きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.8.5 長野 | ||||
戦没画学生慰霊美術館「無言館」 | ||||
2005.9.15(木)
昨日は茨城に出張で、明日は東京・品川に出張。出張に挟まれた一日でしたから、朝からテンヤワンヤでした。昨日の出張報告書を作って、明日の資料を作って、それだけで一日が過ぎてしまいました。月に一度くらいの出張でしたら気晴らしになるんですが、週に二度もあるとね、ちょっと収拾が尽かなくなります。でも、会社同士のつき合いですから、そうも言ってられなくて何とかこなしました。明日は午前8時半に品川区に集合です。いよいよ、夜討ち朝駆けになったかな(^^;
○飯嶋武太郎氏著・評論とエッセイ『つくも恋歌』 | ||||
2005.9.7 | ||||
千葉県山武郡九十九里町 | ||||
九十九俳句会 発行 | ||||
2500円 | ||||
<目次>
序に代えて 篠崎青童…………………………1
一部
つくも一六八号(平成十二年三月)…………22 つくも一六九号(平成十二年四月)…………25
つくも一七〇号(平成十二年五月)…………29 つくも一七一号(平成十二年六月)…………34
つくも一七二号(平成十二年七月)…………38 つくも一七三号(平成十二年八月)…………42
つくも一七四号(平成十二年九月)…………45 つくも一七五号(平成十二年十月)…………49
つくも一七六号(平成十二年十一月)………52 つくも一七七号(平成十二年十二月)………56
つくも一七九号(平成十三年二月)…………60 つくも一八〇号(平成十三年三月)…………64
つくも一八一号(平成十三年四月)…………68 つくも一八二号(平成十三年五月)…………72
つくも一八三号(平成十三年六月)…………76 つくも一八四号(平成十三年七月)…………80
つくも一八五号(平成十三年八月)…………85 つくも一八六号(平成十三年九月)…………88
つくも一八七号(平成十三年十月)…………92 つくも一八八号(平成十三年十一月)………96
つくも一八九号(平成十三年十二月)………100
つくも一九〇号(平成十四年一月)…………104
つくも一九一号(平成十四年二月)…………108
つくも一九二号(平成十四年三月)…………113
つくも一九三号(平成十四年四月)…………117
つくも一九四号(平成十四年五月)…………121
つくも一九五号(平成十四年六月)…………125
つくも一九六号(平成十四年七月)…………130
つくも一九七号(平成十四年八月)…………134
つくも一九八号(平成十四年九月)…………138
つくも一九九号(平成十四年十月)…………143
つくも二〇〇号(平成十四年十一月)………147
つくも二〇一号(平成十四年十二月)………151
つくも二〇二号(平成十五年一月)…………156
つくも二〇三号(平成十五年二月)…………160
つくも二〇五号(平成十五年三月)…………164
つくも二〇六号(平成十五年五月)…………168
つくも二〇七号(平成十五年六月)…………172
つくも二〇八号(平成十五年七月)…………177
つくも二〇九号(平成十五年八月)…………181
つくも二一〇号(平成十五年九月)…………186
つくも二一一号(平成十五年十月)…………190
つくも二一二号(平成十五年十一月)………194
つくも二一三号(平成十五年十二月)………198
つくも二一四号(平成十六年一月)…………202
つくも二一五号(平成十六年二月)…………207
つくも二一六号(平成十六年三月)…………212
つくも二一七号(平成十六年四月)…………216
つくも二一八号(平成十六年五月)…………220
つくも二一九号(平成十六年六月)…………224
つくも二二〇号(平成十六年七月)…………228
つくも二二一号(平成十六年八月)…………233
つくも二二二号(平成十六年九月)…………237
つくも二二三号(平成十六年十月)…………242
つくも二二四号(平成十六年十一月)………247
つくも二二五号(平成十六年十二月)………251
つくも二二六号(平成十七年一月)…………255
つくも二二七号(平成十七年二月)…………260
つくも二二八号(平成十七年三月)…………264
つくも二二九号(平成十七年四月)…………268
つくも二三〇号(平成十七年五月)…………273
つくも二三一号(平成十七年六月)…………278
つくも二三二号(平成十七年七月)…………283
つくも二三三号(平成十七年八月)…………287
二部
薄氷の日々………………………………………294
死化粧……………………………………………313
挽歌………………………………………………316
竹琴抄……………………………………………317
韓国であった詩人たち…………………………323
後書きに代えて…………………………………333
年暮るる生きた証の駄句の山 鴻野 廣
俳句の上達法に、多く作り多く捨てるということをよく耳にする。沢山作って一句でも評価される
句ができればそれで良いという意味のようだ。著名な俳人でも全てが秀句という人は誰もいない。芭
蕉や蕪村、子規や虚子も然りである。また俳句ほど駄句と秀句の差が紙一重の文芸も少ない。例えば
拙句「霧深き峰を越え行く時鳥」千葉の結社では見向きもされなかったが、京都で出しているある雑
誌の俳句欄で年間大賞に選ばれたことをどう説明できるだろう。要するに俳句という一行詩は、鑑賞
する人の指向や好みで駄句にも秀句にもなりうるものなのだ。「秋深し隣は何をする人ぞ 芭蕉」、
「柿食えば鐘が鳴るなり法降寺 子規」などは国語教科書や俳句入門書にも載っていて余りにも有名
だが、これが秀句の見本であると言ったら、私は大いに疑問と言わざるを得ない。
千葉県の俳誌『つくも』に連載された、飯嶋武太郎さんの「共鳴十句」を収録したエッセイ集です。毎号の句から10句ほどを選び出して、それに解説を付けるというものですが、その実際を上に紹介してみました。まず、句がおもしろくて、それに対する解説もおもしろいという例だろうと思います。「駄句の山」は俳句に限らず、詩でも文芸一般でも同じことでしょうね。
まだまだ紹介したい、おもしろい句・解説が満載のエッセイ集です。俳句では、こういうことは一般的なのかどうか知りませんが、詩で試みるのも良いかもしれませんね。
○深沢弘信氏詩集『善三爺が少年兵の頃』 | ||||
2005.8.15 | ||||
長野県南安曇郡穂高町 | ||||
かおす 発行 | ||||
1300円 | ||||
<目次>
前書き 少年兵とは 著者 混沌 曙光
突撃 54 空への夢 104
哀惜 雪中の騎馬戦 57 しらみ 106
兵隊さんと母ちゃん 8 竹槍 60 刀狩り 108
何が遅かったのだろう 14 ゴムの足 63 竹の子生活 112
桑の木の皮むき 18 爆弾の落ちた夜 66 玉虫からの贈り物 116
味噌パン 22 お写真 70 墨塗り 119
秘密の地下工場 26 戦車 74 裏山の彼方 122
非国民 52 破甲爆雷 76 庄助先生 126
本当に笑い話だけれど 56 秘密基地 78
飴と鉄棒 40 スローガン 82
三柳の柳 44 命の恩人 86
うなぎ 46 精神注入棒 90
木炭バス 48 満蒙開拓少年団 94
修学旅行 98 あとがき 著者
墨塗り
善三爺が少年の頃の話をしよう
それは「墨塗り」の話だ
今日もまた墨を腹いっぱいに飲んだ筆が
容赦もなく教科書の活字を食べて行く
校門の筑摩国民学校の看板は ただ
国民の二字が削られて小学校になったが
教科書の活字は毎日何百と死んでいく
墨塗りの刑の前に勇気ある先生たちが
抹殺される理由の説明を求めたが
人間は聖人にはなれても
神には絶対になれないと
進駐軍のケリー旋風が県下を吹き荒れた
黒い否定より
赤い修正を
歴史家は望んでいたのだろうか
神代の時代がすっぽり抜けて
日本の歴史は一度に若がえった
社会科と一緒にマルクスもやってきた
赤い歴史家は落胆失望の民衆に
これからの国の言葉は英語かローマ字にと
勇ましい教育の大改革を唱えた
墨色にも赤色にも染まらなかった賢い民衆は
しかし 金色にすっかり憧れて
エコノミックアニマルへと変身した
果たして
墨塗りの教科書は
その本当の使命を全とうしたのだろうか
タイトルの「少年兵」とは実際に戦場で戦う少年兵士のことではなく、戦争当時の小学生などの少年をそう呼んでいたそうです。しかし、そうは言っても詩集の表紙写真にはギクリとさせられました。おそらく軍事訓練の一齣だと思いますが、子供子供した少年と彼らの身長よりも長い歩兵銃の組合せに衝撃を受けました。
本詩集は、そんな「少年兵」時代を体験した著者の実話だろうと思います。その中から「墨塗り」を紹介してみましたが、敗戦直後が実は現在にまで続いているということを教えてくれる作品です。「墨色にも赤色にも染まらなかった賢い民衆は/しかし 金色にすっかり憧れて/エコノミックアニマルへと変身した」という第7連は耳が痛いですね。今だに「墨塗りの教科書」の「本当の使命」が果たされていないという指摘はその通りで、そこに現在の日本の病根があると云えるでしょう。小学生、中学生に読ませたい詩集です。
○星野元一氏詩集『少年の川』 | ||||
2005.9.25 | ||||
新潟県十日町市 | ||||
蝸牛舎刊 | ||||
1500円 | ||||
<目次>
川 信濃川遠望 6 白い道 7
鬼の階段 9 天からの手紙 12
白いセーターを着て 15 ふきのとう 17
つくし 20
魚 少年 24 雑魚一匹 26
鯉 28 雨 31
どじょう 34 垂れさげた糸 36
泳 雲 40 鮎 43
田螺 46 犬掻き少年 48
、桑苺 50
舟 舟を待つ 54 川の敬礼 56
丸太 59 虹 61
ささ舟 64
あとがき 68
鬼の階段
河岸段丘というのは
鬼がつくった階段だ
空に首を突き出して
娑婆の様子をたしかめるために
一、二段目あたりがわたしの村だ
切り絵のような家が貼りつき
みどりの風が吹いている
ねじまき仕掛けの車が走り
ポッポーという汽車が通っている
その端っこを
錆びて曲がった金釘のようになって
行ったり来たりしているのが
村の祖先たちだ
あっち向けホイ
こっち向けホイなどといいながら
カラスがときどき突っつきに来る
もっと働けといって
タヌキもときどき化かしに来る
徳利をぶらさげて
失礼なのは神や仏だ
じゃまだといって
踏んづけたりして行く
(賽銭をやってもだ)
五段目あたりまで歯っ欠け村が続き
六役目以上には捨てられた
田や畑や分校がある
九段目の上が山でブナの原生林
その上が白い雲と青い空だ
光るのは信濃川
風はそこから吹いて来るが――
階段には送電線が張りめぐらされている
鬼がつかまって登って行くのだ
みんないい子にしないかといって
はくしょんをして
みんな空に吹っ飛ばすぞといって
*十日町盆地の河岸段丘は日本一だといわれている。
まさに「少年と川」というタイトル通りの作品が多い詩集です。決してメルヘンではありませんが、民話と言ったらいいでしょうか、あたたかな気持ちになる作品が多くありました。技術的には、紹介した作品にも出てきますように「といって」という接尾語が奏功しているように思います。
紹介した詩はそんな中ではちょっと異質ですが「河岸段丘」を見事に詩化している作品と云えましょう。「一、二段目」から「九段目の上」まで、ああ、そんなふうになっているのかと納得しました。特に「六役目以上には捨てられた/田や畑や分校がある」というフレーズが良いですね。「空に首を突き出して/娑婆の様子をたしかめるために」「鬼がつくった階段」、「村の祖先たち」が「錆びて曲がった金釘のようになって/行ったり来たりしている」というのも絵になります。現代詩のひとつの方向を示している詩集と云っても過言ではないでしょう。
○『千葉県詩人クラブ会報』191号 | ||||
2005.9.15 | ||||
千葉市花見川区 | ||||
中谷順子氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
'05ちば秋の詩祭 伊藤桂一氏記念講演「私の詩的体験」 1
'05ちば秋の詩祭 日程 2
温故知新(既刊会報を温(たず)ねて) 3
会員の近刊詩集から37〜39 4
「詩劇」この愛しき天球 6
東西南北5 7
新会員紹介、会員活動、編集後記 8
(会報特集号 第38・39合併号
千葉県在住詩人詩集抄 昭51・3・20より)
夕焼け前の西瓜の出荷 杉谷徳蔵
−八街町富山にて−
西瓜畑からトラックまで
長女も 今勤めから帰った二男坊も呼び出され
一列にならんで
手から手へとリレー式に
何処をむいても落花畑の
一時にカッと照る真夏の西陽を正面にうけて
このところ 西瓜は値がいい
婆さまも孫らも
家内じゅう出そろって見ているうちに
西瓜は手から手に
マリのように及げられる
形よく大きいのがもがれ
出来のいいのが選ばれて
誰もがガッチリ受けとめるから
誰もが高く売れることを願って
西瓜は元気一杯蒼空に躍る
ユッタリとした畑のなかのスポーツのように
投げあげられるたびに西瓜が光る
夕焼け前の西瓜の出荷
当分天気が続くらしい
詩集『生活祭』(昭50・千葉詩人会)より
編者注 杉谷徳蔵氏は、本クラブ初代事務局長(昭和40〜46)、現顧問
紹介した詩は「温故知新(既刊会報を温(たず)ねて)」の中の作品です。注釈によると昭和50年頃の作品のようですから、今から30年前、「西瓜は値がいい」時代だったのでしょう。今は、例えば私の家の裏の畑でも、自家用とはいえ毎年生り過ぎるほど生りますから、決して良い商売とは思えません。
それはそれとして「夕焼け前の西瓜の出荷」に対する「家内じゅう」の期待がよく伝わってきます。健康的な農家の肖像と言えるでしょう。昭和50年代の高度成長期が背景にあるのかもしれませんね。何か、ホッとするものを感じました。
○『漉林通信』2005年9月20日号 | ||||
川崎市川崎区 | ||||
漉林編集室 発行 | ||||
非売品 | ||||
<目次>
エッセイ 猫とおじさんたち 坂井のぶこ
詩誌の周辺 田川紀久雄
詩 道化師T 田川紀久雄
道化師 T 田川紀久雄
道化師は泣くこともない
また自ら笑うこともない
いつもにこやかな表情をしているが
道化師は孤独そのもの
愛する人を奪われても
だまって指をくわえて
その人の幸せを祈るだけ
神様が道化師に試練を与えていると思うだけ
自分の幸せよりも
不幸な人達に幸せを与えたいと思い
「私はどんな不幸にあってもまけないよ」
と心の中で呟きながら道化を演じる
転んでは起きあがり
ダルマのように七転び八起き
笑って見るのはお客様
そして最後に大きな失敗をして大受け
部屋に戻り化粧をおとしても
道化師は人に戻れない
人に心の底を見せることはできない
いつも一人で悲しんでいる
(二〇〇五年六月十六日)
今回は「T」ですから、この後U、Vと続くのでしょう。全体を通して考えるのがスジと思いますけど、この「T」だけを採り上げてみるとあまりにも哀しすぎますね。「不幸な人達に幸せを与え」るということも、突き詰めて考えると、どこかに無理が生じるだけのようにも思います。幸・不幸も哲学的に考えていかないといけないでしょう。やはり、この後のU、Vを見てからでないとTについて言及するのは危険かもしれません。
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