きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.6.12 | ||||
宮崎「西都原古墳群」にて | ||||
2005.7.27(水)
特記事項なし。平凡な一日…とは云いながら同じような日なんて実際にはないんですけど。仕事のちょっとした違いや体調のちょっとした違いなどは毎日あるものです。それに蓋をして昨日と同じ≠ニ感じる感受性が問題だなぁ(^^; いただいた本を読んで、そんな鈍感さに渇を入れてもらっています。
○詩誌『hotel』第2章13号 | ||||
2005.7.10 | ||||
千葉市稲毛区 | ||||
根本 明氏方・hotelの会 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
■作品
雁風呂(がんぶろ) 柴田千晶 2
変容の円/魔の遺贈 野村喜和夫 6
The afetrnoon after rain 井本節山 14
夢の玩具 かわじまさよ 16
他夢(ほかゆめ) 海埜今日子 18
ものがたりの余白 相沢正一郎 20
雑草に伝わる水滴として 浜江順子 22
人に 根本 明 24
花囲い兎文様 澤口信治 26
春のたましい 川江一二三 28
■書評
穢土(トーキョー)の発話 三井喬子 11
□terrasse 31
表紙/カット かわじまさよ
ほかゆめ
他夢 海埜今日子
小さな消息が息づいていた。茎のからまる視線だった。粥のような
めまいがあり、空白を奏でるはがいじめがあった。したたるひとり
が待つ時間をねじりあげ、口のなかでちらめくこと。わたしは彼に
まみえるだろう。ひきのばされた出会いをとおして、ほのかにやす
らぐすきまについて。いたみだったかもしれない、反射がざわめく。
あなたからうけとったとわきでる嘘、うそ。
やさしいはがいじめがやってくる。露のようにしみわたり、刹那の
かたちがいれかわる。だから置き去りにうごめく日々、といっては
いけないのだよ。外部をうけいれる、その突端にまぎれること。過
去から他人がやってくる。蔓のちぎれた箇所だけが、当座の傷をお
くってくるのかもしれなかった。さしのべる手をもたずにいる、と
おい間近をうけいれること。
ほとんど無痛になった箇所だった。あたらしい接触、とうけいれる
ことがずれてゆき、古さの手前でほぐれてゆく。思い出にならなか
った軽さたちが、先端を、その切断を、手持ち無沙汰の寸前でほう
っている、とうつるのは一面でしかなかったから。さかなでするよ
うな突端だった。だれのためにもうごかない。愛撫がおそれにむせ
ている、はじまっている、そらをよこぎるひとすじの。それは知ら
ないどうしの最後の亀裂だ。
おきあがっためまいから、あかるいものが像をえがく、えがきたか
った。さびしさの距離をはかり、うずくまる。すきまがあかりでつ
つんでいた、反射よりもむつかしい、ふくらむまなこのために、無
言の喉元、のようなおもさが羽でたたく。いえた傷をまさぐる指、
女の腕にのこる悲しみ。はなれていくなまなましさを、おぼえてい
るのはだれであったか。
他人のようにうめき、へだたるものをぬぐうこと。錯覚が小ささを
ないものにしていた、としても、わたしは彼で埋めたかったのだ。
誰の重みもかぶさらないので、しびれる背中。みとめたほんとうが
傷を、といううらがあるのだろうか。からまりかたが記憶だった、
あなたをとおしてつたえられる、からっぽをいろどる紗が人肌で。
鋭利な先端を踏んでいた、中途だったが今日に似て。うらぎられた
想像のわき、たまさか切れ切れがだれかをなぞった。
詩の内容からタイトルに戻ると、他の夢とも夢の中の夢とも採ることが出来ました。構造的には二重、三重になっていておもしろいと思います。それだけ「あなた」への思いが屈折しているということでしょうか。文法を無視・破壊した「すきまがあかりでつ/つんでいた」などの詩句にそれを感じます。もちろん、ここで「あなた」を特定の男性や人間一般と採る必要はないでしょう。詩や芸術と採った方が作者の気持には近いのかもしれません。表面的な言葉に惑わされてはいけない作品だと思います。
○詩誌『W3』準備号 | ||||
2005.7.24 | ||||
東京都葛飾区 | ||||
井本節山氏方・W3事務局 発行 | ||||
300円+税 | ||||
<目次>
●海埜今日子
嘆く草原――『エレニの旅』
紫陽花
三本足の犬
●井本節山
interview
●生野 毅
冥弦
渇水期
河口で
河口で 生野 毅
河口で
修道僧の憂悶が
立ちふさがっていたなら
人が人に重なって
人と人が束ねられて
茎のように苦い液体を吐く
それが見える 或る刻限
出入りしていたのは
本当に船のかたちだったか
すべてが深紅色
マストも帆も
憎悪の肌の鮮やかさだった
河口では
あらゆるものが仰向けとなる
もはや動かぬ刻 そしてまた別の刻
「河口では/あらゆるものが仰向けとなる」というフレーズは、河口の形態を表現していると同時に、河川の最終としての河口の性質を巧みに現していると思います。しかしその河口は、私たちが普通に思い描くような穏やかなものではありません。「修道僧の憂悶が/立ちふさがって」おり、「マストも帆も/憎悪の肌の鮮やか」を持つ「船」が出入りする河口を想定していると思われます。ただし、それは「或る刻限」に限ってのことなのでしょう。こんな「河口」は初めて見ました。おもしろい作品です。
○詩誌『環』117号 | ||||
2005.7.23 | ||||
名古屋市守山区 | ||||
若山紀子氏方・「環」の会 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
高 梨 由利江 渡り鳥 渡れない 2
神 田 千 佳 流れ星 4
森 美智子 優しい時間 6
若 山 紀 子 酒の肴は 8
神 谷 鮎 美 フリー 11
菱 田 ゑつ子 光る草 14
鈴 木 哲 雄 稔りの巨樹 16
東 山 かつこ 弥次郎兵衛 20
さとう ますみ 白木蓮のブラウス 22
安 井 さとし 曇った眼鏡を通して 25
<かふえてらす>
森 美智子 鈴木 哲雄 神谷 鮎美 松田 利幸
<あとがき>
若山 紀子 31
表紙絵 上杉孝行
酒の肴は 若山紀子
おとこに 塩、胡椒を振りかけて
酒の肴にした
コショーが利きすぎて
まぶたの奥がパキパキしている
おまけにくしやみも出たりして
歩道橋の上で仁王立ちして
怒鳴っているのは誰
もうずっと 長い間ひき籠もっていたので
怒鳴り声がかすれている
☆×・▽※△◎×→?・・・
言葉は風に吹かれて
赤やみどりや紫いろのビーズになって連なり
ふわふわと 宙(そら)に上ってゆく
あ・あれは猫語じゃないの
そうなのか
きっとそうなのだ
猫と暮らしている人は
猫語しかしゃべれなくなってしまった
四角い車の
荷台の上にことばを落とすと
知らない土地まで運んでくれる
知らない土地で
言葉はじっくりと繁殖するだろう
だから
たとえ猫語だとしても
それはそれで満足なのだ
でも
やっぱり酒の肴は
詩に限るよね
ロジックに とうばんじゃんを
たっぷりと塗りこんで
ちょっと火に焙って ね
はい それできまりだ
今夜も詩を斜めに読んで
ひとつずつ 言葉を蹴飛ばしながら
ぐいっと ひと口
鴉は賢い鳥です
あそこに一羽
ここにも一羽
そのうち群れて
言葉の袋の隅を突つくようになり
ああ
もう長い腸がはみ出して
あんなにも流れ出している
(「詩と思想」に掲載されたものを修正)
「酒の肴は」「おとこに 塩、胡椒を振りかけ」ることもあるけど、「でも/やっぱり」「詩に限る」んですね。「ロジックに とうばんじゃんを/たっぷりと塗りこんで/ちょっと火に焙って」、そうやって私たちも「酒の肴」にしてきたなと思います。「男」「猫語」「鴉」と役者は次々に登場してきますが、根底のところは詩なんですね。それを感じた作品です。
第2連の「☆×・▽※△◎×→?・・・」というフレーズのうち▽は原文ではハート型です。JIS文字コードにはありませんので代用しています。ご了承ください。
○片山一行氏詩集『おそらく、海からの風』 | ||||
2005.4.23 | ||||
東京都新宿区 | ||||
早稲田出版刊 | ||||
1500円+税 | ||||
<目次>
難破船 8
理由を探す 10
流れる 1970 12
KISSの永遠性ついて 20
首 24
日蝕 26
すこし、遅れ気味に走るひと 36
のちの日の二月 44
飛べない男 46
不安定な台詞 50
濾過、それとも海からの風 52
こんなふうに鴎が 54
運河を超えてゆく声、または夏 56
都市の輪郭 62
Eへ 66
裏側へ――海の構図 68
木を見る 72
かたつむり 76
古い街に新しい雨が降る 78
花の叙述 82
プロローグ 84
あとがき 88
装幀 川畑博昭
古い街に新しい雨が降る
生まれたのは
十分も歩けば海岸に出る街だ
何かの間違いのように季節が過ぎ
二十五年がたった
いま
海のない街に住んでいる
いつの間にか
脂っこい方言が消え
如才ない口調がしみついて
体からいろいろな匂いが消えていった
あの頃
黒い運河の上を
機械油の香りがする風が吹きすぎていった
曲がりくねった草だらけの道を
赤銅色の人たちが歩いてきて
海への改札口を通っていった
私は切符を買わずにその街を出た
振り向くと
校正された口説き文句が
カラカラと将棋倒し
都市の輪郭が尖った陽射しに削られて
糸屑のように私にからみつく
後悔はいつも
コピーされた男の顔写真のように
漠然と同じ表情をしていた
けれども最近
窓を開けると海が見えることがある
ブラインドを開けると
懐かしい匂いが喉の奥に滲み出てくることがある
コンクリートの路地を歩くと
猫が数匹
腹を出して寝ている風景に出会うことがある
乾いた駐車場に花が咲き
風が茎を揺らして通りすぎ
子供たちの声が散ってゆく
「そういえばあの街にもこんな子供たちがいた」
と思うことがある
「そう思えるまでに二十五年かかったのだ」
と笑える自分がいる
窓から見える灰色の道を見ながら
私は途中の夢を取り出してみる
流れてきた秋の匂いが
なつかしいほど無口な海の色になった
著者は愛媛県宇和島市生まれで、現在、東京・板橋区在住。実用書の編集が生業のようで、第一詩集です。紹介した作品は、そんな著者のこれまでが端的に表現されていると思います。著者の置かれている状況が判るというだけでなく「古い街に新しい雨が降る」というタイトルにまず惚れ込みました。時間と空間を適切に捉えている視線の勁さを感じる言葉です。「何かの間違いのように季節が過ぎ」というフレーズも佳いですね。時間はそうやって「何かの間違いのように」過ぎているのかと納得させられます。「機械油の香りがする風」という詩句には文字通り匂いがあり、「後悔はいつも」「漠然と同じ表情をしていた」には人生を重みを知っている詩人の言葉が凝縮されていると思います。実業の世界だけでなく詩という文学の世界でも、今後のご活躍を期待しています。
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