きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.8.3
馬籠「藤村記念館」にて
 

2005.8.14(日)

 午前中は嫁さんの実家と私の実家の墓参り。免許取りたての18歳の娘が運転する車に乗せてもらいましたけど、まあまあかな。ヒヤリとすることもなかったし、極端なスピードオーバーもなくて、往復30kmほどを生還しました(^^; 自分の車に両親を乗せて行けばガソリンを入れてもらえると目論んでいたようですが、スタンドに寄るのを忘れるほど集中していたようで、ザマアミロです(^^;;; ま、後日、入れてやりましたけど…。

 夕方は横浜の弟の家まで酒呑みに行きました。久保田の千寿がある、とのことでしたから、万寿でなけりゃ行くほどのことはないと思いましたが、まあ、そこはオトナ。憧れの兄貴(^^; と呑みたいのだろうと解釈して、しっかり呑んできました。嫁さんの軽ワゴンで行って、帰りは嫁さんに運転してもらって、私は後の座席を畳んだ状態で寝ていましたが、174cmが寝ても足がつかえません。今の軽は大きくなったものだと思います。
 結局、なんだかんだと一族中心の一日。こんな日は珍しいです。何年ぶりだろう? 一族郎党というのは、私が長男であるせいかもしれませんけど面倒なものです。でも、たまにはいいなぁ。親族の気楽さを味わった一日でした。




詩誌Contralto10号
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2005.7.1
兵庫県西宮市
坂東里美氏 発行
80円
 

  <目次>
   詩 岩下 夏 水牢
     関はるみ 停滞していたもの
          跡形もなく
          わが胸に住む人ひとり
     坂東里美 夏
          情婦
   エッセイ
     坂東里美 タンポポの呪詛―江間章子―
     (B)   緑のカナリア



    水牢    岩下 夏  
Iwashita Natsu

   ヒカルの部屋は不気味だ

   とてつもない広さはおおらかさの象徴 壁は間仕切りの
   ある大きな水槽 ところどころに裸の女が入っている
   生気はない気色の悪いオブジェだ 思う存分水を含んだ
   死体ってこんな感じ 膝を抱えてまるで理科室の標本
   白い分だけ生々しいし気持ち悪い 壁だけじゃない床に
   もミイラ かぴかぴに乾いて置き捨てられている この
   部屋に匂いはない 現実からも時間からも分断された
   空間だ

   私は服を脱ぐ準備をしている
   いびつな空気に媚を一塩 不自然は感じないふりを決
   めこもう 空気になかなか馴染めないのは無知のせいだ
   やっと入りこめた部屋なのだ きたないものなど今さら
   見たくはない 説明できないひとつやふたつあってあた
   りまえなのだ 青髭の地下室に閉じ込められたまだら
   な女たち あれだって誰にもある心うちを誇大化した
   もの 多かれ少なかれみんなそんなものだ ヒカルはあ
   りのままここに住んでいる 統率と無紳経と自由おおら
   かさは均衡を保ち微妙に分散している 私を受け入れ
   た広さを象徴する言葉のままに

   時計をはずす 背中のジッパーに手をかける 不意にケ
   ータイが鳴る 黙って震えるだけの着信音は昨日までの
   私の雑音

   みるみる部屋に薄墨色の不信 不自然だ私は無知なわ
   けじゃない おかしいのは死体を放置したままのヒカル
   だ ジッパーをそっとゆっくり元に戻す ここは私の場
   所じゃない 乾きながらぬめった部屋 薄暗がりに点在
   した死体 異様な空気にのまれ 時の過ぎるまま押し
   込められオブジェと化す? 水死体の標本は先々に近
   々に私そのもの 自由さえここではヒカルの手の内だ
   希望はない あとかたなく地平線の彼方

   ぬめりは水滴へと 大きかったはずの部屋は縮みはじめ
   ている 希望の名残が帯状に細く頼りなく浮かび上が
   る 過去もココロも足伽 逃がすのはむりやり閉じこめ
   た私自身 反射を夢見て鋳型に入った自我 カラダひ
   とつじゃ重石をはずせない 時間を運ぶ永遠に出られな
   くなる前に 空間をはかる自覚をなくしたら染まるだ
   け 痛みを奪われて実感のないまま細胞を組み替えら
   れて壁の一部になる それは私じゃない 自我を捨て従
   属隷属ホルマリン臭い水の中にどっぷりと浸かることだ

   ヒカルの部屋は不気味だ 水かさは増えていく kokoro
   をはき違えた分水嶺 水牢に掬われ閉じ込められるよ
   り早く 脱出を組み立てる 頼みの綱は 細くいびつに
   射しこむ私自身の名残だ

 確かに、なんとも「不気味」な「ヒカルの部屋」ですが、「説明できないひとつやふたつあってあたりまえなのだ」と云われると納得してしまいます。この作品はそういう風に読むものだと思います。換言すれば「誰にもある心うちを誇大化したもの」がこの作品だ、ということなのでしょう。「細くいびつに射しこむ私自身の名残」を「頼みの綱」として読む、作者の精神はそういう際どいところを見ている、ということが判れば良いのだと思います。




詩誌『山形詩人』50号
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2005.8.20
山形県西村山郡河北町
高橋英司氏 編集・木村迪夫氏 発行
500円
 

  <目次>
   詩●静かな生活/高啓 2
   詩●ある女/高橋英司 6
   詩●埋葬虜囚一六三号からの手紙/阿部宗一郎 8
   詩●ブルー/菊地隆三 13
   詩●のにあれば のにあるよりも うつくしく/佐野カオリ 16
   詩●朝の月/夏の終り/木村迪夫 23
   評論●超出論あるいは樹木の世界開在性
      ――吉野弘詩集『陽を浴びて』論/万里小路譲 25
   詩●ヒメサユリ(2)/島村圭一 32
   詩●なつやま/大場義宏 34
   詩●ヒト/山田よう 36
   詩●花をもつと/平塚志信 38
   詩●ふたたび、の夏に/佐藤伝 42
   詩●樹は見ている・魂の傷/近江正人 44
   論考●承前 風土性について(13)
             

      ――黒田喜夫に観る風土/大場義宏 50
   後記 56



    花をもつと/平塚志信

   花をもつと
   そのことで
   茎はずいぶんと揺れるようになる

   穂をもつと
   そのことで
   茎はずいぶんと揺れるようになる

   通りがかった
   歩道のわきの草むらには
   花をもったヒメジョオンと
   穂をもったヘラオオバコとが
   いっぱいで

   風をとらえようとして
   すでに身構えている
   それらの草花の
   造作
(かたち)それ自体

   (造作によって表される意志に比べれば
    言葉によって表される意志は
    なんとも
    饒舌で
    まよい
    うそをつくね)

   風に
   ヒメジョオンの花が大きく揺れて
   ふるえている
   ヘラオオバコの穂が大きく揺れて
   ふるえている

   草むらに
   風が吹くたび
   草花たちの
   よろこびが
   たちまち
   草むらいっぱいに
   広がっていく
   のがわかる

   見ていると
   風の中でする
   すずしい呼吸を通して
   私たちにも
   それら
   草花たちのよろこびが
   伝わってくるようだ

   あのように
   私たちも
   風の中で
   ふるえていることができたらいいね

   おそれによってではなく
   よろこびによって
   ふるえているのだ

 「花をもつと」「穂をもつと」「茎はずいぶんと揺れるようになる」というフレーズに魅かれました。ちょっと教訓めくかもしれませんが実るほど頭を垂れる稲穂かな≠ノ近いものを感じます。作者に教訓の意図がないことは作品が物語っていますね。しかし、読者の私としてはそういう読み方をしてしまいます。これは作者と読者の関係としては良いことだと思います。作品がひとり歩きした瞬間と言ったら大袈裟になるでしょうか。「造作によって表される意志に比べれば/言葉によって表される意志は」「うそをつくね」というフレーズにも感心しています。



木下幸三氏詩集『地球とのつきあい』
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2004.10.15
大阪市北区
編集工房ノア
2000円+税
 

<目次>
 T
歩くホモ・サピエンス 8          
PIAZZA(広場) 11
梅雨の晴れ間 14              小さな光 16
春の光 18                 聖域 21
河岸の風景 24               平炉
(へいろ)挽歌 28
京へ行こう  31
 U
朝の出来事 36               静かな夜 38
軌跡 40                  よみがえる日 42
地球とのつきあい 44            私の中のメカニズム 46
 V
失われゆくもの 50             かいづかいぶき 53
さざんか 56                家 58
仮設住宅 60                歳月 62
春 64                   若葉 66
風 68                   夏 70
大寒 72                  疾風
(はやて)よりも速く 74
 W
十五歳 78                 ルネッサンスのように 80
夏の日 85                 車社会 86
恥 88                   一億総中流 90
立て 東方のモンゴロイド 日本人よ 92   政治もサッカーのように 96
思い出 99
 
奈良をたずねて 106
.            煩悩 108
癌とは 110
.                堪忍の歌 112
母と信仰 114
.               私の信仰 117
よろこび 122
 歳月の賜物 島田陽子 126



    地球とのつきあい
     

   秋の陽を洛びて
   白い川辺の道がつづく
   その道を人が歩く
   爪先で大地を蹴る
   地球を蹴る
   膝を上げて
   足を大きく踏み出す
   踵が地球に着く
   引っ張る地球
   引っ張られながら
   人は歩きつづける

   もう地球が引っ張らなくなった時
   そのときは人工衛星のように
   飛び回ろう
   そういえば今この道を
   懐かしい何かが
   通り過ぎた気がする

 詩集の表題作を紹介してみました。「引っ張る地球」に「引っ張られながら/人は歩きつづける」というのは当り前なんですが、よく考えてみると凄いことなんですね。それは、生きているということなんだ、と謂っているように思います。「もう地球が引っ張らなくなった時」、私たちの魂は「人工衛星のように/飛び回」るしかありません。それが「地球とのつきあい」なんだ、と面白いところを気付かせてくれた作品です。
 著者は私より20年も先輩ですから、76歳。第一詩集です。17年に及ぶ詩の教室通いの成果と云えましょう。益々のご活躍を祈念しています。




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