きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.8.3
馬籠「藤村記念館」にて
 

2005.8.8(月)

 私の短い夏休み・6日目。特記事項なし。終日いただいた本を読んですごしました。




詩誌『砕氷船』11号
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2005.7.31
滋賀県栗東市
苗村吉昭氏 発行
非売品
 

  <目次>
   詩  一片の黙示録         森 哲弥 … 2
      ミロ・ミロ          苗村吉昭 … 18
   小説 脳髄の彼方(5)       森 哲弥 … 26
   随想 プレヴエールの詩をどうぞ(4)苗村吉昭 … 32
   エッセイ 星の夜のカフェ      森 哲弥 … 38
        詩のカード        苗村吉昭 … 39
             表紙・フロッタージュ  森 哲弥



    ミロ・ミロ    苗村吉昭

    僕は小高いプケ・プケ(丘)の上から、遠くのモアナ
   (海)を眺めていた。神なるラア(太陽)は燦燦と降り
   注ぎ、青いモアナ(海)に銀の煌きを与えていた。いつ
   ものように、林の小道を抜け、あの人は静かに歩いてき
   た。そして僕の姿を見つけると、静かに手を上げて挨拶
   してくれた。僕はもう何度もこのプケ・プケ(丘)にき
   ていて、あの人と話をすることを楽しみにしている。温
   和な気候と肥沃な土地に恵まれたこのイゥィ(国)では、
   ほとんど労働らしきことをしなくても生きていける。カ
   ウィ・カウィ(魚)が食べたければモアナ(海)に潜れ
   ばいい。カラレヒ(肉)が欲しければ仲間を募って狩に
   行けばいい。パンが食べたければ、大地を耕し小麦を栽
   培すればいい。でも、木の実や果実や自然薯で満足する
   のであれば、「カ・ワカパイ・アホウ・キ・コエ・モ・タ
   ウ・アタワアイ(いただきます)」という感謝の言葉と引
   き換えに、森の神から自分の食べる分だけを分けて貰え
   ばいい。あの人は、もうずっと前から、モアナ(海)に
   も潜らず、狩にも行かず、田畑を耕しもせず、言葉だけ
   を頼りに生活している人だ。そしてときおり、このプケ・
   プケ(丘)に腰掛けて何かを考えて続けている。僕はみ
   んなと同じように、最初、あの人のことを変わった人だ
   と思っていたが、ひとこと、ふたこと、言葉を交わして
   みると、僕もあの人のような生活をしたいと思うように
   なってしまった。

    あの人は、ようやくプケ・プケ(丘)の上まで上がっ
   てきて「キア・オラ(やあ)」と言って、僕の傍に腰を降
   ろした。僕らの頭の上を、ミロ・ミロ(小鳥)が一羽、
   飛んで行った。

    「今日は何を考えておられたのですか?」と僕はさっ
   そく、あの人に尋ねた。あの人は、遠くのモアナ(海)
   の煌きを見つめながら、しばらく黙っていたが、やがて
   口を開いた。
    「どうして、人は老いるのだろうか? なぜ永遠に若
   いままでいられないのか? といったことだよ」
    「それは、いずれ私たちは死ぬからでしょう。死に向
   かう過程として、私たちは生れた瞬間から、日々老いて
   いくのではないのでしょうか」
    「命あるものは必ず死ぬ。そんなことは分かっている
   さ。でも、若々しい姿で突然ポックリ死んだっていいじ
   ゃないか。なぜ、若い盛りを過ぎれば、顔に皺を刻み、
   毛は抜け、老いた姿をさらす必要があるのだろうか。そ
   れには何か深い意味があるに違いない、と私は考えてい
   たのさ」

    さっき飛んでいったミロ・ミロ(小鳥)が、別のミロ・
   ミロ(小鳥)を連れて戻ってきた。高い木の枝に留まり、
   二羽のミロ・ミロ(小鳥)は盛んに囀り合っていた。あ
   の人は優しくミロ・ミロ(小鳥)の姿を見守っていた。
   ラア(太陽)は相変わらず、眩しく照りつけていた。

    「生きていくために、私たちは息を吸うだろう。たぶ
   ん、私たちは息をする度に、体の中を錆びさせながら、
   命を繋いでいるに違いない」
    僕はキョトンとして、突拍子もないことを言うものだ、
   と思いながら、あの人の話を黙って聞いていた。
    「鉄は錆びるだろう。あれと同じ原理だろう。体が酸
   化していくのさ。でも、それは仕組みに過ぎない。それ
   より私が考えているのは、私たちが老いていく意味のこ
   とさ。老いるということ、老いた姿を見せるということ
   に、いったい、どんな意味があるのだろうね」あの人は、
   相変わらずミロ・ミロ(小鳥)を見ながら、そう言った。
    「もし、人が永遠に老化しなければ、素晴らしいです
   よね」
    「そうだろうか・・・」
    「だって、外見も内面も、命ある限りいつまでも若々
   しいのですよ。足腰が立たなくなったり、目が霞んだり、
   歯が抜けたりしないんですよ。そんな状態が一日でも長
   く続くということは、やはり僕らにとって幸せなことに
   は違いないでしょう?」
    「うん。それはそうだね。そうすると、老いた人がい
   るということは、そうでない人が幸せを感じるために必
   要な存在ということなのだろうか? 自分はまだ年老い
   ていなくてよかった、と安心するために必要な存在とい
   うことなのだろうか?」
    「そうではないでしょう。だって、人はいずれみんな
   老いていかねばならないのですから、自分だけが不幸だ
   とは言えないでしょう」
    「すると、かつて幸せを感じた恩返しに、年を取るこ
   とによって誰かの幸せのために自分の老いをさらす、と
   いうことになるのだろうか? 老いた人は若い人との対
   比のために存在するのだろうか? その結果として、ひ
   とときの 幸せを創出する、 という意味があるのだろう
   か?」
    僕は何かわけが分からなくって、あの人の問いに的確
   に答えることができなくなってしまった。他人と比較さ
   れることによって存在するというのは、きっと寂しいこ
   とに違いない。僕らはそんなことのために存在している
   わけでは決してないとも思うのだが、一方で完全に否定
   しきれないこともまた事実なのかも知れない。僕らは他
   人より秀でていれば得意になる。どうせなら他人より強
   く、他人より裕福に、他人より美しく、他人より尊敬さ
   れたい。そのためには他人が必要だ。自分だけでは比較
   できないのだから。そう思うと、あの人の問いかけにも
   納得できるものもある。

    「私はね」と長い沈黙をおいて、あの人は口を開いた。
   「人生をよりよく生きるために、老いという定めがある
   のだと思うよ」
    「・・・」僕は黙って、あの人の次の言葉を待ってい
   た。しかし、あの人の次の言葉はでなかった。なぜ老い
   ることが、人生をよりよく生きることになるのか、なぜ
   あの人はそれ以上の説明をしないのか。僕は自分ではそ
   の答えが見つからなかった。
    「どうして、老いることが人生をよりよく生きること
   になるのでしょうか?」と僕は素直に聞いた。あの人は、
   ミロ・ミロ(小鳥)から目を逸らし、僕の方を真っ直ぐ
   に見た。
    「いま、栄華を極めているこのムーというイウィ(国)
   が、この先も豊かなままで繁栄を極め、他国を睥睨し世
   界の中心であり続けていたとして、ある日突然、モアナ
   (海)に没するようなことになったとしたら、後世の人
   たちはムーをどのように思うだろうね。」

    それから、あの人は、遠くのモアナ(海)を眺めた。
   僕もあの人のようにモアナ(海)を眺めた。神なるラア
   (太陽)は傾き、モアナ(海)を朱色に染め始めていた。
   いつの間にか、二羽のミロ・ミロ(小鳥)も飛んでいっ
   てしまい、僕らのいるプケ・プケ(丘)は、ひっそりと
   静まり返っていた。

 ちょっと長かったのですが全行を紹介してみました。不思議な言葉を遣う人たちは謎の「ムー」大陸の人たちと想像できますね。それにしても本質的な話が出てきておもしろいです。「人生をよりよく生きるために、老いという定めがある」と謂う、哲人「あの人」の言葉は深いと思います。「僕」の「どうして、老いることが人生をよりよく生きること/になるのでしょうか?」という問に応えていないところがこの作品のミソだと云えましょう。それは読者ひとりひとりが考えて、ひとりひとりの答を出すこと、と言われているように思います。




個人誌『風都市』13号
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2005夏
岡山県倉敷市
瀬崎 祐氏 発行
非売品
 

  <目次>
   叛乱船         ・・・・ 瀬崎 祐
   裏顔の消し方      ・・・・ 棹見 拓史
   朝の詩         ・・・・ 瀬崎 祐

   □寄稿者   棹見拓史 詩誌「ぱらた」「蘭」同人
   □写真・装丁 磯村字根瀬



    朝の詩    瀬崎 祐

   おはよう美和町一丁目 私は元気だ
   いつも客のいない写真館の角を左に曲がり
   古いコーヒー専門店の前を通りすぎる
   向こうに心臓病センターが見えはじめると
   まもなく
   少し調子のずれたピアノ・ソナタが聞こえてくる
   異国の言葉で笑いあう人々からは離れて
   失った色を求めている
   朝の食事を求めて運河を越えれば
   私は水のように自由だ

   おはよう美和町一丁目 私は元気だ
   きのうの夜は救急車ばかりが走り回っていた
   他人が遭遇した事故のことはもう忘れた
   認知症になった老婆や
   自殺未遂をした受験生のことは遠い話だ
   この街では朝から風が強い
   今は ベランダから青い色を捜している
   網膜のうえでスライドのように切り替わる風景も
   にじみが取れて
   今朝は鮮明なものばかりだ

   おはよう美和町一丁日 私は元気だ
   ふいに叫ぶ まだ青いぞ と
   運河の街で暮らしたのは
   もう なん十年も前のことだったかもしれない
   間違いだらけのピアノ・ソナタ
   君も迷いながらピアノを弾いていたことに 今更ながらに気づく
   そんな風に
   このひとときに
   なるべく多くの言葉を書きとめておこうと考える
   妻が描いた地図を確かめたのは 昨日のことだった

   おはよう美和町一丁日 私は元気だ
   このベランダから
   私の肉体は もうすぐ落ちるのだろうか
   やがて潮が満ちて
   海の水がすさまじい勢いで運河をさかのぼりはじめる
   海に捨てたはずのものが次々に押しよせてきて
   街路樹をなぎ倒していく
   いつも客のいない写真館も
   古いコーヒー専門店も 心臓病センターも
   昨夜の芥と一緒にして次々になぎ倒していく

   おはよう美和町一丁目 私は元気だ
   私はつかの間の眠りから覚めて
   再び気流の向こうに朝を迎える
   粒子が私の肌にぶつかっては跳ねていく
   おはよう美和町一丁目 私は元気だ
   私を囲んでいるものが溶けていく
   私を縛り
   私の形を作っていたものが溶けていく
   おはよう美和町一丁目 私は元気だ
   ついに私は水のように自由だ

 「おはよう美和町一丁目」という呼びかけが何ともユニークな作品ですね。結局「私は水のように自由だ」に行き着くわけですが、その前の「海に捨てたはずのものが次々に押しよせて」くるというイメージは強烈です。現代文明への警句とも採れますし、その「水」へ「私」も帰還し、「昨夜の芥と一緒にして次々になぎ倒していく」ような「自由」を得るのだと解釈することも出来ます。「私は元気だ」に代表される言葉の勁さとイメージの鮮烈さが印象深い作品です。




網谷厚子氏詩集『天河譚サンクチュアリ・アイランド
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2005.7.31
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

  <目次>
   T
   旅の途中 8
   日出る国 12
   あらたまの 16
   いのちを待つ 20
   ボニン・アイランド 24
   ぬばたまの 28
   ムニンの島 52
   水の橋 56
   十七歳 40
   サンクチュアリ 44
   たまきはる 48

   U
   ゆらり 52
   落日 56
   漂う 60
   獣道 64
   帰郷 68
   邂逅 72
   なくす 76
   天河 80
   遙かな道 84
   聖夜 88
   渡る舟 92

   装画=福地 靖



    ムニンの島

   湿った木の葉が折り重なつている 急な山道を駆け上が
   って行く 低く這うように茂る羊歯類の奥で カサコソ
   音がする 足音に驚いて動き出した 蜥蜴
(とかげ) 野鼠 蛙
   
蚰蜒(げじげじ)の類 ところどころで もう一つの世界の入り口の
   ように開いている 洞穴 要塞島であった名残はそのま
   まに 近くの島では 一万人以上の人々が骨となっても
   まだ 戦いの日々を続けている 玉のように砕けてもな
   お 岩肌には紫のブーゲンビリア 林立する 銭型に枝
   が落ちた跡が生々しいマルハチの樹木 どこかで山羊が
   空に向かって鳴いている 返事が来るのを待ちながら
   岸壁に細い足を支えている 扇型に開いた針状の葉が頭
   上高く生い茂り 焼けるような日差しを遮っている 肺
   の奥を 熱い湿気のある大気が溜まっていく 人は 一
   匹の生き物でしかない 背中を丸めながら タコノキの
   根を掻き分けて進む 登りつめると 円形の枕状溶岩の
   跡が 敷石のように広がっている 台地の上に立つと
   三六〇度 真っ青な空 青い 青い 海原 青い 青い
   海原だ 眼下には明るく透明な緑の海面 真っ白い砂浜
   がある どこまで視線を飛ばしても 青い 青い海原
   何百キロ 何千キロ ただ青い 青い海原が続いている
   のだろう 岸壁から突き出た岩の上に 顔の黒い山羊が
   ちらっと姿を現し 瞬く間に消えた ここは 無人の島
   だった ムニンデイゴ ムニンヒメツバキ ムニンツツ
   ジ ムニンシュスラン ムニンノボタン ムニンタイト
   ゴメ ムニンの花が咲き乱れている ムニンの寂しい響
   き 初めから そして今も 人を拒み続けているかのよ
   うな島 大都市東京から 一千キロの彼方 親子鯨や海
   豚たちが 悠々と波を立てて泳ぎ 魚たちの群れが追わ
   れて右往左往しているのが見える やがて 太陽が真っ
   赤に海面を濡らし 漆黒の闇と眩しい夜の繰り返し 星
   は 空いっぱいに一つ一つ鋭く輝いて まっすぐに驟雨
   のように降ってくる 痛いほどの汚れなさに包まれなが
   ら わたしは生きている 一年中鶯の鳴く島 青い 青
   い大海原の彼方 ムニンの島で

 東京都小笠原村父島に赴任した著者の、赴任後初の詩集です。島の詩がたくさん載っているだろうと期待して読みましたが、期待通りでしたね。もちろん2002年に第12回日本詩人クラブ新人賞を受賞した詩集『万里』に繋がる作品も多くありますけど、ここはやはり村山個人の興味で作品を紹介してみました。
 「ムニンの島」は無人島のことですけど、やはり戦争の影を引き摺っていることを知りました。「一万人以上の人々が骨となっても まだ 戦いの日々を続けている」、「人は 一匹の生き物でしかない」、「星は 空いっぱいに一つ一つ鋭く輝いて まっすぐに驟雨のように降ってくる 痛いほどの汚れなさに包まれながら わたしは生きている」などの詩句に詩人としての感覚の鋭さを覚えます。いずれ「大都市東京」に戻って来るのでしょうが、それまで充分に小笠原を満喫して、新しい詩の境地を開拓してほしいと願っています。




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