でも問題ないかもしれませんが、私のように小田原から新幹線で行っても1時間半から2時間は掛るという者には大助かりです。

    050709.JPG    理事会の内容はいずれ広報で報告されますが、宮崎大会の報告、次回の地方大会、専門委員委託、新入会員の承認などが行われました。私は7/2に実施したオンライン現代詩研究会を報告しました。

 左の写真はその後開催されて例会の様子です。新会長、新理事長の講演が主ということもあって100名近い人が集まってくれたのではないかと思います。ご出席の皆さま、ありがとうございました。





隔月刊詩誌『石の森』128号
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2005.7.1
大阪府交野市
金堀則夫氏方・交野が原ポエムKの会 発行
非売品
 

  <目次>
   追伸             美濃千鶴 1
   ぱくぱくの森         南 明里 2
   毛玉のゆくえ         夏山直美 3
   残念ながら          佐藤 梓 4
   ダヴルゼロ・心の開拓     大薮直美 5
   発見             山田春香 6
   尋問             高石晴香 7
   蜜柑色の薔薇         西岡彩乃 7
   私の育った家         四方彩瑛 8
   龍木             金堀則夫 9
   <<交野が原通信>>       金堀則夫 10
   四方彩瑛詩集『飄飄』を読んで 美濃千鶴 11
   海に関する雑文        四方彩瑛 13
   あとがき 美濃千鶴           14



    私の育った家    四方彩瑛

   畑の中に腐臭がこもる
   家の裏の小さなスペースに畑がある
   その畑に夜目でも分かるほどに
   実るのである
   もう摘む人も食べる人もいない
   お前が好きだから植えたのだ、と
   ぼそぼそと言われたが
   私には苺が好きな
   そんな時期があったのか
   腐臭がこもる
   畑ごと実っている、腐っている
   腐っていく
   私の過ごした過去は
   こうやって葬られる

 「腐っている」「苺」を見た記憶はありませんが、「畑の中に腐臭がこもる」ほどなんですね。「私の過ごした過去は/こうやって葬られる」というのは誰もが経験してくることなのかもしれません。「私の育った家」で、死んだおふくろに「お前が好きだから」と言われて用意してもらったものは、お酒ぐらいしか思い浮かびません(^^; まだまだ「葬られ」ていないなと、自分に引き付けて読んでしまった作品です。




秦恒平氏著『湖の本』エッセイ35
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2005.6.30
東京都西東京市
「湖(うみ)の本」版元 発行
1900円
 

  <目次>
     日本を読む――文字日本史――
   徳………六   位………一二  例………一八  式………二四  名………二九
   親………三五  本………四一  折………四七  色………五三  侍………五九
   茶………六四  客………七〇  蛇………七六  筋………人二  遊………八七
   外………九三  縁………九九  楽………一〇四 葬………一一〇 祝………一一六
   職………一二一 私………一二七   以上・上巷   以下・下巻
   土………一三三 金………一三八 家………一四四 手………一五〇 身………一五六
   治………一六二 天………一六八 死………一七四 人………一八〇 暦………一八五
   物………一九一 女………一九七 花………二〇三 風………二〇八

     わが無明抄――思惟すてかねつ―― 下巻
   祈りと供養………… 89 選擇集と起請文…… 94 信じているのか……100
   静かな心……………105 どう死ぬか…………109 安心への道…………115
   人間なんだもの……120 思惟すてかねつ……125

   私語の刻……………131          篆刻 井口哲郎
   湖の本の事…………137      <装幀> 装画 城 景都
                       装本 堤 ケ子



    だが私一人の興味はさすがに五行思想になど今は向おうとしない。同じく暦をくりカレンダー
   を眺めながら、私が冬きぬ興味をいつも覚えるのは、「火」には火の、「木」には木の、それぞ
   れ「職」があって、その職を身に負うて生きてきた職人たちの歴史的な立場なり運命なりが、そ
   のままに「農」に対する「非農」のそれであったと気づかされるからである。
    鍛冶、海士
(あま)、木地師、山師、鉢屋と、例えばこう並べても火曜から土曜までが揃う。大経師(だいきょうじ)
   陰陽師
(おんみょうじ)を並べれば日曜も月曜も揃うだろう。七曜それぞれに、数えればもっともっと「職」は附
   随し、とどのつまり木も土も金も水も火も、ただに自然でなく人事
(じんじ)そのものであったことに気づ
   かされる。そして日本では、それら全部の分母然として、農業、が基盤にあるのだ、農が本
(もと)にあ
   ればこそ非農の立場が派生的にありえたのだという、いわば国是
(こくぜ)が出来ていた。不動の建前にさ
   れて来た。千五百秋
(ちいほあき)瑞穂の国でなければならなかった。

 前号に引き続いての「―文字日本史」です。「土」の部分を紹介してみました。「農」は基本にあったが「非農」はそうではなかった、しかし曜日に「非農」の民は表現されているのではないか、ということです。すなわち「鍛冶」=火、「海士
=水、「木地師、山師」=木、「鉢屋」=金。そして「陰陽師を並べれば日曜も月曜も揃うだろう」ということですね。そういう見方もあるのかと感心しました。




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