きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.12
宮崎「西都原古墳群」にて
 

2005.7.12(火)

 午後から墨田区の関連会社に出張してきました。新製品の開発状況の説明です。開発はもちろん技術部門がやるのですが、私は開発途中の品質状況を報告しました。目標をクリアしており、市場に出しても問題はないと報告して喜んでもらいました。でも、すぐに市場に出るわけではありません。あと1年後ぐらいかな。医療関連の製品ですから一般には目につきませんけど、お医者さんにとっては必須でしょう。ですから、それだけの時間が掛かるというわけです。

 個人的には医療や食料など、直接人間の身体に関係する仕事は好きではないのですが、これは採取した細胞などに使われますから、人間の身体に入り込むものではありません。会社の方針としてもそこはやらないようですから、ま、安心していますけどね。いずれにしろ、そういう仕事に就いてしまったからにはやるしかありません。世の中のため、人間の健康のためと考えれば遣り甲斐があると云えましょう。会社の利益にも貢献していますしね(^^;




個人誌『気圧配置』19号
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2005.7.20
熊本県熊本市
古賀博文氏方・気圧配置編集室 発行
400円
 

  <目次>
   ■ 詩    もがり笛          2
   ■ 詩    番小屋にて         5
   ■ 詩    オービター         7
   ■ エッセイ 夜狐(やこ)         9
   ■ エッセイ 森と水の都から−熊本だより 11
   ■ あとがき



    番小屋にて

    とっぷりと陽がくれたのち、銀河のかがやきが百億光年をこ
   えてくる時刻になると、かたむいた水平線のかなたから、こち
   らへむかってなにかいっせいにおしよせてくる気配がする。ヤ
   ドカリ、フナムシ、ザガミ、ウミウシ、ウミガメ……。海棲の
   小動物たちといっしょになって正体不明の巨大なものが、のっ
   ぴきならないおおきさのものが、こちらの砂丘へおしよせ、這
   いよってこようとしている。徹夜で物見する番小屋の板かべの
   すきまから強引におしいってこようとする無数の触手たち。番
   小屋ごと後方へ一気におしながしてしまおうとする不可視の意
   識たち。

    あつくるしい重圧感にいたたまれず、あとさきかまわずに戸
   外へでれば、あふれるほど頭上にまたたく、スバル、べガ、ア
   ンドロメダ、カシオペア……。オーロラのジェット気流が琥珀
   色した上空をいっきに吹きわたっていく。おしよせてくるもの
   よ。私をいずこかへとおしながそうとするものよ。あなたがこ
   よいねぐらとする天体はどこか教えてほしい。ほどなくして、
   わたしの方からそっちへ訪ねていこう!

 「あなた」とは「正体不明の巨大なもの」、「番小屋の板かべのすきまから強引におしいってこようとする無数の触手たち」、「番小屋ごと後方へ一気におしながしてしまおうとする不可視の意識たち」で、「おしよせてくるもの」ですが、この感覚はおもしろいですね。いったい何だろうなと、と思います。一番具体的なのは「不可視の意識たち」かもしれません。それも「天体」を「ねぐらとする」もの。具体的なあれこれを思い浮かべる必要はなく、そういう「不可視の意識」だけを考えればよいでしょう。しかも、それは怖いものではありません。「わたしの方からそっちへ訪ねていこう!」と言えるものですから。私には欠けているものを見せてもらった気がしました。




伊藤芳博氏詩集『家族 そのひかり』
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詩学選詩集(4)
2005.6.1
東京都文京区
詩学社刊
1200円+税
 

  <目次>
   8 屋根より低い鯉のぼり
   14 マウンテンカート
   20 雪合戦
   24 あとの祭りのあと
   28 予行演習
   32 「もしもし、もしもし、もしもし……」
   36 六月のクソッたれ
   38 すれ違う人
   40 せなかをおってちかづいてくるひかり
   46 老いていく詩人
   52 このへやにだけにほんいちの詩人がいる
   58 意味をもとめてはいけない雨が降る
   62 おじいちゃんの手を握る
   66 たとえば
   70 父の上にだけ雪は静かに降り積もる
   76 雪だるま
   80 キャッチボール
   84 母の一日
   90 言葉
   94 ラスト ワード

   98 あとがき



    せなかをおってちかづいてくるひかり

   子どもたちをつれてあるいていると よくきかれる
   いまいくつ?
   僕は四十さいです とこころのなかでこたえる
   息子は 五さい とちいさなこえでいい
   娘はちいさなゆびを二ほんみせる
   妻はわらっていて こころのなかはわからない
   ふろにいっしょにはいっているとき
   年齢のいみがわかってきたのかわからないのか
   娘は おおきくなったらといって
   三ぼん四ほん五ほん とゆびをたてる
   お父さんは何歳 と息子がきく
   ゆびをたてたりおったりして四十までかぞえる
   おおきくなったら といってもう二、三ぼんくわえる
   妻とはふろにはいらない
   子どもが一つゆびをおり
   僕が一つ歳をとり 妻も一つ歳をとり
   そして僕の父と母が一つ歳をくわえ
   ああ そのようにへいこういどうして家族はあちらへむかっていくのだ
   がんばっておおきくなると お父さんにおいつくぞ
   しょくじのときいえば
   息子は うちゅうよりもおおきくなる
   ちいさなからだをおおきくそらせ
   娘はいそいでぎゅうにゅうをおかわりする
   すこしのおさけであかくなっている妻はかくじつに三十六歳だ
   おいつくことはないのだよ
   さきにいくよ
   ゆっくりおいで
   ついてこれるところまではついておいで
   僕はそんなふうにおもっていたのだ
   だが僕がうまれたのをいわう日
   息子は五歳 僕の人生の八ぶんの一か
   娘はまだ二十ぶんの一だ
   などとかんがえていたとき
   ふいにおいつかれてしまった
   息子が十五歳のとき僕は五十歳だ(十ぶんの三)
   息子が二十歳のとき僕は五十五歳(十一ぶんの四)
   息子が三十五歳のとき僕は七十歳(二ぶんの一)
   どんどんおいつかれているじゃないか
   彼らが生まれたときが○歳ならば無限大のひらきがあったのに
   そういえば僕がちいさいころ 父の母も母の母もとしよりだった
   そうしてこのあいだまで父の母は九十五歳で
   七十五歳の父はその母にむかって両手をのばしていた
   だんだんちいさくなる
   おおきくなったらちいさくなる
   もうすこしで父のゴツゴツした手が父の母のよこになったかたにふれる
   ふれる手まえで父の母はきえてしまったけれど
   父の父は六十三歳で逝った
   父三十六歳 僕が二歳のときで 僕はだかれたおぼえもない
   生きれば生きるほど子どもたちにおいつかれ
   生きれば生きるほど親たちにおいつき
   ああ そんなふうに僕の手は父や母のかたにのびている
   僕は妻のかたをだきながら
   僕たちのかたにのびてくる手をまっている
   ふいにとおくのほうにぽつんとちいさなひかりのようなつぶてがあらわれ
   こちらへむかってしだいに手をひらいてきて
   子どもが生まれた
   僕達のせなかをおってちかづいてくるあたたかなひかり
   そのひかりもいずれどこかへきえてしまうだろうけれど
   それでもそのひかりは僕たちをめざしているのだろう
   僕もまた僕たちもまたあたたかなさびしいひかりをわたそうと
   僕の父もまた母もまた 妻の父もまた母もまた
   そういうひかりが
   生きているということなのか
   おいつく手前で親はきえ
   おいつかぬまま僕たちはきえ
   子どもたちさえいつきえるかわからない
   きえていったあちらでも 父の母は九十五歳なんだろうか
   父の父は六十三歳なのだろうか
   だれがだれをおいかけているのやら
   あちらでおいついているのやら
   四歳でなくなった父の妹はおおきくなっただろうか
   いまいくつ?
   おおきくなってももどってこれないね こちらへは
   僕も妻も 僕たちの子どもも 僕と妻の父母も
   生きているいのちはいましばらく
   おおきくなるものはおおきくなり
   ちいさくなるものはちいさくなり
   いましばらくいくつなにをかさねていくのか
   父のせなかがみえてきた僕に
   お父さんというちいさなよびごえがちかづいてくる

 ちょっと長かったのですが、この詩集の中核を成す作品と思い全文を紹介してみました。ちなみに詩集タイトルの「
家族 そのひかり」という作品はありません。
 「ああ そのようにへいこういどうして家族はあちらへむかっていくのだ」と私も納得したのですが、実は「どんどんおいつかれている」んですね。この発想はおもしろい。「だんだんちいさくなる/おおきくなったらちいさくなる」、「生きれば生きるほど子どもたちにおいつかれ/生きれば生きるほど親たちにおいつき」も同じ発想ですね。
 でも、ことはそんなに単純じゃありません。「僕達のせなかをおってちかづいてくるあたたかなひかり」があるのです。それを感じたことがこの作品の中心でしょうし、詩集の骨になっていると思います。「いまいくつ?/僕は四十さいです」も可笑しいけど、そこに惹き込まれて読み進めてきましたけど、もっと深いところのある作品・詩集です。




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