きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.6.12 | ||||
宮崎「西都原古墳群」にて | ||||
2005.7.23(土)
日本詩人クラブの広報誌『詩界』の編集会議が神楽坂エミールで開かれました。川中子編集長を中心に10名ほどが集まって、次号の大枠を決めました。13時半から始まって16時には終わりましたから、まあ順調だったと云えるでしょう。会員の皆様にはこれから担当者が執筆依頼をすることになりますので、連絡が行きましたらどうぞよろしくお願いいたします。
終ってすぐに繰り出して「安曇墅庵」という処で呑んでいましたが、生ビールを一口、二口呑んだところでグラグラと来ましたね。東京地方は震度5ということで、結構揺れました。でも、客も店員も慌てることはなく、TVの情報を見たり、携帯が使えないから公衆電話に走ったりはしましたけど、落ち着いていました。どうせ電車も止まっちゃったんだから、ゆっくり呑もうと珍しい焼酎「土竜」を頼んだりしてね…(^^; 神楽坂はちょうどお祭りで、地震なんかどこ吹く風と、ご覧のように賑やかでした。さすがは神楽坂の綺麗どころ、私も見惚れていました。 |
でも、結構大変だったんですよ。小田急線は動いていたので新宿まで出ようとしましたけど、JRはズタズタ。タクシーはみんな客を乗せていて、ようやく捉まえて四谷まで。四谷から地下鉄で新宿に出ました。小田急線も1時間は遅れていました。ま、何とか帰り着きましたけど、千葉県や茨城県の人は大丈夫だったのかな? それにしてもJRは弱い! 小田急を見習ってほしいものです。
○個人詩誌『玉鬘』31号 | ||||
2005.3.3 | ||||
愛知県知多郡東浦町 | ||||
横尾湖衣氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
◆詩「人形」
「サーカス」
「新年」
「つくしときのこ」
◆御礼*御寄贈誌・図書一覧
◆あとがき
サーカス
街の外れに
サーカスがやって来た
まるで別空間のように
熱気と興奮の
水蒸気であふれている
驚きと感嘆
そして笑い
夢のようなイリュージョン
気がつけば
跡形もなく消えていた
野原には
ぴゅーぅぴゅーぅ
風が吹きぬけている
私も子どもの頃から何度かサーカスを見に行ったことがあり、「気がつけば/跡形もなく消えていた」という経験をしていますが、不思議でしたね。当然ですけど、テントのあった場所は「街の外れ」の「野原」が多く、いつの間にか消えて「風が吹きぬけている」ばかりです。「まるで別空間のよう」な「熱気と興奮の」対極としての消滅。その対比をうまく表現した作品だと思います。
○個人詩誌『玉鬘』32号 | ||||
2005.7.7 | ||||
愛知県知多郡東浦町 | ||||
横尾湖衣氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
◆詩「手仕事」
「空き地」
「蓮の花」
「二人静」
◆御礼*御寄贈誌・図書一覧
◆あとがき
手仕事
手のひらをみつめる
秘められているものを探るように
この手には可能性と未来がある
ものを作り出す能力
機械による大量生産もいいが
手仕事には味がある
なぜか温もりがこもる
小さな密かな心遣い
使いやすさと丈夫さ
そこにくらしが
見えるからだろうか
私は「機械による大量生産」に携わっています。その反作用として「手仕事には味がある」と漠然と思っていましたが、最終連を読んでハッとしました。なぜ味があるかと云うと「そこにくらしが/見えるから」なんですね。私のような仕事では暮しが見えません。それはあくまでも仕事なんです。そんな大事なことをたった一言で気付かせてくれた作品です。
○個人誌『知井』創刊号 | ||||
2005.7.1 | ||||
京都市北区 | ||||
名古きよえ氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
詩 箍(たが)を直しにきた桶屋 名古きよえ 2
卯の花――中野
勉氏に捧げる―― 名古きよえ 4
寄稿 戦争体験を伝えたい 前田芳子 6
感想文 京北第二小学校児童 7
中国の心に残る詩(一) 雪蓮 艾青(あいちん) 9
詩 民族の魂 名古きよえ 10
エッセイ スクランブルの時 名古きよえ 16
あとがき 20
たが
箍を直しにきた桶屋 名古きよえ
庭に筵を敷いて
桶屋は崩れた桶を さらにバラバらにする
最後まで分解する
バラバらの木片をかたわらに たが
桶屋は青竹を器用にしごいて 箍を作る
箍に木片を羽目込むのも見事な手さばきだ
箍をぎゅっと締めて
桶はよみがえり 緊張感を持った桶が
女の手に渡される
時々 だらしないと
箍が外れたようだと戒められた
バラバラの木片は いかにも哀れだった
もう前から桶屋は来ないが
言葉だけ 頭の隅に残っていて
豊かな社会で 酷い事件がつづくと
「箍が外れている」と つぶやく
若し 庭に桶屋が来たら
子供は集まるだろうか
桶屋も 村々をまわって鍛えた諧謔を
楽しむだろうか
イキイキすることは 手を使うことだと
みんなあの頃は知らなかったのに
何故か イキイキしていた
個人誌の創刊号です。ご創刊、おめでとうございます。誌名の「知井」は名古さんの故郷の地名だそうです。市町村合併で消えるので誌名とした、とありました。
紹介した詩は創刊号の巻頭作品ですが、さすがに私の子どもの頃でももう「桶屋」はいませんでした。しかし「箍が外れ」て「バラバラの木片」になった桶は見ています。「箍が外れている」という言葉も意味も知っていますが、ことによると最近の若い人は知らないかもしれませんね。「桶屋」が「村々をまわって鍛えた諧謔」を弄したことまでは、さすがに判りません…。
最終連の「イキイキすることは 手を使うことだと/みんなあの頃は知らなかった」というのはその通りだったでしょう。でも「何故か イキイキしていた」。今にして思うと、いろいろなところでバランスのとれた時代だったのかもしれませんね。そんなことを感じた作品です。
○『名古きよえ詩画集』2005 | ||||
2005.7.11 | ||||
大阪市北区 | ||||
編集工房ノア刊 | ||||
1500円+税 | ||||
<目次>
はじめの言葉 3
詩 春の訪れ 4
生まれる 8
雪のなか 10
思い出 10
作品評 過去と現代が明滅する 周到に構築された画面(テレーズ・ジョセ) 11
多彩に盛り込まれたメッセージ(秋吉和夫) 12
心癒されるメッセージ(秋吉和夫) 21
多彩な要素の見事な調和(クリスティーヌ・シベール) 37
詩 かじか 15
感慨 22
夢 22
一年草 23
水飛沫 23
私たちの樹 28
枯れたひまわり 34
平和 36
ミカンのように 38
透明な重さの中に 39
エッセイ 私の小さいときに見た絵 40
ロイ・リキテンシュタインに会う 41
掲載作品 42
略歴 43
かじか
清流に睨みをきかしていたかじかよ
いつの間にいなくなったんだい
私たちはお前をカバと呼んでいた
少し離れた村ではドンコといったそうだ
ニックネームを持っていた かじかよ
流れに逆らって 砂や石の上にいたが
網にはすぐに入ってきた
生き方の下手なやつ
思わぬ毒にやられてしまったのか
山の神さまと仲良しの
お前は 川の神様だったのか
ユーモラスでカラフルなF6号の絵の写真とともに載っていました。私も子どもの頃はかじか捕りによく出掛けましたけど「網にはすぐに入ってきた」どころか、手で捕まえられました。本当にドジで不細工な魚だとおもっていましたが、「生き方の下手なやつ」とまでは思い至りませんでした。この見方にびっくりしています。そして、この言葉によって著者のかじかに対する愛情も知ることができました。「お前は 川の神様だったのか」と書くほどですから、愛着を持っているんでしょうね。絵とよくマッチした作品です。
○月刊詩誌『柵』224号 | ||||
2005.7.20 | ||||
大阪府箕面市 | ||||
詩画工房・志賀英夫氏 発行 | ||||
572円+税 | ||||
<目次>
現代詩展望 詩のボクシング考 … 中村不二夫 86
−パロールとエクリチエール−
〈自伝的戦後詩観(8)〉 少年詩の世界 … 津坂 治男 90
吉本隆明論(6) 擬制の終焉 … 森 徳治 94
流動する世界の中で日本の詩とは(10) 「抵抗する叙情」 … 水崎野里子 98
父・邦三の肖像(2) 詩と歌謡・喜志邦三回顧展の講演より … 喜志 房雄 112
詩作品□ 伍東 ちか 郷 愁 28
北村 愛子 わからへん 4 佐藤 勝太 父のおぼえ書 30
山崎 森 八月は残酷きわまる月だ 6 小沢 千恵 ラジカセ 32
松田 悦子 草を食むひつじ 8 織田美沙子 お酒は飲みますか? 34
山口 格郎 三個のむすび 10 檜山 三郎 八〇年回顧 離婚裁判 36
小城江壮智 無口な娘だが 12 野老比左子 あたらしい太陽 38
水野ひかる 四月の水辺に 14 中原 道夫 ゴッホ展にて 40
平野 秀哉 うた異聞 16 南 邦和 チャガルチ市場にて 42
宗 昇 風 鈴 18 安森ソノ子 狐へ 詩劇 45
山南 律子 生きいそぐ人へ 20 川内 久栄 うら枯れてゆく村 木の葉騒動 48
前田 孝一 構える 22 水崎野里子 ティレシアスの杖 51
肌勢とみ子 途 中 24 若狭 雅裕 消える鳥 54
小島 禄琅 へんてつもない小さい街 26 上野 潤 和蘭物語 18 56
名古きよえ 路地の空間 58 木村 利行 歓迎・涙 72
立原 昌保 夕 陽 60 高橋サブローミニ・クルーズ 74
進 一男 デパートで 62 川端 律子 地下水 76
山尾 管惠 傷 64 岩本 健 ショウ ザ フラッグ 78
門林 岩雄 土 他 66 清水 一郎 季節は巡り 80
鈴木 一成 某月某日 68 今泉 協子 枯山水の庭 82
徐 柄 鎮 海雲台浪漫 70 小野 肇 存在する時間 84
続・遠いうた 51 マイノリティの詩学 … 石原 武 102
チャーレス・レズニコフ詩集『ホロコースト』より
インドの詩人 アフターブ・セットの詩 2 … 水崎野里子・訳 106
コクトオ覚書 199 コクトオ自画像[知られざる男]19 … 三木 英治 108
東日本・三冊の詩集 狩野敏也『犬はつぶやく』 … 中原 道夫 126
渡辺宗子『水 篭』 稲垣瑞雄『淡きものたちよ』
西日本・三冊の詩集 佐相憲一『永遠の渡来人』 … 佐藤 勝太 130
貴志美耶子『董ほどな』 奥田守四郎『陽炎の重み』
受贈図書 125 受贈詩誌 133 柵 通 信 134 身辺雑記 136
表紙絵 申 錫 弼
扉 絵 中島 由夫
カット 野 口 晋 申 錫 弼 中島由夫
デパートで 進 一男
あるデパートで
若い日の私そっくりの熊彫りの青年を見た
勿論 相手の青年は 若い日の私を知る由もないわけで
私が余程熊彫りに興味があるとでも思ったようだ
小さな熊を一つ 私に差し出した
そのまま受け取るわけにもいかないので
それなりの大きさの熊を 私は一つ買った
そして お互いに顔を見合わせて笑い合った
その笑いは お互いに違った意味であったかも知れない
あるいは これなどまさに何千年か前の
親子または年の離れた兄弟とでも言っていいのかも知れないと
私は ひそかに 思ったほどなのである
ある年齢に達すると「若い日の私そっくりの」「青年」が現れるのかもしません。私も50を過ぎてから同じような経験をしています。不思議な感覚ですね。私はそこで終ってしまいましたが、作者は「あるいは これなどまさに何千年か前の/親子または年の離れた兄弟とでも言っていいのかも知れない」と、そこまで思考を深めています。これこそが詩人としての態度なのでしょう。止まらないでもう一歩深く考えてみる、それを教わった作品です。
○詩と散文・エッセイ誌『吠』29号 | ||||
2005.7.15 | ||||
千葉県香取郡東庄町 | ||||
「吠」の会・山口惣司氏 発行 | ||||
700円 | ||||
<目次>
詩 近況 ……………………………………………… 秋田 高敏 …2
夢の中の街 他一篇 …………………………… 桐谷 久子 …4
評 論 小海永二論(最終回) ………………………… 山口 惣司 …6
詩 メタ・セコイヤとの対話 ……………………… 大森 静夫 …14
行商 他一篇 …………………………………… 川本 京子 …16
海から虹が生まれるまで ……………………… 牧田 久美 …20
あれから六十年 他二篇 ……………………… 根本 マス …22
スマングス部落詩抄(二十五〜二十七)……… 察 秀 菊 …24
創作民話 「老人星」古式(2)
<第一章> アモル・セコ(二) ……… いちぢ・よしあき …28
エッセイ 網の目のように ………………………………… S ・ Y …35
麻酔から醒めて ………………………………… 平林 健次 …36
ロマンと伝説の地・済州島
浦島太郎が招かれた竜宮城か ……………… 大木 衛 …38
東総文学館便り ………………………………… S ・ Y …41
書 評 山口惣司第九詩集「天の花」を読む(三) いちぢ・よしあき …42
詩とエッセイ 霞ケ浦風の漁 ……………………………… 柏木 隆雄 …44
エッセイ 結城と新川和江さんと「栴檀の木の会」 …… 山口 惣司 …47
歴史考察 下総我孫子連合軍の壊滅 ……………………… 山下 広之 …48
時調研究 「韓国現代の愛の時調鑑賞(2) ……………… 瀬尾 文子 …50
エッセイ 酔水亭珍太の生涯(5) ………………………… 桂木 圭 …52
詩 離岸流T ………………………………… いちぢ・よしあき …56
半分の半分 ……………………………………… 山口 惣司 …60
受贈深謝 ……………………………………………………… 編 集 室 …62
編集後記 ……………………………………………………… S ・ Y …63
同人住所録 ……………………………………………………………裏表紙
表 紙 絵 山田かおり
題 字 紀国 東涯
目次カット 山田かおり
字崩し 桐谷久子
「寒」と言う字を崩して行く
一日に一つずつ
先ず「、」をとり一日は終る
次の日は「カンムリ」
その次の日は横線一本
その次の日も また一本
横を三本とり 縦(たて)を二本とり
カタカナの「ハ」をとり 点を二つとる
寒が崩れた
次に寒を構築する
最初の点からカンムリを画き
最後の点まで
数えてみたら 崩してもと通りにして
二十日かかった
冬ごもりの所在なさ
頭の中の遊び
春よ 早く来い
子供のように叫ぶ
寒は字くずしの中で
二十日ばかり暦(カレンダー)の眼線を替えました
節分
立春
おお あのかすかな跫(あしおと)は何?
早咲きの梅のほころびる
私の裡の中の心音かも知れません
毎日「『寒』と言う字を崩して」、「次に寒を構築する」のは何のためかと思ったら、「冬ごもりの所在なさ」をまぎらわす「頭の中の遊び」だったのですね。この発想はおもしろいと思います。それで「二十日かかった」のですから、画数の崩し、構築をやったら24日も掛ることになり、確かに1ヵ月なんてアッという間に過ぎてしまいます。「冬ごもりの所在なさ」とは云え、文字に拘る詩人ならではの発想ではないでしょうか。こういう「眼線を替え」ることも必要なのかと、勉強させられました。
(7月の部屋へ戻る)