きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2005.8.5 長野 | ||||
戦没画学生慰霊美術館「無言館」 | ||||
2005.9.21(水)
有機溶剤を扱ったり、ガソリンスタンドを経営するのに必要な免許に「危険物取扱者免状」というのがあります。私はこの免許を30年ほど前の1972年に取得しています。当時は免許を取ったらそれだけのことで、免状に顔写真も無かったように思います。それが、相次ぐ化学工場の爆発事故やタンクローリーの横転事故などが続いて、10年ほど前からずいぶんと厳しくなりました。顔写真入りの免状になって、しかも3年毎の講習受講が義務付けられるようになりました。
その講習がきょう行われて、13時から16時まで会社の施設で缶詰でした。講義はいつも通り、最近の事故事例の紹介ばっかり。危険物保安協会(だったかな?)と消防署の担当者が交代で講義してくれましたけど、まあ、楽しい内容である訳がありませんね。話す方も義務なら聞く方も義務、やらないよりはマシという感じですかね。合格率2割という難しい国家試験を通った連中を前にしているんだから、もう少し深い内容にならないものでしょうか。例えば有機溶剤によっては使えない消火器がある、なんてことが最近判ったようですから、実際に即したそんな新しい話が聞きたいですね、、、って、オレが講義しようかな(^^;
○詩とエッセイ『沙漠』239号 | ||||
2005.9.10 | ||||
北九州市小倉北区 | ||||
沙漠詩人集団事務局・餘戸義雄氏 発行 | ||||
300円 | ||||
<目次>
★詩
鉄棒 4 坪井勝男
洗濯機にむかって 4 中原歓子
海辺の僧侶 6 河上 鴨
ルビー 7 織田修二
雷 8 徐戸義雄
ちょっと違うだけで 9 宍戸節子
勲章 10 菅沼一夫
桜の樹 11 椎名美知子
審判 12 麻生 久
さやかちゃんと天使 12 木村千恵子
完全犯罪 14 千々和久幸
リメンバー 14 川坂美代子
草の行方 16 柳生じゅん子
脇道 18 河野正彦
幼い学友 18 秋田文子
過疎街道 20 平田真寿
月見 22 犬童架津代
水琴窟 22 藤川裕子
無理を通せば 23 岩下 豊
ツムジ 24 坂本梧朗
身軽に生きる 25 横山令子
母桜 26 福田良子
バンザイクリフ 28 光井玄吉
キリシタン洞窟 29 風間美樹
■エッセイ
「やきもの」考(6) 30 光井玄吉
詩を読むよろこび 31 柳生じゅん子
●書 評
宮崎賢詩抄 32 麻生 久
詩人の眼(18) 34 河上 鴨
身軽に生きる 横山令子
戦後といわれた時代
店には食料は売ってなく 都会の人は物物交換
網元だった我が家の縁側には
着物や帯が積み上げてあった
嫁ぐとき 母が仕立て直して持たせてくれたが
四十二年一度も手を通さなかった
今でも しっとりと肌になじんで来る
緞子(どんす)の訪問着
虫干しの度 なぜか息苦しく
早々に畳紙の中へ仕舞っていた
今年こそ あの着物を処分して
身軽に生きたい
生きんがために断腸の思いで手放したであろう人に
「着物として生かされるみちは まだあるでしょうが
総てを終わりにさせてください」
呟き 着物に手を合わせる
緞子(どんす)の着物よ 着るべきだった人の心へ戻っておくれ
再び戦後と言う時代が訪れる事のないように
願えば 目は涙雲に ことばにならず
わたしは 何度も祈った すると
胸の中に居座り続けていた
戦後が消えていく
「着物や帯」を「物物交換」して、タケノコ生活を送ったということはよく聞きましたが、この詩は逆に「我が家の縁側に」「積み上げ」られた側の作品で、珍しい作品と云えましょう。しかし、当時、恵まれた側であっても「虫干しの度 なぜか息苦しく/早々に畳紙の中へ仕舞っていた」わけですから、やはり素直に喜べないものがあったことが判ります。「生きんがために断腸の思いで手放したであろう人」の気持が判る作者の人柄が表出している作品だと思いました。
○詩誌『橡の木』16号 | ||||
2005.9.20 | ||||
東京都羽村市 | ||||
内山登美子氏方・詩の教室「橡の木」の会 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
脊椎圧迫骨折 …………………………………… 内山登美子 4
回廊の中 ………………………………………… 高橋 裕子 6
傾いて …………………………………………… 木村 和子 8
砂漠に眠る少女 ………………………………… 村尾イミ子 10
散歩 ……………………………………………… 大友 麻子 12
スピノザのレンズ ……………………………… 内田 範子 14
追跡 ……………………………………………… 安藤 初美 16
萩の花が ………………………………………… 宇津木愛子 18
光の中に ………………………………………… 狩野 貞子 20
光る海 …………………………………………… 岡 ななみ 22
ブルージュの街で ……………………………… 吉田 雅子 24
満月 ……………………………………………… 池田 君代 26
虫 ………………………………………………… 塩野とみ子 28
(掲載は題の五十音順)
課題エッセイ「私の幼年体験」…………………………… 30〜37
編集後記
砂漠に眠る少女 村尾イミ子
舟を伏せた型の棺に
石坂を並べた蓋がしてある
丁寧に砂を払いのけながら
一つ一つ石坂を外していく
砂嵐に行く手を阻まれながら
幾日も幾日も歩いて ようやく辿りつくという
タクラマカン砂漠にある 小河墓(しょうがぼ)遺跡
その発掘現場
テレビの映像を食い入るように見つめていた私は
思わず声をあげた
棺の中から美しい少女の顔が現れたのだ
ミイラといっても生きているように
白いフェルトの帽子をかぶり
長い睫毛 つんと高い鼻 白いすべすべした肌
いまにも瞬きをしそうで
三〜四千年前 楼蘭王国の西のはずれ
ここは胡揚(こよう)の生い茂るオアシスであった
少女はヒスイや蛇紋石(じゃもんせき)のアクセサリーをつけて
大切に葬られていた
だけど彼女の睫毛は動かなかった
数千年の眠りから覚まされたとき
一瞬にして気づいたのだ
戦争や貧困 弾圧などの絶えない
こんな時代に目を覚ましてなるものか
少女は瞬き一つせず そ知らぬ顔で眠り続ける
あと どれ位眠っていれば
平和で豊かな世界が訪れるのだろうと
「砂漠に眠る少女」は有名なミイラですが、それを「少女は瞬き一つせず そ知らぬ顔で眠り続ける」としたところが面白いですね。発想の柔軟さが光る作品だと思います。この時代に生きる者として「戦争や貧困 弾圧などの絶えない/こんな時代に目を覚ましてなるものか」と少女から見られるのは辛いのですが、それは事実だから甘んじて受けるしかありません。ほんとうに、「あと どれ位眠っていれば/平和で豊かな世界が訪れるの」でしょうか。さらに「三〜四千年」掛るのかもしれませんね。
○詩誌『ERA』5号 | ||||
2005.9.30 | ||||
埼玉県入間郡毛呂山町 | ||||
北岡淳子氏方・ERAの会 発行 | ||||
500円 | ||||
<目次>
詩 日原正彦 風とポプラ 4
北岡淳子 花を摘む 6
清岳こう ある処に 8
小島きみ子 幻影の、声 10
小川聖子 くるみ割り人形 13
畑田恵利子 バス停がわからない 16
田中眞由美 東の森 19
大瀬孝和 箱状のもの 22
竹内美智代 切る 24
吉野令子 いま朝の光に抗うことができるか 26
川中子義勝 気象探査機 Kassandra 28
座談会 詩言語とは何か
中村不二夫×橋浦洋志×日原正彦×吉野令子(司会)川中子義勝 30
エッセイ 星野 徹 ラ・トゥールの一枚の絵から 53
詩 吉田義昭 大人のための童話 60
田村雅之 石斛(せっこく)の花/鮎の話 62
原田道子 アフリカ樹海 ティンガティンガ 66
橋浦洋志 虹の地殻 70
藤井雅人 セレナーデ 73
中村洋子 野のものたちヘ 76
貝原 昭 その声は… 78
岡野絵里子 通り過ぎる少女 80
佐々木朝子 初夏 82
瀬崎 祐 妻待ち岬まで 84
中村不二夫 復活 86
ユビキタス 小川聖子 豪州詩人マンフレート・ユルゲンセンの創作活動 88
藤井雅人 デジャ・ビュ 94
編集後記 96
箱状のもの 大瀬孝和
この地の村人たちは、成人祭が終わると、鈍くかがやく
ひとつの小さな箱状のものを かならず首からぶらさげ
なければならないのでした。その箱状のものには しば
しば 村長からの綿密な行動の指示が送られてくるので
した。
飾り文字のナンバーだけがつけられた箱状のものは ど
れもこれも似たり寄ったりで これといった特徴もなく
完全に個性を失っているのでした。せいぜいのところ
ひとりひとりが根付のような飾り物をいくつか吊り下げ
てささやかな違いを持つことが許されているのでした。
持っているものによって アイデンティティーが所有さ
れると巷間に言い伝えられているのでした。
村長の指示に従って 村人たちは かがやくような 高
度に機能化した この世の終点のような 完全な自由を
求めているのでした。そうして 詩もなく探求や熱心さ
も必要としないような仕事で 嬉々として 汲々として
その生計を立てているのでした。
事件がおこったのは 朝の悪い夢から目覚めようとした
ちょうどそのときでした。村長からの指示で わたしは
青い帽子を被せられ 身に付けるものも イニシャルも
異なった あたらしい名前を与えられているのでした。
小さな箱状のものは それ自体を さちに鈍くひかりか
がやいているのでした。そうして わたしは村長好みの
村人 <モノ> になっているのでした。
寓意に満ちた作品で、思わず日頃の生活を振り返ってしまいました。まさに「ささやかな違い」を「アイデンティティー」と勘違いして「詩もなく探求や熱心さ/も必要としないような仕事で 嬉々として 汲々として/その生計を立てている」己に思い至ります。少なくとも「村長好みの/村人
<モノ>
にな」らないようにしたいものですけど、その意識さえ知らず知らずに薄れていくように思います。怖い詩です。
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