きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.8.3
馬籠「藤村記念館」にて
 

2005.8.4(木)

 長野の旅2日目は飯田市美術博物館を訪れました。美術館の敷地に併設されている「柳田國男館」「日夏耿之介記念館」見学が目的です。もちろん美術館も楽しみましたけどね。

          こちらは「柳田國男館」。驚いたことに「柳田國男館」も「日夏耿之介記念館」も無料です。普段は鍵が掛っていて、美術館職員の女性が鍵を開けて付き添ってくれました。話をしてみると文学に詳しいわけでもないので、本を持って行かれないように見張っているだけかもしれませんね(^^; でも、時間の制限は無いし、対応も親切で好感を持ちました。
 館の中はさすがに本・本・本……。民俗学関連では私の好きな宮本常一の本もかなりありました。思わず手元に置きたくなりましたから、やはり見張りは必要ですね(^^;

 それにしても広々として羨ましい限りです。二階建ての建坪は100坪を越えているかもしれません。個人の書庫としては充分な広さでしょう。
     こちらはこじんまりとした「日夏耿之介記念館」。日夏耿之介は、私が理事を務める日本詩人クラブの先輩詩人でもありますから、敬意を持って見学させていただきました。建物は復元ですが、日夏が死の床に着いた六畳間もあって、胸に迫ってくるものがありました。

 壁に飾られた写真には、昭和初期から戦後の詩人たちとの交流を撮ったものも多く、そのほとんどが今に名を遺している人たちばかりです。50年を過ぎた日本詩人クラブの歴史をも彷彿とさせましたね。
    





詩誌『ONL』80号
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2005.7.30
高知県四万十市
山本 衞氏 発行
350円
 

  <目次>
   現代詩作品             俳句作品
    柴岡  香 命       1   瀬戸谷はるか 桜桃の影   34
    柳原 省三 戦うということ 2   香 乃 葉         35
    宮崎真理子 悠久の歴史   5
    葦  流介 墓標      6
    水口 里子 青い炎の傷あと 7  随想作品
    土志田英介 夢の浮橋    8   小松二三子  ハンカチの木 36
    丸山 全友 耳学問     10   秋山田鶴子  明暗     37
    名本 英樹 いつものこと  11   芝野 晴男  あじさい会  38
    森川 彩美 タネ      12
    大森ちさと 煙       14
    福本 明美 坂の下の家   15  手紙評
    岩合  秋 あじさいの花  16   三沢浩二          40
    河内 良澄 にんげんが   18
    浜田  啓 時代      19   現代詩の集い案内      42
    西森  茂 奇病続きの男に 20   後書き           43
    土居 廣之 七夕の星    22   執筆者名簿
    北代 佳子 花       23
    長崎 恭子 めぐみ     24
    徳廣 早苗 とんぼ     26  表紙
    山本  衞 泥の中で/他  28   田辺陶豊 《田園の譜》
    大山 喬二 身辺雑記(詩?)31



    泥の中で    山本 衞

   あのシオマネキの齢は
   ことしいくつになるのだろうか
   きょうも干潟に
   鍬を打つ

   老後や余生というものが
   あのものたちにも
   あるのだろうか
   それとも
   死の直前まで
   片腕の重さを
   泥の中に確認しつづけるのだろうか

   シンメトリーが王道だと
   世間は声高に主張するが
   均整に異を唱え
   歪さをあるがままに
   蒼い空の下
   寄せてくる潮時までのひととき
   振り続けるカタカマ槍の鎧武者

   思いや願いはどうなっているのだろうか
   なんの不便さやコンプレックスも持たぬげに
   泥の巣の泥を積み重ね
   泥を吐きだしている

   ぼくもまた
   シオマネキをまねて腕を振るが
   詩神はついぞ満ち潮に乗ってくる気配はない
   耕した跡に
   どこまでも干上がっていく
   遠浅の入り江の泥濘
(ぬかるみ)

 「振り続けるカタカマ槍の鎧武者」に寄せる視線がやさしい作品だと思います。「シオマネキ」に「齢は/ことしいくつになるのだろうか」「老後や余生というものが/あのものたちにも/あるのだろうか」と語りかける人はなかなかいないでしょう。そこから自分に振り返って「詩神はついぞ満ち潮に乗ってくる気配はない」としていますけど、これは判りますね。「耕した跡に/どこまでも干上がっていく/遠浅の入り江の泥濘」があるのは毎度のこと。「シオマネキ」と詩想を巧く結びつけた作品と云えましょう。




文芸誌『扣之帳』9号
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2005.8.5
神奈川県南足柄市
扣之会・東 好一氏 発行
400円
 

              ◇表紙 宮本佳子
   ●目次●       ◇カット 木下泰徳/F・みやもと
   小田原の文学発掘(5)
   「小説家」長谷川如是閑・・・/岸 達志 2
   「尾崎一雄と俳句」余聞・・・/佐宗 欣二 20
   私の好きな言葉(書と文)・・・/岡田花子 25
   小田原周辺における「米山薬師」信仰は?/木村博 26
   連歌師 宗祇の霊・・・/加藤利之 28
   カルメン日記・・・/桃山おふく 33
   洛北だより・・・京都からの絵手紙/山端遊人 40
   インターネット情報と郷土史再発見/石井啓文 42
   スペインからのメール・・・/田賀敦子 48
   安叟宗楞(8)「全体是れ外道なり」/青木良一 50
   加藤清正・・・栄光と嵯鉄/前田勝 59
   足柄学講座一民俗編
   「城下町の民俗的世界」(2)/西海賢二 63
   編集後記 78



    数年前までは夢にも思わなかったネットなるもので、
   郷土史調査に図書館蔵書の有無が自宅で確認できる便
   利さを大いに活用している。
    また、『甲陽軍鑑』なども検索できることを知った。
   反面、簡単に情報を得ることができるネットの便利さ
   はこの上ないが、史料を示さない間違いではないかと
   も思われる情報も、いとも簡単に発信されている怖さ
   も思い知らされた。

 紹介した文章は石井啓文氏の「インターネット情報と郷土史再発見」の一部分です。氏は小田原藩の岩瀬大江進正敬などを調べるのにインターネットの検索機能を利用したそうです。検索のキーワードにもよりますが、ヒット数は100を越えたようで、その便利さに驚いたとありました。
 しかしその反面、ネットの特質である匿名性が仇となって、筆者名が無いことや「史料を示さない」情報に「怖さ」もお感じになったようです。これは当然のことで、ネットは精度の悪い一次情報として扱い、実際には図書館で調べたり本を購入するために利用した方が良いでしょうね。拙HPのようにネットの発信側の私が言うのはおかしいかもしれませんけど、本当に大事なことは発信できません。依頼原稿に応えるためにも秘蔵しておく部分があることをつけ加えておきましょう。それに、悪意はなくとも間違った情報を発信してしまう可能性も否定できません。それらを加味しながらご利用いただければ、と思う次第です。




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