きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.8.5 長野 | ||||
戦没画学生慰霊美術館「無言館」 | ||||
2005.9.3(土)
日本詩人クラブの現代詩研究会が東京・神楽坂エミールで開催されました。今回は東大教授・日本詩人クラブ理事の川中子義勝氏がコーデイネーターで、同じ東大大学院総合文化研究科および教養学部教授の小林康夫氏を講師に招いての詩論研究。演題は「抒情あるいは存在の震えについて」という、非常に抒情的なものでした(^^;
通常の講演というのは、なるべく原稿を見ないでやるのですが、小林教授は逆に原稿を読んでやってみたいとのことで、まるで朗読のような講演でした。それはそれで面白かったのですが、私も聴衆も興味をそそられたのはプロジェクターで投影された背後の絵です。写真では白っぽくて判りにくいのですが、ニコラル・ドスタール(で合っていると思います)という作家の絵で、これが良かった! 一応、具象に入るらしいのですが、半具象というところでしょうか。小林氏の朗読のような講演と、それとは無関係な背後の絵が微妙に絡み合って、おもしろい効果を出していました。 ドスタールは1914年ペテルスブルグ生まれ、1919年ポーランドに移住。その後孤児になってブリュッセルに移住、1955年自殺したようで、日本ではほとんど知られていません。背景の絵は1951〜55年のものでした。 |
講演内容はいずれ雑誌『詩界』に載りますので、日本詩人クラブ会員・会友の皆さまはそれをご覧になってください。参加者は40名ほど。現代詩研究会は例会に比べると参加者が少なく、15〜20名というところですから、いつになく盛況だったと云えます。
○詩誌『インディゴ』33号 | ||||
2005.8.31 | ||||
高知県高知市 | ||||
文月奈津氏方・インディゴ同人 発行 | ||||
476円+税 | ||||
<目次>
●木野ふみ 牛 2
インタビュー・神さま 4
●文月奈津 ねこばなし3 首のない馬 9
●萱野笛子 笹原 16
笛子の道中旅姿(6) 18
●あとがき 23
牛 木野ふみ
やや未来
麒麟や象がのっしり歩き
浮遊する揚羽蝶と赤蜻蛉
小魚はときどき水しぶき
たてがみ自慢優駿の栗毛
地球上のいろんな生物が
方舟みたいに宇宙船に
とてもレジャーふうに乗りこむとき
きみにも
声がかかるだろうか
小舎でだらしなくくつろいでいるきみの
モ〜
と呼びかけたら
モ〜 よだれ
と正確に返す涎まみれの音声は
やや宇宙的であり
およそ宇宙的でなく
「惑星まで行ってみませんか」
なんとなくだけど
きみには
声がかからないような気がする
きみは
そんな幸せに包まれている
最終連が佳いですね。「声がかからないような気がする」「牛」が、結局は「幸せに包まれている」のだ、とする視点に説得力があります。「麒麟や象」のように立派ではなく、「たてがみ自慢優駿の栗毛」でもない「小舎でだらしなくくつろいでいるきみ」が、本当は一番なんだと思いたいですね。「やや未来」の話ではありますが、現代を抉った作品とも云えましょう。
○詩誌『こすもす』48号 | ||||
2005.7.15 | ||||
東京都大田区 | ||||
蛍書院・笠原三津子氏 発行 | ||||
450円 | ||||
<目次>
<詩>
水脈…………………………………………………今朝丸 翠 2
追悼 石垣りんさんの笑顔………………………笠原三津子 4
撫<ブナ>…………………………………………三木 昇 6
瀕死の白鳥…………………………………………森原 直子 8
冬の朝………………………………………………藤井 搖子 10
桜のエッセンスを…………………………………井上 富美 12
私の 特別な日……………………………………柏木友紀絵 14
ひたすらに酔う……………………………………阿部 堅磐 16
早暁の月……………………………………………友永 淳子 19
ノルウェー紀行……………………………………石田 天祐 22
<エッセイ>
このたびの草枕……………………………………佐瀬智恵子 25
会員の消息…………………………………………………………27
後記
水脈 今朝丸 翠
T
人種も両親も男女さえ選べず
この世に生れる
命の不思議
一人の命の中に
遠い祖先からの情報が
脈脈と流れていて
幼い孫達の
笑い
泣き
怒る
仕種の中に
幼い時の
わたしの姿も含まれている
U
薔薇も
芍薬も
野菊も
花はすべて愛しく
青葉若葉が風に揺れるさまも
この感覚は
祖先からの水脈の一つ?
青空にも雲にも心引かれ
雨の日には傘を差して歩くのも楽しい
この気紛れな嗜好も?
両眼の一つは自分の視覚で
あとの一つは祖先の視覚 かしら
水脈は
気付かれることなく
流れている
「一人の命の中に/遠い祖先からの情報が/脈脈と流れてい」るという「命の不思議」は、考えれば考えるほど不思議なものですね。この作品はそこを突いていて、「両眼の一つは自分の視覚で/あとの一つは祖先の視覚」なのではないか、とする視座もおもしろいと思います。「気紛れな嗜好」も、実は「気付かれることなく/流れている」「水脈」なのだと考えると、納得するところが多々あります。俗に生かされている≠ニ云いますが、その根源を考えさせてくれた作品です。
○詩誌『幻竜』2号 | ||||
2005.9.10 | ||||
埼玉県川口市 | ||||
幻竜舎・清水正吾氏 発行 | ||||
1000円 | ||||
<目次>
<作 品> 弓田弓子 鳶……………………………………………………2
ゆらゆら……………………………………………4
梅沢 啓 雨男ふたり・執念…………………………………6
いわたにあきら 竜は老いてしまったか……………………12
<コラム> 清水正吾 G茶房・ゲノムにて U…………………………17
<エッセイ> 舘内尚子 霊異のひと…………………………………………18
弓田弓子 六プラス六十………………………………………20
一柳伸治 竹富島紀行…………………………………………22
<作 品> 舘内尚子 るる るる…………………………………………26
最小空間……………………………………………28
高村昌憲 炎の梅林・飛躍する春……………………………31
一柳伸治 実存の復襲(14)…………………………………32
清水正吾 胎内くぐり…………………………………………34
脊推に関するエスキス……………………………36
<イラスト> 梅沢 啓 シリーズ「死のかたち」より……………………41
<評 論> 高村昌憲 哲学者・アランの思考(2)……………………42
編集手帳
表紙デザイン・本文レイアウト/ネオクリエーション
風景のないドライブ いわたに あきら
自由すら奪われて
否定することを忘れた言葉を
強制される
(女の残り香は捨てたのか)
鉄の壁で遮られた大空に
自分の存在を叫んでも
風がビルの隙間に埋めてしまう
ガソリンのにおいに酔ったまま
腰縄の戻り目を数える
(寸劇の終幕は?)
爪を喪くした指では
恋は もう
掴めない
選択のない道→
窓のない部屋で
女と二人きりでいる心算でいても
罪と二人きりでいるにすぎない
(もう 現在はもどってこない)
昔を語る
(子供に還る心算のなか)
すべては もう 遅すぎた
かもしれない
「竜は老いてしまったか」という総題のもとに「峠で」「夢の途中」「若い恋人」「拘引される」、そして紹介した「風景のないドライブ」の5編が収められていました。
「風景のないドライブ」は <女と二人きりでいる心算でいても/罪と二人きりでいるにすぎない>
というフレーズに魅かれました。女性を蔑視するつもりではありませんが、<女と二人きり>
は <罪と二人きり>
というのが何となく判る気がします。地球にとって人間を増やすことは罪だ、というヘンな先入観の現われかもしれません。題の「風景のないドライブ」は「窓のない部屋」で「選択のない道」をドライブすることだと解釈していますけど、人生の喩として捉えています。「すべては もう 遅すぎた/かもしれない」はちょっと極端でしょうが、妙に現実感があることも確かです。おもしろい作品を拝読しました。
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