きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.8.3
馬籠「藤村記念館」にて
 

2005.8.7(日)

 ライヴハウス「四谷コタン」に行ってきました。HATAさんと奥野祐子さんに誘われました。同じ日に二人のライヴが聴けて、明日は休み。こんなラッキーなことはありません。

  050807-1.JPG      左がHATAさん。いつもサングラスで歌っていて、ちょっとコワモテですが、メガネを取ると優しい眼なんです。それにしてもビールを呑みながら歌っていたんですね、気付かなかった。そんな気楽さで歌える、私たちも呑みながら聴いている、それが「四谷コタン」の魅力でもあります。

 ストロボが使えないんで、相変わらずブレてますがご海容のほどを…。
   右が奥野さん。今回も初めて聴いた曲がありました。備忘録で控えておきます。
(1)ひとり
(2)ふるさと…編曲していました。
(3)神さまのいない夜…新曲だと思います。
(4)I feel the earth move…キャロル・キングの曲で、これも初めて聴きました。
(5)きみの友だち
(6)神さまがおられたならば
(7)雨のブルース
(8)スナップショット
(9)face
(10)smale
(11)Amazing Grace
 そしてアンコールに「赤い靴」。今回はアンコールまであって、初めてかもしれませんね。
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 私の夏休みのド真ん中。いい休日でした。




隔月刊詩誌『鰐組』211号
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2005.8.10
茨城県龍ヶ崎市
仲山 清氏編集 ワニ・プロダクション 発行
300円
 

  <目次>
             連 載
   村嶋正浩●詩のホスピス/吉増剛造 作品って何
3
     愛敬浩一●詩のふちで/いまは遠い世界
5
   山中真知子●マイ・パフューム/火の水、不知火
11

             詩 篇
         平田好輝●したり顔
2
        村嶋正浩●いい日旅立ち
4
    服部たく●イトーヨーカドー東久留米店
6
         福原恒雄●ガス
8
      相生葉留実●鳥辺山へ行った
10
       弓田弓子●われわれI
12
        尾形ゆきお●なまはげ
14
        仲山 清●とんぼ譜
16
         小林尹夫●棲息19
18
       今号の執筆者/作品募集



    ガ ス    福原恒雄

   堅い卓の上で
   溝の条をも抹消するようにでこぼこに膨らんだ
   南瓜に    
へた
   突出する沈黙の蔕を見つけると
   困ったことに
   作業の時間が蘇ってきて
   おれのほうを向かせると拳ふってもぎ取る

   あまい弾力が滑る
   喉のあたりの
   そうかい そうかいの合点が
   たたずまいの隅を掻き回して掴んだ
   錆びはじめた彫刻刀で
   せかいが今ひっくり返ろうと
   のぞんだ関係のように
   彫る

   しゃかりきが
   弾んでいるうちにと
   意が叶ったように歩き疲れてやって来た彼に
   見せびらかすと
   へのじの口を極端に曲げて
   なに これ と
   見たままのマル検のしるしなのに
   何刻んだんじゃと
   そっぽ向く

   たしかに関心薄弱症候の視覚が刻んだ凸状は薄いが
   言いかけたおれのご託を
   よせやいと
   にべもない彼は
   顎を撫で酸化した評論の残りのガスを抜く
   うしろのちいさな窓に
   歩くより変わりのはやい空のかたち
   明るさに馴れた遠い畑作地域
   かすむ

   視覚が見るよりも視覚を刺す針のほうが
   すばやいと肩の姿勢まで扁平の彼が去ると
   もうマル検を押す作物は
   やってこないかもしれないなと
   蔕のとれた南瓜と語る日があれば
   忘れかけた夕焼けの唄のかけらでもくっつけて
   彼にくるりと送りつけてやろうと思う

 福原さんの詩は決して読みやすく手触りの良い作品ではありません。この作品も難解と云えば難解なんですが、キーワードがあると思います。間違いかもしれませんが私が思っているキーワードは「南瓜」と「作業の時間が蘇ってきて」というフレーズです。それに作者が1945年の敗戦時には10歳だったことを掛け合わせると、勤労奉仕という死語や芋版(南瓜版?)が浮かび上がってきます。私は1949年の生まれですから、当時のことはもちろん体験していませんが、書物や体験者の話からそれらがどんなものだったか想像して読んでみました。もちろん、無理にそんな時代設定をせずに現代として読んでも間違いではないでしょうけど…。

 タイトルの「ガス」は「顎を撫で酸化した評論の残りのガスを抜く」から来ていると思います。ここはさすがに巧いですね。私たちはいつもそうやってガス抜きをしてきた、あるいは余儀なくされてきた、と読み取りました。「関心薄弱症候」は作者自身への規定だと思いますが、実は誰にでも当て嵌まることではないでしょうか。関心を寄せなければいけない政治や社会には無関心で、こまごまとした日常やタレントの動向のみに関心を抱く私たちへの警句、とまで読むのは読みすぎでしょうかね。
 この作品の感想文を本気で書くと原稿用紙100枚は越えそうなのでやめますが、そんな私の的外れな読みもご参考に、じっくりと鑑賞してみてください。ジワジワと味が出てきますよ。




詩誌『すてむ』32号
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2005.7.25
東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会 発行
500円
 

  <目次>
  【詩】 スカート/かいまき■長嶋 南子 2
           皮/返事■青山かつ子 6
          さむい空地■坂本つや子 10
            草の夜■松岡 政則 16
              泥■川島  洋 18
              砦■閤田真太郎 20
          くらやみ坂■甲田 四郎 23
    ユダの悲しみ/日を編む■田中 郁子 26
            街/夜■赤地ヒロ子 30
            山帽子■水島 英己 33
          掃除/鼻歌■井口幻太郎 36
          低い目線で■松尾 茂夫 40
  【エッセイ】
            スロー・ランゲージ◆川島  洋 44
               山桜咲くころ◆田中 都子 47
             続・見られている◆閤田真太郎 48
   晩春に書いた、きみへ出さなかった手紙◆水島 英己 50

  すてむ・らんだむ 5
                   表紙画:GONGON



    皮    青山かつ子

   −ご不要のものはありませんか
   声をかけてくだされば何でも取りに伺います−

   日曜の午後
   声をめがけて走った
    きくばり
    おあいそ
    へりくだり
   いくらで引き取ってもらえますか
   こういうものは処分がむずかしいので
    高くつきますよ

   それでも
   分厚くなった皮を
   おもいきって処分した

   気分は爽快 だが
   さらされた身はすこしの風にも
   ひりひり痛む

    おせっかい
    まけずぎらい
    みえっぱり
   わたしのどこを切っても
   何かが顔をだす
   これからは剥きだしのわたしを
   なだめ なだめて生きていく

   覚悟をきめて
   鏡の自分に笑ってみせる と
   もう新しい皮が
   うっすら
   ひろがっている

 最終連が佳いですね。「分厚くなった皮を/おもいきって処分し」ても「もう新しい皮が/うっすら/ひろがって」くるというのは、人間の本質的な業なのかもしれません。だからと云って、やっても無駄だとこの作品は謂っているのではないと思います。それら全部をひっくるめて「なだめ なだめて生きていく」のが人間なんだと言われているように思います。軽いタッチですが、内容は濃い作品だと思いました。




水崎野里子氏詩集『二十歳の詩集』
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新・現代詩新書シリーズ 3
2005.8.15
横浜市港南区
知加書房刊
1100円
 

 <目次>
  日々はあなたの靴音のように …10
  東京 …12
  反抗 …15
  アフリカ …17
  殺戮 …20
  不満足 …23
  穴の中 …24
  それから …27
  或る時 …28
  言葉 …30
  九月 …32
  ペンキ屋 …34
  新宿 …36
  アルルカン …38
  花へ …40
  女 …42
  無題2 …44
  日常 …46
  ラッシュ・アワー …47
  自由 …48
  作品1 …49
  道化師1 …50
  道化師2 …51
  不快指数100 …52
  倦怠 …54
  無題 …55
  遠方からの朝 …56
  サモイヤナ …58
  一日 …61
  絵画 …64
  日盛り …66
  五月 …68
  草原 …70
  志賀島 …72
  雲仙 …74
  東支那海 …76
  有明海 …78
  島原にて …80
  別府 …82
  メモ …84
  傷 …86
  無題1 …88
  秋2 …89
  朝2 …90
  作品4 …91
  夜 …92
  さくらんぼのある時間 …93

  ・あとがき …96
                装幀 出海渓也



    草原

   曼珠沙華があるという
   曼珠沙華を探しながら 踏む
   雑木林の草の道
   ふと立ち止まる
   雑木林の切れ目
   広い草原の突然の驚き

   広い草原の突然の驚き
   原野という言葉へのあこがれが出て来て困る
   一面の赤い曼珠沙葦 原野
   そのあこがれに耐えきれず 踵を返す
   路と雑木林と草原の境

 著者の二十歳前後の作品を集めた詩集とのことです。あとがきには「詩をまとめつつ、私は終始、一種気恥ずかしさと同時に、羨望に似た気持を抱いていた」とありまして、その気持がよく出ているのが紹介した「草原」だろうと思います。「原野という言葉へのあこがれ」というのは判りますね。私もそんな気持があったのか「雑木林の草の道」や「広い草原」をよく歩いたものです。
 「そのあこがれに耐えきれず 踵を返す」というフレーズに注目しています。この感覚はおもしろい。このフレーズが水崎野里子という詩人の出発点、と言うのは言い過ぎかもしれませんが、最近の著作を読んだ記憶と照し合せると、それに近いものがあるように思います。いずれにしろ現在の詩壇の中核となっている詩人の、初期詩篇に触れるのは貴重なことと云えましょう。




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