きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.8.3
馬籠「藤村記念館」にて
 

2005.8.30(火)

 年に2回の定期健診。会社の付属病院(いまは健康管理センターと云いますが)は比較的空いていて、1時間ほどで終わりましたけど、検査精度を上げるためと称して朝食抜き。さすがにハラ減りましたね。
 検査結果はしばらくしないと出ませんが、特に問題はなさそうです。肝機能は若干悪目ながら指摘されるまでには至っていませんので、お酒を控える必要もなさそう。何と言ってもこれが一番嬉しいですね(^^;




松下和夫氏詩集『えんこ』
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2005.8.27
千葉県茂原市
草原舎刊
2000円
 

  <目次>
    はじめに………6

   えんこ
    えんこ………10
    窓………14
    カクレンボ………8
    虫たちだけの怪獣ごっこ………22

   こどもたち
    有理ちゃんの揺藍………28
    小さな指………32
    コスモス広場………36
    お手伝い………40
    夢のおゆうぎ………44
    渚ちゃん、 ハイ………48
    ゆきなの羽………52
    由季菜の雪………56
    由季菜の花束………60
    由季菜のおしゃれ………64
    由季莱のスキー………68
    いのちの泉………72
    由季菜のピアノ……点76
    運動会の写真………80
    由季莱の絵はがき………84
    思い出の時差………88
    バラ一輪………92
    空と友だち………96
    時計台………100
    まぶしいドリブル………104

    あとがき………108
                    表紙絵*秋田かなえ



    えんこ

   誰かしら
   この写真
   裏をかえせば分かるけれど
   誰にも教えない

   どこを見ているのかしら
   こっちを向いてにこにこして
   両手をふり上げ
   裸ん坊で

   生まれてはじめて
   えんこが出来た日
   あなたの無邪気さは
   宇宙そのものだ

   神さまだってきっとこれ以上
   何かを加えたり
   何かを取り上げたり
   出来なかったにちがいない

   あなたがそこにまだいることを
   本人のぼくももう覚えていない
   そこでは時が
   光のままだから

 詩集のタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。「えんこ」とは何かと思いましたが、幼児語の座ること≠セったんですね。この詩集は子に恵まれなかった「ぼく」が姪や甥の成長をあたたかく見守るという内容で、その出発点とも謂うべき作品が「えんこ」だと思います。「誰かしら」と問われた「写真」の「裸ん坊」の子は「本人のぼく」だったわけですが「そこでは時が/光のままだから」という最終行は巧いですね。人間を見る眼のあたたかさに包まれた詩集です。




相沢正一郎氏詩集『パルナッソスへの旅』
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2005.8.30
東京都豊島区
書肆山田刊
2200円+税
 

  <目次>
  (わたしの手から……)   5
   1 (果樹園、荒野、河……)   6
   2 パルナッソスへ   9
   3 ランボーに   12
   4 (ステゴサウルス、アパトサウルス、ティラノサウルス……)   16
   5 ローズマリー入りじゃがいもスープと須佐之男命   18
   6 川   22
   7 プロスペローの手紙   24
    a パックに   24
    b あらしの散歩   27
    c プロスペローに   30
    d ハムレットに   
    e 短剣の柄をにぎる手 小枝をもつ手 手紙を書く手   37
   8 縄文時代のワイン・オープナー†   41
   9 風のあしあと   43
   10 蟻と戦争   46
   11 ろばのうた   49
   12 ものがたりの余白   52
   13 徒然草 2004   55
   14 オイディプースに   60
   15 おしいれ   65
   16 ロビンソン・クルーソーに   68
   17 声の庭   72
   18 へスティアに   88
   19 縄文時代のワイン・オープナー††  90
   20 縁側とべランダ   93
   21 膝栗毛のあとに   99
   22 航海の終わり   102
   23 壇の浦の合戦とスパゲッティ・ヴォンゴレ   105
   24 (ろばは しずかにあるいていた)  110



    1(果樹園、荒野、河……)

    まよなかの台所で、父は、わたしに言った。わたしがまだ子
   どもだったころ、父が旅に出るまえの話だ。
    おまえが生まれたとき――オルテーズの果樹園で、風がリラ
   の木をゆすって、こがね虫を振り落とした。サルデーニャ島の
   荒野で、羊飼いの胸から逃れた仔羊が、母羊にかけよって乳房
   にしがみついた。丘の上で、三人の少女がアルゼンチン中央鉄
   道のどこまでも続いている線路や、ミルクコーヒーのような色
   をした対岸の河をながめていた。
    キルヒベルクの高等中学の寄宿舎で、学生が両親から届けら
   れた手紙の封を切った。ブルックリンの街角で、少年が若い女
   のバッグをひったくった。エスタンシアの大草原のユーカリの
   木のこかげで、草を食べていた馬がうしろをふり向いた。
    ほんの数時間前の話し声や笑い声、食器のふれあう音やもの
   を食べる音は遠のいて――いま、テーブルのまわりは果樹園、
   荒野、河……。目をとじた天使がわたしによりそって耳をすま
   している。
    そうそう、ろばが鳴いた――と、父がつづけた。
    ………………………………………………………………………
    ろばが鳴いたって。いったいなんなんだい、わたしが生まれ
   たところは。それに、「オルテーズの果樹園で、風がリラの木
   をゆすって、こがね虫を振り落とした」とき、「エスタンシア
   の大平原のユーカリの木のこかげで、草を食べていた馬がうし
   ろをふり向いた」って、一体どうしてわかるんだ。
    わたしが生まれたとき、――ほんとうは、ムラサキシキブに
   とまっていた四十雀が飛びたって、枝がかすかに揺れたぐらい
   のことなんじゃないの。池にマツボックリが落ちて、水面に波
   紋がひろがった程度のことなんじゃないの。壁にかかっていた
   コートが落ちて、床に影みたいに蹲っただけのことなんじゃな
   いの。

 序詞を除けば実質的な巻頭作品を紹介してみましたが、ここには詩の持っている本質と、それに対する著者の基本的な態度が現れていると思います。詩の前半は見てきたような嘘を云い≠ニいう創作の部分であり、後半はそれを具体的に翻訳するとこうなる、と表現していると思います。この作品が巻頭に置かれたことによって、読者は以後の作品の読み方を示された、と言っても過言ではないでしょう。一概には言えませんが相沢正一郎詩を読み解く鍵となる作品だ、とも感じました。




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